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大地無き大地

 ハルは草原と霧の境界線に近づくにつれ、今の自分が本当に人間ではない事を理解し始めていた。

 先のウリエルの言葉、「霧といえば霧」という言葉は正解だった。

 人は場所を変えれば物の呼び名を変える――雲と。

 しかも山などでもなかった。ここまで地上を見渡せる山など考えられない。

 更に近づく毎に予想は確信に変わっていく。

 ここは……


「気づきましたか。そうです。ここは浮遊島。空の上です」

「浮遊島? 神の土地の1つなのですか?」

「はい。各地に設置された見張り塔とでも言えばわかりやすいかも知れません」

「いわゆる、天界と言われる場所とは違うのですか?」


 ここが人間が遥か昔から目指している天界だとすれば、あまりに寂しい風景だ。

 草原だけで住居があるわけでも神殿があるわけでもない。

 となれば他に天界と呼ばれる場所があるのだろうか?


「天界とは違います。もちろん、ない事もないですが……人間が想像しているような場所ではない思います。実際に何千年も前から利用されておりません。機会があれば案内いたします」

「何千年も……」


 話を聞いている限り、神はハル1人なのだろう。そして誰も利用していない施設。

 ふと、頭に浮かんだのは大きなデパートで1人取り残された状況。

 誰も居ないのに何もかも揃った豪華な建物に意味があるのだろうか。単なる廃墟ではないだろうか。

 その強いイメージが行く必要はないかもしれないという判断に結びつく。


「では、行く用事が出来たらという事にしておきます」

「その方がよいでしょう」

「それで私は好きな事をしていいと聞きましたけど、神になった私は何が出来るんでしょうか?」


 自分は神になった。会社勤めの会社のネジの一本ではなく、世界の扉であり鍵であるはずなのだ。神の起こせる奇跡とやらも把握しておく必要がある。


「何も出来ないのではないでしょうか」

「何も?」

「ええ、何もです」


 予想外の返答だった。

 神になれば全てが思いのままとは言わずとも、それに近い事が出来ると信じていたのに答えが「何も」では、さすがに脱力してしまう。


「神の器なのに何も出来ないんですか?」

「神の器ではありますが、元の精神は人間。知識もなければ器の力を引き出す術も知らないのです。例えば、蟻が犬のリードを持つ事が出来たとして、犬がいう事をきくでしょうか? 精々、蟻を襲う天敵が近寄らなくなる程度です。ハルさまも同じです。神の器に入っているだけで、1%も操る事が出来ていません。力を使うとしても暴走するのが落ちだと思われます」

「それじゃぁ、人間だった頃と何も変わらないじゃないですか!?」


 そう、以前のネジ一本と変わらない――


「いえ、永遠に近い生命と、よほどの事がない限り壊れない器を手にしたではないですか。それに何千年後かには、あの方と同じ力を酷使出来るようになるかもしれません」

「それまで何もせずに待っていろというのですか!?」


 神の美貌に傷をつけるかのように怒りを表情に出す。

 24年しか経験のない自分に何千年後の話は、もはや騙されたのではないかと思えるくらいの状況だった。


「何もせずにとは言っておりません。神として、ハル様が出来る事はないと申し上げたのです。ですから、やりたい事をやればいいんですよ。それに……ハル様が力を使えなくても私が代行する事は出来ます。何か希望があるのなら言ってもらって構いません」

「ウリエルが代行?」


 神になったのに配下たる天使ウリエルに頼るしかない、つまりは出来る部下に任せるしかないという事である。まるで役立たずの家族役員のようである。それはハルが地球で最も嫌っていた人間でもある。自らが、その立場になるとは思ってもいなかった。


「何か希望でもあるのですか?」

「……ない。いや、今の自分で出来る事を探したい」

「難しく考える必要はありません。ハル様の思うとおりに行動すればいいだけです」


 出来る限り、こちらに関わりたくないともハルには聞こえてしまい、その言葉に苛立ちを覚えるが役立たずの上司を持つ者の気持ちもわかる。自身もそれを随分と経験した覚えがあるからだ。


「とりあえずは地上に……」


 この世界に触れるために一歩を踏み出す言葉を口にしかけた時だった。

 視界の端、眼下にある地上で無数の何かが蠢きが見えた。

 地上から、この場所までは富士山以上の高度。

 視界から入る情報だけでそれを把握して、尚且つ無数の何かまで理解出来るようになる。

 力を酷使出来なくとも、神の器が持つ身体能力に影響はないということだろう。

 現にウリエルは『永遠に近い命と壊れない器』だと言っていた。つまりは身体機能の低下などはないという事だ。


「あの無数の人間達は武器を持っているようだが、もしかして……」


 武器は剣や槍、地球のように銃や兵器が主流ではないようだ。この世界の文明は低いとは言えないが高度とは言えないのかもしれない。


「あれは戦争でしょうね。珍しい事でもないでしょう。争う事でしか力を誇示する事が出来ず、自分達を成長させる術をそれしか知らないのが人間ではないのですか」


 確かに地球でも戦争が科学を発展させ、戦争が善と悪を決めてきた。すなわち強い者が正しいと。それがこちらの世界でも当たり前なのだろうか。


「彼等は何を主張し合って戦争しているのか分かりますか?」

「正確に調べるには少々時間がかかりますが、大体のことであればわかります」

「それで構いません。教えて頂けますか?」

「西側の勢力が『ガイスガ王国軍』、東側の勢力は『エルトア共和国』です。争いのもとは『ガイスガ王国』の第一王子を『エストア共和国』の貴族が馬鹿にした事から始まっています。以前から続いてる争いなので今回も続きと見てよいかと」

「馬鹿にされたからと国民を戦場に立たせて犠牲にしているのですか……」


 上のメンツの為に他人の命を散らせている。つまりは人の命が一人のプライドよりも安く扱われているという事だ。


「驚くことですか、人間が繰り返してきた歴史ではありませんか」


 確かにウリエルの言葉を否定できない。

 プライドを傷つけられた本人ではなく、部下に命をかけさせて回復させようとする。

 メディアから、それが引き起こす自爆テロを何度聞いたことだろうか。


「止められませんか?」

「問題をすべて解決する事は私には難しいですが、それでも宜しいのであれば」

「こんなくだらない争いを止められるというのであれば、早急にお願い致します」

「早急にですね。わかりました。ハル様からの初めての意思を地上に示してきましょう」


 これがハルが神となって最初に地上に関与した出来事となる。

 そして――神として最初の後悔を迎える事件にもなったのだった。

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