神の名の後を追う女神
どれくらいの時間が2つの影の間で流れただろうか。
舞春は答えが出そうにない疑問を捨て、確実にわかるであろう質問へ移行する。
「この器の持ち主だった神様の名前はなんていうんですか?」
「時代の違い、人間の種族の間でいくつか呼ばれたモノはありました。例えば、プリマベェーラ。ある時代にはヴィーナス。そして、ヴィシュヌとも。アフロディーテと呼ばれていた時もありました」
どれも有名な女神の名。
ただし、どれも近い意味と存在とされている。
特にヴィーナス、ヴィシュヌ、アフロディーテは地球では地域のよる呼び方の差だと言われている。
なぜなら、それが表す意味がどれも「金星」「美の女神」であるからだ。
唯一違うとすれば、プリマベェーラ。
意味は「春の女神」を指す。
「天使と神の名は世界が変わっても違いはないのですね」
「神は不変であり、その身から作られた私達も同じと言えます。変わるのは人間の心だけではありませんか?」
「確かに人間の心は直ぐに変化します。でも、それは人間の美徳とも言える部分だと思います」
ウリエルとの対話で初めて、舞春が見せた強い言葉。それは大人に抗う子供のようだった。
ただし――受けた相手の表情に一瞬、動きがあったように見えたのは気のせいだろうか。
「あの方も昔、同じ事を口にした事がありました。しかし千年前、人間に干渉するのをやめてからは聞いていません。貴方も千年後に同じようになっていないといいですがね」
「千年……?」
「そうです。人間だった貴方には理解出来ないかもしれません。しかし、貴方は神の器を手に入れたのです。それは永遠の命を約束されたも同然。ただ永遠の中で千年など一瞬の出来事かもしれませんがね」
目の前の天使が言葉が舞春を現実に、いや、思考の世界に飛び込ませる。
――自分は本当に神になったのだろうかと。
では――
「いままので神は何をしていたんですか?」
「神によって違います。役割などありませんでしたし、己の心のままに行動していたと思います」
つまり神は気まぐれであるという事だ。
なるほど、それを昔から口にしていた地球の人間は的確に神の心中に気づいていたのかもしれない。
「では、私も自由にしていいということですか」
「はい。構いません。貴方の赴くがままに世界に関わり下さい」
「ところで、その貴方貴方と呼ぶのはやめてもらえませんか?」
「では何とお呼びしましょうか?」
「私の名前は舞春よ。小さい頃にはハルって呼ばれていたかな。ウリエルさんも、そう呼んでくれて構わないわ」
フルネームで呼んでもらうのも気が引けるし、長い付き合いになる相手なら気軽な呼び方の方が親近感が湧くというものだろう。
もっとも、ウリエルの舞春への対応は神へのというよりも、人間だった者への対応に見える。おそらくは格の低い相手だが元上司からの命令で仕方がなく、という感じではないだろうか。
「では、ハル様とお呼びします。私の事はウリエルと呼び捨てで構いません」
言葉とは裏腹に、やはり、その表情にも態度にも神に対するものには思えないが、ハルとてそれを望むつもりはない。所詮、今は形にハメられただけの状況である限りは簡単に変えられるものではない。そのうち打ち解けていけば何か変わる可能性もあるだろう。
「では、ウリエル。次の質問に移るわね。この世界の状況を教えてくれるかしら?」
「それは構いませんが、ご自分の目で見られたほうが早いかと思われます」
「どういう事なの?」
「まずは、ここがどこなのか理解されていますか?」
ここは――
――どこだろうか?
今更ながら気づく。自分のいる場所すらも理解していない事に。
完全にハルの視線はウリエルの美と、女神になった自分の美、そして心は状況を理解するために全てを注いでいたと言ってよい。景色すら見る事も出来ないほどに自分は動揺していたのかもしれない。
――だったら今見ればいい。
自分のいる場所は草原だ。
大小の草花が生を謳歌するように空へと立ち向かっている。
その中に枯れているものや、朽ちかけたものなどいない。今が全盛期というような状態。
少しづつ視線を上げていくと、10秒も走れば辿り着けそうな部分から草原が途切れている。それは右も左も後ろも同じ。いや、途切れているというよりも霧が大地を覆い尽くしている。
「随分と霧が多い場所なんですね。ここは、どこかの山の上とかですか?」
「霧といえば霧なのでしょうね。ですが山の上ではありません」
「山ではない?」
「はい。直接あの場所で見て頂ければ理解してもらえるかと」
謎の言葉に従い、その場所へと足を向ける。
走って10秒ではなく、新しくなった己の器の足を確かめるように、ゆっくりと。
まるでリハビリを始めたばかりの少女のような足取りで草原を歩き始めたのだった。




