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夕陽の差し込む踊り場で

作者: ふゆき

放課後のざわめきを聞きながら、少女はひとり、ぽつねんと階段の踊り場に佇んでいた。



屋上へと通じる唯一の階段だ。


教室のある3階までなら、放課後であれ、部活に勤しむ生徒たちが活動的に行き来している。



だがここは、昼間でさえあまり人の寄りつかない場所だった。


放課後ともなれば、人の気配はパタリと途絶える。



屋上が封鎖されているせいもあるのだろう。


あがってこれるのは、屋上へ通じる階段の手前の踊り場までだ。



夏場に涼を求めるならまだしも、真冬のこんな時期、寒さに震えてまでやってくる物好きは、滅多にいない。



だからこそ、今日のこの日、彼女はこの場所を選んだ。


来てくれるかどうかはわからない。



けれど、ふたりきり。


向かい合って、どうしても彼に伝えたい言葉があった。



微かに聞こえてくる、運動部の威勢のいい掛け声と、女の子たちの笑いさざめく、楽しげな気配。



すべては遠く――……今の彼女には、縁遠い。



手の中のものをギュッと強く握りしめ、彼女はそっと小さな吐息を吐き出す。


緊張しすぎて胸が痛い。



こんな人気のない寂しい場所などではなく、もっと違う場所にすればよかっただろうか?



校舎裏の木陰だとか。


空き教室の一室だとか。


学校の裏山だとか。



もう少し、雰囲気のある場所。



でも、そんな場所はきっと、他にも人がいる。


今日のこの日、彼女のように勝負をかける乙女たちは数知れず。


人気もまばらで雰囲気のかもし出せる好条件の場所なんてきっと、とっくの昔に他の誰かに先を越されてしまってる。



せっかく勇気をふりしぼったんだもの。


どうせなら、誰にも邪魔されずに想いを遂げたい――……。



そう思い、少女はこの踊り場を選んだ。


寒くて薄暗くて、陰気くさい場所だけど。


幸いにして、人の気配はまるでない。



寒さにかじかむ手のひらを、吐息で温め温めしつつ、どのくらい待っただろう。



「佐藤……?」


「ひゃいッ」



背後から不意に名前を呼ばれ、少女――……佐藤 美佳は、間抜けな返事と共に、みっともなく飛び跳ねた。


いつの間にか階下に背を向け、踊り場の窓から見える景色を、ぼんやりと眺めていたらしい。


あわてて振り返り、勢いで翻ったスカートの裾を、これまたあわてて押さえる。



「…………見えた?」


「うんにゃ。残念ながら、こっちからは逆光」


「そっか……」



階段の上と下。


手すりに手をかけて苦笑する少年を、美佳は眩しいものでも見るように目を細めて見つめる。



こんな日に人気のない場所に呼び出されたんだもの。


彼にだって、用件はわかっているはずだ。



それなのに彼……貝原 敦は、いつもとなんら変わらない態度で、そこにいた。



金色に染まった髪も。


皮肉に歪められた唇も。


突き刺さるかのような意志の強い眼差しも。



全部が全部、いつもと同じ。




でも――……わずか浮かん苦笑の中に、戸惑いのようなものが漂っている気がするのは、ただの願望だろうか。




彼も緊張してくれているのなら、嬉しいのだけれど。


ひょっとしたらただ、放課後に呼び出されて、気分を害しているだけかもしれない。



こんな日だもの。


興味のない女の子に呼び出されたって、疎ましいだけだろう。




「来てくれたんだ、貝原くん」




万感の想いを込め、美佳は彼の名前を口にする。



会いたかった。


ずっとずっと会いたかった。



だからずっとここで、彼を待っていた。



底冷えのする踊り場で、今日のこの日。


ただ彼に会い、想いを告げるためだけに。



「呼び出しといて、よく言う」


「うん、でも。なかなか来てくれないからもう、半分あきらめてた」



眼鏡のフレームを指先で押しあげながら、美佳はふわりとはにかむ。



来てくれると信じてた。


来てくれるわけがないだろうとも思ってた。



接点なんて、ほとんどない。


3年間、たまたま同じクラスだっただけ。



おとなしすぎる美佳は、長く伸ばした真っ直ぐな黒髪で表情を隠すようにして、3年間を俯いて過ごしてきた。

対して彼は、髪を染め、制服を着崩して。


人々の反感をものともせず、堂々と胸を張って過ごしてきた。



口をきいたことすら、ほとんどないけれど――……。



この3年間、彼がずっと自分を庇ってくれていたのを、美佳は知っている。



おとなしい性格とは裏腹に、彼女の容姿は目立つ。



くりんと大きな愛らしい瞳。


すらりと通った鼻筋。


小さな唇は、口紅を塗っているわけでもなのに、まるで桜貝のような淡いピンクに色だ。


チタンフレームの地味な眼鏡に隠されてはいるが、10人中10人が、美人だと認める容姿である。



加えて、発達のいい肢体は丸みを帯ながらもくびれ、挑発的な色気をかもし出している。


なるべく地味に目立たず。


そう願っても、彼女は常に、不快極まりない厄災につきまとわれていた。



それが止んだのは、高校1年生の夏。



悲鳴をあげた彼女を、彼が助けてくれたあの日から。



痴漢も変質者もストーカーも、美佳の周りから姿を消した。



『犯罪者なら殴っても叱られないだろ』



そう嘯いた彼がこれ見よがしに、美佳をつけ狙う男たちを袋叩きにして回ったからだ。



喧嘩がしたくてたまらない。



そんな雰囲気を漂わせ、嬉々として暴れ回る彼を恐れて。


いつしか、美佳は、平穏か学生生活を手に入れていた。



でも本当は――……。



あの夏の帰り道。


草むらに引きずり込まれて女として一生消えない傷を刻まれかけた、あの時。


悲鳴を聞きつけて助けに来てくれた彼は、酷く真剣な顔をしていて。


変質者を撃退した後も、美佳が落ち着くまで、黙って側にいてくれた。



美佳だけが知っている、彼の不器用な優しさ。


もっと早くに告白していれば、ふたりの関係は違ったものになっていたのかもしれない。



卒業を前にしたこんな時期までなにもいえなかった自分は、臆病者だ。



でも、最後にどうしても、感謝の気持ちを彼に伝えたかった。



「あのなぁ。名前も書いてねえ呼び出し状で来てもらえただけありがたいと思え?」


「え……?」


「丸っこい女の字じゃなきゃ、シカトしてたっつーの」



卒業前のお礼参りかと思ったじゃねえか。


そうつけ加えて苦笑いする貝原を見て己の失敗を悟った美佳が、一瞬にして真っ赤になる。



「ご、ごごごご、ごめんなさいッ」


「あいっかわらずどんくせえ女」



精悍な顔に浮かぶ、穏やかな色。


美佳の知っているどの表情とも違う。


どこか大人びて寂しげな――……憂い顔。


毎日見ていたはずなのに、ふとした違和感が美佳の中を掠める。


彼は、こんな表情をする人だっただろうか。


いつもの彼はもっと攻撃的で、威圧感すらあって。


でも、笑うとちょっとだけ、子供っぽかった。



毎日毎日、飽きるほど見つめていた顔なのに……。



どうしてだろう、今日は。




――――……貝原くんが、知らない人に見える……。




彼女からの言葉を拒否することへ、彼が罪悪感を感じているせいか。


いつもと違う、雰囲気が。



さわりと美佳の胸をかき乱す。



返事なんてわかってる。


これはただの自己満足だ。


感謝の言葉を告げられたら、それでじゅうぶんなのだ。


そんな憂い顔をさせたかったわけじゃない。



ああ、でも……。


手の中のものを渡せば、彼をさらに困った顔にさせてしまう。


せっかく作った自信作だけれど。


感謝の言葉だけ告げて、これは渡さず持って帰ろう。


そう決めた少女の鼻先へ、無骨な手のひらが、にゅっと差し出される。



「ん」


「え?」


「ソレ、オレんだろ?」



上を向いた手のひら。


さっさと寄越せとばかりにピコピコ動く指先。



信じられないものを見る思いで傷だらけの手のひらをしばらく見つめ――……。



「もらって……くれるの?」



ようよう、言葉を絞り出す。



ずっとずっと待っていた。


一生懸命、彼のためだけに作った、ハート型のチョコレート。


ありったけの気持ちを込めたコレを渡したくて。




長い時間――……ずっと彼を待ちわびていた。




勇気を振り絞り、差し出された手のひらの上へ、そっと紙袋をのせる。



たくさんのハートを詰めて。


可愛くキレイにラッピングした紙袋。



あんなに一生懸命飾ったのに、薄汚れているのはどうしてだろう。



「返事は来月な」


「えっ……?」


「ホワイトデー。欲しいもん考えとけよ?」


「それって……」





想いは成就したと、そう思ってもいいのだろうか――……?





カツン、カツン……。


小さな音を立てながら階段を降りてゆく背中を、美佳は半ば混乱して見下ろす。


チョコレートは受け取ってもらえた。


けど、肝心な言葉はなにも言えてない。



感謝の言葉も。


告白の言葉も。



「あのッ、待って……ッ」


「来月仕切り直しだ、つってんだよ、どんくさ女め。よっく自分のカッコ見てみろ」


「自分の……かっこう……?」



チカチカと、頭の奥で光が瞬く。


くらりと揺れる視界の向こう。



夕日に照らし出された貝原の横顔は――……美佳の知る彼のものではなかった。



じわり、と。


足元から不安感が這い上がってくる。


これ以上、彼の言葉に耳を傾けてはいけない。


どうしてだか、そんな予感がつきまとう。



だって…………。


制服なら昨日の夜、キレイにブラッシングして整えた。


いつもより時間をかけて髪もとかしたし、内緒でリップもつけてきた。


甘い香りのするリップクリーム。


今日のために、選びに選んで買ったお気に入り。



マフラーだって、わざわざ可愛く見えるものを必死に探したのだ。



それなのに――……。


貝原くんはなにを言っているのだろう?



言われた意味がわからず、なにか変だっただろうかと小首を傾げる。



薄いピンクのリップクリームが似合わなかったのか。


おしゃれのつもりでつけた流行りの髪飾りがおかしかったのか。


それとも、恥ずかしいのを我慢して履いてきたオーバーニーのソックスがみっともなかったのか。


大いにあわてながらも、こっそり全身チェックをしていた美佳は、ふと違和感に気づく。





――――――……ワタシ、ドウシテ靴ヲ片方シカ履イテイナイノ……?





よく見れば、ソックスは泥だらけだし、ところどころ、穴まであいている。


短めに履いた制服のスカートも破れ、白い太ももが丸出しだ。


片袖の取れかかった紺色のブレザー。


中のブラウスはボタンがはじけ飛び、ふくよかな胸を包む下着が見えている。



ハッとして窓ガラスに映る自分の姿を確認した美佳は――……。




「い……っやあぁあーッ!!!」




思い切り悲鳴をあげる。



ぐしゃぐしゃに乱れた髪の毛。


切れた唇。


白い頬にくっきりと残る、真っ赤な手形。



そして――……溢れるようによみがえる、断片的な記憶……。




「いや……ッ。いやぁッ。うそ。こんなのうそうそ……ッ」




しゃがみ込み、己を抱きしめるようにして頭を振る美佳を、階段の下から、悲しげな表情の貝原が見つめる。



長い黒髪を振り乱して錯乱する、美しい少女。



踊り場にある明かりとりの窓から差し込む夕陽に照らされたその姿は――……。




儚くも半分、透けている。




「うそよ、うそ。だってわたし……ここにいるもの……ッ」



途絶えることのない、悲痛な叫び。


追憶の中、彼女がなにを見ているのか、貝原にはわからない。



けれど、5年前。


ここでなにがあったのかは――……知っている。






あの日――……5年前の今日。




女の子らしい丸っこい文字で書かれた手紙を手にこの場所を訪れた貝原が見たのは……。



開け放たれた窓を乗り越え落ちてゆく、彼女の姿。



とっさに階段を駆けあがり、差し伸べられた手を掴もうとして、けれど。



あと少しのところで貝原は、その華奢な手を掴み損ねた。



美佳の腰を抱えた腕の主に、邪魔をされたせいだ。



暗い眼差しに憎悪を湛え――……美佳を道ずれに窓から飛び降りた少年はあの時。


まっすぐに貝原を見据え、嘲笑いながら、細い腰を捕まえた手を、手前に引いた。


グイと持っていかれた華奢な身体を掴まえられず見送るしかなかったあの絶望感を、貝原はいまでも忘れられない。



もっと早く。


生き方を変えてでも、彼女の横に寄り添っていたなら。


あの日美佳を、あんな目に合わせずにすんだ。



遠くから見守るだけだった幼い恋心。



あと一歩。


いや、手を伸ばせば届く位置に、彼女の心があるのは知っていた。


臆病風に吹かれたりせず、さっさと手中におさめてしまばよかったのだ。



そうしたら、あの日。


美佳はなけなしの勇気を振り絞り、こんな人気のない場所にくる必要はなかった。



手作りのチョコレートを手にいそいそと歩く彼女に気がついたストーカー野郎に襲われることも。



愚かで激しい、幼い恋心。



ストーカーの少年ははじめ、美佳を襲うつもりはなかったらしい。


ストーカー独特の歪んだ思考が、美佳の手にあるチョコレートは自分宛だと、少年に思い込ませた。



嬉々として後を追い――……チョコレートを受け取ろうとした少年はしかし、美佳の激しい抵抗に合う。



チョコレートなど、くれてやればよかったのだ。


そんなものよりずっと、おまえの方が大事だと。


いまの貝原には躊躇いなく言える。



5年間毎日、欠かさず通い続けた病室。



美佳は――……己が純潔も純情も、ひとりで守り通した。



そうして力尽きたのか、いまだに眠ったまま、目を覚まさない。




当然だ。


彼女はこんなところでまだ、愚かな男を一途に待っていたのだから。



「…………わたし――……死んじゃったんだね……」



ひとしきり錯乱し、泣きわめいていた美佳が、ふと底冷えのする声を発する。


あちら側へ片足を踏み込んだ、死者の声。


思った通り。


美佳にはあの瞬間の記憶がない。


だからまだ、こんな場所に囚われている――……。



「いんや?」


「だってわたし、落ちたもの――……あの窓から」


「ああ、知ってる」


「あの時…………死んじゃったんでしょう……?」


「死んでねえよ、バァカ。その窓の下はなんだ?」


「まどの、した……? この下は――……2階の、テラス……?」



暗い淵に沈みかけていた愛らしい瞳が、パチパチと忙しなく瞬く。



ここの校舎は階段上になっていて、階を重ねるほど、部屋数が減ってゆく構造だ。


美佳の落ちた窓の下はちょうど、2階のテラス部分にあたる。



ちょっと運動神経のあるものなら、怪我もせず飛び降りられる。



もちろん、貝原にも。



すぐさま美佳を追いかけて飛び降り、ストーカー男をボコボコにして、華奢な身体を取り戻した。


引き裂かれた制服に一瞬戦慄が走ったが――……。


チョコレートを取り合って揉み合いになっただけだと、後にわかってホッとした。



「トロい女だな、ったく。アイツは、おまえを抱えてオレから逃げただけだ。着地に失敗して、右足骨折してやがったけどなあ」



少年は貝原の存在を、ちゃんと知っていたのだ。


彼女に不埒な振る舞いをすると口実をつけては、暴力をふるう、質の悪い不良として。


だから、『自分に告白しようとしている美佳』を連れて逃げたと、そう供述している。



「え、じゃあ……」


「おまえは野郎をクッションにして、ほぼ無傷。それを5年間も寝こけやがって」


「ご……ねん……?」



ふ……と美佳の表情が凍る。


脳裏をよぎる、身に覚えのない記憶。


ベッドに繋がれた自分と、それを悲しそうに見つめる貝原。


涙ぐみながら甲斐甲斐しく彼女の世話をしてくれている家族――……。


ああそうか、と。


少女は唐突に理解する。


貝原に違和感を感じた理由。


夕日に照らされてそう見えていただけで彼の髪はもう、あの頃のような金色ではなくなっている。


見たこともない表情もなにもかも。



――……彼が、成長した証。



「ほれ。帰るぞ」


「わたし……」


「んだよ。オレのお迎えじゃ不満か?」


「ううんううん!」


「来月、仕切り直すからな。せめてベッドに座れるようにはなっとけよ」



淡く笑む、少年を脱したばかりの男の顔。



「…………うん。貝原くんだいす……んむ」


「ソレはオレが来月言う」



唇に指先を突きつけて美佳の言葉を封じた貝原の。


見知っているよりもずっと大人びた姿を見つめ――……。


美佳は、幸せそうに桜色の唇を綻ばせると、ささやかなわがままを口にする。



「どうせなら、今日がいい」


「あ?」


「ちゃんと戻って待ってる。だから――……貝原くんがわたしを起こして?」



そろりと自らの唇に指で触れ、階段をあがってきて隣に並んでくれた貝原を、上目遣いに見つめる。


顔から火を吹きそうなほど恥ずかしいけれど。


眠り続ける自分を彼は、5年間も待ち続けてくれたのだ。


だったらもう、1日だって無駄にしたくない。



切れ長の目を大きく見開いて絶句する貝原を覗き込み、なるべく可愛らしく小首を傾げる。



「ダメ?」


「――――……仰せの通りに、お姫様?」



ふわりと微笑む、精悍な男の顔。



美佳の手を取り、恭しく指先に口づけて。


見覚えのない青年が、美佳のよく見知った笑顔を見せる。


ちょっとだけ子供っぽい、めったに見れない、彼女が一番好きな笑顔を――……。



茜色に染まる、放課後の校舎。


射し込む夕日は、薄暗いはずのこの場所までをも、美しい茜色に染め上げる。



大好きな人が迎えにきてくれた。


それだけで、美佳の中に燻っていた恐怖心と後悔とが、緩やかに昇華される。



少女の心が晴れてゆくに連れ、痛々しかった姿もまた、少しずつ修復されてゆく。



髪飾りで結われた艶やかな長い黒髪。


チタンフレームの眼鏡に隠されて尚、愛らしさをのぞかせる大きな瞳。


淡い桜色の唇は、同系色のリップクリームに彩られ、しっとりと濡れている。


整えられた紺色の制服に華を添える、真っ白なマフラー。



目を細めて見つめる貝原の前に、かつての美しい少女の姿が、ふぅわりと再生される。


夕日を身に纏い佇む、半ば透けた可憐な少女。



『屋上へ通じる階段の踊り場で、人待ち顔の幽霊が出る』



そんな些細な噂話を藁にもすがる思いで確かめに来た。


噂が噂で終わるなら、それでよかった。


でももし、彼女がまだそこにいるなら。



過去に囚われた少女を迎えに行くのは、自分の役目だと思った。



目覚めない彼女の、傷ついた心。


あの日、もう少し早く――……。


いいや、違う。


あの夏の日。


泣きじゃくる彼女に一目惚れしたのを、ちゃんと自覚していれば。


こんなことにはならなかったのだから。



「隣にいて、一生オレが守ってやる。覚悟しとけ」



ずっと言いたくて、言えなかった言葉。


けれど、いま言わなければ、それこそ一生後悔する。


せっかく迎えにきたのだ。



不甲斐ない自分でも構わないと彼女が言ってくれるなら。


一生をかけて、全力で守り抜く。



ベッドに横たわり目覚めない少女を見ながらあの日、少年だった自分は、そう決めた。



「――……うん」



艶やかに微笑む、可憐な少女。



背にした窓から遠く広がる裏山の緑。


夕焼けに煌めく木漏れ日の彩る明暗が半ば透けた少女と重なり――……。



窓から射し込む光が、一枚の絵画のような美しさを生む。



「ありがとう」



そう囁くように告げ、儚い笑みの残像を残した美佳が、空気に溶けて消えてゆく。


少女がほどけた淡い光の粒が完全に見えなくなるまで見守り、彼は、詰めていた息をそっと吐き出す。



これでようやく、止まっていた時間が動き出す。



後はそう――……。



「さぁて。リクエスト通り、眠り姫に目覚めのキスをプレゼントしに行くか」



ベッドで眠る少女の可憐な唇に、キスをひとつくれてやればそれで。





大団円が待っている。










end





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