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「ガラガラガラッ」
Eクラスの教室のドアを開けると何処か懐かしさを感じさせる古木の匂いが漂ってくる。前々から思っていたのだがこの地下一階は昔歴史書で見た昭和時代の学校風景に良く似ている。
それがいいのか悪いのかはわからないが最近の悩みは教卓側から二番目のちょうど俺の席の真上にある天井板がいつ落ちてきてもいいくらい老朽化しているって事だ。
五分に一回は天井板を見上げているので授業に集中できないのである。そんな一抹の不安に駆られながらも俺は自分の席へと腰を下ろした。
「ケン君おはよう」
背中側から声を掛けられ後ろを振り返る。ケン君とは俺の事であり、俺の名前は『長谷川健一』、年齢は先程言った通りの十五歳だ。
そしていま俺の名前を呼んだのが、ショートカットにおっとりとした瞳の女性、『彩条緑』さん、歳は俺の一つ上の十六歳だ。
緑さんは水属性の魔法使いであり、魔力は……魔力はえっと……そうだな。
例えば、Cクラスの連中が標準な魔法使いのレベルだとしよう。Eクラスの俺が火属性の魔法使いでマッチ棒を擦った時の火くらいならCクラスの連中が使う火の魔法は手の平からバスケットボールくらいの火を出す事はできる。これを水属性に置き換えて例えるならばCクラスの連中はバスルームの蓄積量くらいの水を出す事ができるが、緑さんはコップ一杯程度の水しか出せないのだ……。
「緑さんおはようございます」
まあ、俺達はEクラスだしそんなもんだ。
「ケン君、今日は私達にとって地獄の一日なりそうよ」
いつも地獄の毎日を送っているというのに緑さんは今更何を言っているんだ。
「ケンケン、緑の言う通りよ。今日が何の日か覚えてないの?」
目の前の席で今俺の顔を険悪な表情で見つめている気の強そうな瞳に紅い髪のセミロングの女性、彼女は『笹川由美』さん十七歳、このEクラスでは一番の年配者であり、俺達は通称『ゆみねぇ』と呼んでいる。
ゆみねぇは風属性の魔法使いであり、その魔力は…………。
えっと、その魔力はカーテンを揺らす程度のそよ風を巻き起こす事ができる!
ゆみねぇには逸話があり、年に一回行われる魔力測定の日に強風が吹いていた為、ゆみねぇの魔力は計測できず魔法学院創立以来初めて『魔力測定不能』と判断された伝説の魔女なのだ。
「ゆみねぇまで……今日は一体何があると言うんですか」
「ケン君昨日聞いていなかったの? 紅音ちゃんは知ってるわよね」
「えっ? あっ、一応……」
俺の隣の席に座る女性は緑さんが声を掛けると顔を逸らす。長い黒髪に大きな瞳の女性、彼女の名前は『佐奈川紅音』、俺と同い歳の土属性の魔法使いだ。
紅音はちょっと内気な所があるが、こう見えても小さな砂山を一瞬で作り出す事ができる砂山作りのエキスパートなのである。
「紅音、今日一体何があるんだよ」
「けっ、健一は掃除係でいなかったもんね。あれだよ……魔法幼稚園の子供達が来るんだって」
『魔法幼稚園』とはまだ小学校入学前の幼い魔法使いを集めた施設の事なのだが、
「来るってここにか?」
紅音は俺に背中を向けコクっと頷く。
「ケン君、今日は入学説明会よ。毎年恒例じゃないの私達Eクラスの五人が子供達の前で魔法を見せるのよ」
「すっかり忘れていました……」
緑さんの方を振り向くと俺達の席から一つだけ後方に離れた空席が見える。入学説明会もだが、それよりもっと大事な事を思い出した。
「紅音、今日ひよ子はどうしたんだ?」
「まだ寝てると思う」
「ケンケン早くひよ子ちゃん連れてこないともうすぐ先生来ちゃうわよ」
「行ってきます!」
ゆみねぇの言葉に反応した俺はすぐさま立ち上がると教室を慌てて飛び出した。
これもいつもの日課だ。俺達Eクラスは今起こしに向かっている『松本ひよ子』を含めて五人、俺達Eクラスの魔法使いはたった五人の逆エリート集団なのだ。
猛ダッシュでひよ子の部屋の前まで来た俺はドアノブを握り締めたまま前屈みになると荒ぶる呼吸を整える。
呼吸が落ち着いたとこでドアノブから手を離すとひよ子の部屋をノックした。
「おーい、ひよ子朝だぞ起きろ」
この魔法学院は生徒のストレスを極力抑える為に生徒一人につき一つの部屋が割り当てられている。とは言え部屋もクラスに応じた待遇がされておりEクラスの部屋なんてのは浪人生が住んでいるような四畳半の質素な和室なのだが……。
「…………」
二分程待ったが部屋の中から返事が返ってくる気配がない。ドアに耳を近づけると「ズズズーズズズー」とまるで『Z』を横に並べたような寝息が聞こえてきた。
まあ、この程度で起きないのはいつもの事だ。別にこのまま部屋の中に入ってもいいのだが、如何せんひよ子は難しい年頃である。ひよ子の年齢はEクラス最年少の九歳、とてもわがままな少女なのだ。
どのくらいわがままなのかというと、さっき教室内にあった俺達の席の並びから一つだけ後方に離して置かれていた机。あれは席替えの際にひよ子がどうしても一番後ろじゃないとダメだと言うので仕方なく俺達が受け入れひよ子の机だけがあのような配置になっているのだ。
その他にも多数ひよ子のわがままエピソードはあるのだが、わがままである原因の一つとして俺達がひよ子を甘やかし過ぎているってのもある。
ゆみねぇにしろ緑さんにしろひよ子には何も言わない。紅音は内気な性格だから仕方ないとして俺がいっぺんガツンと言えばいいだけの話しなのだが、言った事はあるんだよね。
過去に一度だけひよ子を本気で叱ったのだが、ひよ子がゆみねぇに泣きついたので俺が悪者扱いされてその場は収まったんだ。
それ以降俺は何も言っていない。一人でどうにかなる問題でもないからだ。
ただまあ、産まれた時から魔力の容量は決まっているのでこの学園に連れてこられた時から俺達Eクラスはずっと同じ顔ぶれだ。だからか妙に仲間意識だけは高い。そのアットホームな良さがEクラスのいい所でもあるのだが。って、こんな事を流暢に語っている場合じゃなかった。
これもいつものパターンだ。
今度は手の甲で軽くではなく、右の拳でドアを叩くようにノックする。大工が即興で家を建てるような金槌音に似た音を響かせながら俺は叫んだ。
「ひよ子早く起きないとまた遅刻するぞ!」
すぐに部屋の中から「うぅぅ」と伸びをしたような声が聞こえ目の前のドアが開いた。
「なんだよお」
寝癖混じりのオレンジ色の髪をしたボブカットの少女は気の強そうな瞳で俺を睨みつけている。
「なんだよじゃねぇよ、もう時間がない行くぞ!」
そんな少女を俺はすぐさま抱き抱えると教室まで慌てて戻った。
「離せよお、けんいちぃ」
「離してもいいけどな、俺が離したらお前遅刻だぞ」
「ドリル持って来てないよお」
「心配するなお前いつも置き勉してんだろ」
「パジャマだよお」
「大丈夫だ、お前の場合は遅れない事に意義がある」
「けんいちぃ、朝のホームルーム終わったらひよ子の制服持って来いよお」
「ああ」と頷いてはみたものの、俺はこいつの保護者でもなければ兄貴でもない。こういう過保護がひよ子をわがままにしている原因なのかもしれないが、それでも遅刻するとわかっていてひよ子をほっとく訳にもいかないんだ。
俺だってガキの時分はあった。この学園に来た当初右も左もわからない俺をゆみねぇと緑さんは良く可愛がってくれた。
今でこそ皮肉の一つや二つ言われたり、時折こき使われる事もあるがあの当時は二人共本当に良くしてくれたんだ。そんなしんみりとした過去の思い出に浸りながらEクラスの教室の前まで来た俺はひよ子を抱き抱えたまま右足で教室のドアを蹴りスライドさせた。