14話
鳴上島の朝は冷え込んでいた。
学園指定のジャージ姿の夜斗は、二日目の予定を思い出しながら洗面台で顔を洗い、クローゼットから新たなジャージへと着替える。
最後にベッド横のナイトテーブルから携帯端末、それから眼鏡を無造作にかけると部屋を出る。
端末には先に二階のレストランで待っているという旨の連絡が入っていた――空御と悠霧、そして才華から。
顔を引きつらせつつ夜斗は、空っぽのエレベーターで二を押した。
静かに降りる金属の箱。ほんの数秒がひどく長く感じ、本当に二階へと着くのか、着いた先が二階なのか、孤独な空間において証明するものは扉上部の数字をなぞって行く矢印のみ。
チンとベルが短く響く。
扉が開くとエントランスホールに似た広間へと繋がっていた。その先、紅葉のように伸びるカーペットは飲食施設の導となっている。
バーやレストランの中で左から二番目、日本料理の店の暖簾をくぐった。
視界に飛び込んできたのは鮮やかな竹林風景、石畳に鯉が泳ぐ小さな池、鹿威しの軽やかな音色。
暖簾という境界線を越えた先で広がる光景に唖然の一言しかなかった。
「いらっしゃいませ。御一人でしょうか?」
「いえ、先に友人が来ているので……鳳空御の居る席に案内していただけますか?」
「少々お待ちください。……――はい、では案内させていただきますこちらへどうぞ」
女性の後を追い通された個室で友人達もまた同じ装いで既に食事を進めていた。
「おー、おせーぞ」
「わりと早めに起きたんだが?」
「時間的に私達が早過ぎるだけだから問題はないわ」
「開始時間は九時からですから後一時間以上はありますね」
上機嫌な悠霧を横目に映しつつ夜斗は昨夜に目を通していた予定表を思い出していた。
各系統に分かれて実力検査を行うのが主な目的の講義だったはずだ。
――悠霧と同じだったか。
夜斗は端末で注文を済ませ、談笑へと花を咲かせる。もっぱら聞く専門であったが。
「そう言えば、今日の夕方からライブがあるそうですね」
「マジで?」
「行程表にあったな。特別ゲストによるライブイベント。確かツムギっていう名前でデビューイベント兼PV撮影だったか」
「「ツムギ!?」」
友人二人が食い気味に声を上げた。
「おいおい、ツムギって言ったらあれだぞ、お前。神代紡姫だぞ。まじかー、ここでイベントって!」
「すごいサプライズですね。皆、驚きますよッ」
「そうだったんだな」
「てっきり知っていると思ったわ」
「ざっとしか目を通さなかったからな」
二人とは対照的に冷めたままの夜斗に、才華が肩を竦めていた。興味のない事にはとことん意識の外へと捨てている。
才華の顔に一抹の寂しさが帯びた気がした。
□
時間は瞬く間に流れていき、夜斗と悠霧は、空御と才華を残し、店を後にした。
各実習は開始時間こそ統一されているものの、場所は島の各地となっているため移動時間を含めた逆算をしなければならない。
二人はホテルから出ている小型無人車両へと乗り込む。簡素な見た目とは裏腹に設備、コンソール、内装、快適性などは高級車に匹敵するほどで、小型タイプとは言っても二人で乗用するには十二分に広い。
「到着まで二〇分か」
モニターに経路案内と到着予測時間が映し出されたのを確認した夜斗は、保冷庫からミネラルウォーターを取り出した。悠霧もまた保冷庫から微炭酸の果実飲料を選び一口含んだ。
「ああそう言えば悠霧」
「なんですか?」
「前に話していた専用術式が完成した。その報告をしておこうと思ってな」
悠霧が前のめりになり目をキラキラと輝かせている。
「どんな術式なんですか!?」
「悠霧は【拡張】の中でも面制圧より点制圧に長けているからな、その特性を全面的に推した構成の術式」
うんうん、と頷く悠霧に、さらに解りやすく伝えるべく、携帯端末の動画アプリを起動した。
その中からファイルを一つ開く。ローディング画面を挟んで3DCGによる実演が開始された。
時間にして五秒ほどの短い映像の間に悠霧はちゃっかりと距離を詰めている。
〝水牢獄〟や〝鳥籠〟とは違うアプローチの仕方。しかし、扱いやすいように似せた個所も点在している。目新しさと同時に馴染み深さが同居しており、決め手というよりも繋ぎや追い込みといった術式の展開構成において中核を成すスキル。
「見た感じは扱い易そうですけど、オーラの消費量が激しそうですね」
「今回の設定は悠霧のオーラの七割で予測展開しているからな。当然範囲を縮小すればオーラの消費は抑えられる」
「応用力が問われるスキルなんですね」
「ああ。今夜にでも俺の部屋に来てくれ。術式登録をする」
夜斗の台詞を受けてパッと表情が華やかになったかと思うと急にモジモジしだした。
「きょ、今日は入念にお風呂に入らなくちゃ」
「この後、汚れるかもしれないしな」
「……もう」
何故か肩を落とす彼女を他所に車両は林道を抜ていく。
島の裏側、湾岸エリアに広がる幾つものドームが見えてきた。
「あれが」
【拡張】系統能力者専用の実習場。広大な敷地を利用したドームは一つとってもサッカー場三つ分以上の面積を有している。
その一つの前へ到着すると入口付近には同じような車両が並列していた。
「おっきいですね」
悠霧が視線をグルグルと動かし感想を零した。
重厚な門をくぐり内部へと入っていき、カツカツとタイルを歩く音がまばらに響き渡る。
出口から覗く光を越えた先。
改めてその広さを実感していると視界の端に群衆が映った。彼らの中心、椎名唯が気さくに対応している。
彼女もまた名家の一席だが、才華のような深窓の令嬢や高嶺の花というイメージはなく母性のような優しさと慎ましやかな雰囲気を持っている。
誰もが簡単に心を許してしまう人柄なのだろう。
「さあ、皆始めようか」
チャイムの音と共にパンパンと手を鳴らすと輪の中から外れ、全員の前へと均整の取れた面立ちを向けた。
「今日は昨日の演習を元に各系統に分かれてもらっての実技。私は、今回【拡張】を担当させてもらいます。さて、エンジニアの子を何人か回してもらったんだけど把握したいからこっち側に来て」
お互いに窺いながらもぞろぞろとエンジニア達は声の主の下へと集っていく。例に漏れず夜斗もまた彼女の近くで足を止めた。
エンジニアとして知名度の高い学生が何人か確認できたが、毛ほども興味は沸かなかった。南条葵と比べれば劣って見えてしまうためだ。
技術者の身でありながら高度な術式展開が行える者はそういない。内心で下していた評価を飲み込んでいった。
「エンジニアの子は一人あたり三人担当してもらいます。極力、同じ学校間で組めるように調整しますが、他校の学生と組む心づもりをしておいてください」
タブレット端末を操作しながら、思案顔を作ること数分。思考がまとまったのかテキパキと指示を飛ばしていく。
そうして夜斗の下には三人、悠霧に九十九学園の男子学生と二葉学院の女子学生が集まった。
挨拶を簡単に済ませると、夜斗は各々の得意術式を見るため場内の一角に陣取る。
「椎名さんからの実習内容を改めて確認するが――現状把握。【拡張】系統の能力者として今の実力を図る事。次に発展、進歩、成長、好きなように捉えてもらって構わないが、いわゆる現状打破だ。その手伝いをするのがエンジニアの役割。術式の設定を弄るが、もし嫌なら言ってもらって構わない」
裏を返せばエンジニア達の訓練や技量を図る意図も込められているのだろうと夜斗は推測を立てていた。
「はいッ」
「うっす」
「…………」
夜斗のやる気も覇気も感じさせない台詞。悠霧を筆頭として九十九学園男子学生の返事と二葉学院の少女――白洞虚の微笑が答えだった。
信頼ではなく期待。品定めと言った方が適切だろう。
「それじゃ始める」
彼らの眼差しに応えるかたちで端末を開き測定の準備を始めた。
「じゃあわたしから行きますね」
他のグループとの距離を確認しながら使用術式の範囲を指定する。
悠霧はしっかりと頷くとオーラを展開するため集中した。
――あまり一番には相応しくないんだがな……。
後続する術者が緊張や気負いする可能性が濃厚なため敬遠しているが、人数が少ないためさして問題ないと判断を下して彼女の意向に沿った。
やはりグループのメンバーだけではなく実習場に広がっている輪の全員が程度はあれど注目していた。
間違いなくオーラの濃度と展開力は随一だ。
「嫌になる程凄いな」
ポーカーフェイスのまま夜斗は羨望の眼差しを向けた。
どう足掻ても到達しえない世界。元の質、才能が違いすぎる。いかにエンジニアとして名が轟き、高度な術式を扱えるとしても社会的に優位なのはオリジナルの術式を扱える手腕とオーラの質と量。そのどちらも持ち合わせていない夜斗が手にしたのは誰でも時間を掛ければ会得できる体術と呪符による多彩な術式。そして璃音から教えられた膨大な知識。それらを活用している過ぎない。チンピラや学生、国軍一般兵までなら相手取れるが、戦闘のプロ――名家や裏に通じる者達には及ばない。
自分自身も学生なのだから当然だが、どうしても手を伸ばしてしまう。
「――くん……や~と~く~ん」
「……ああ、すまない。準備できたみたいだな」
思考の渦に嵌っていたところを悠霧のムスッとしてはいるが底抜けに明るい声が引き上げた。端末を軽く操作し、測定状態へと移った。
周囲に充満するオーラは夜斗やグループのメンバーが自然放出しているオーラを全て飲み込んでいた。
「ではいきますッ」
悠霧が気合いを入れて術式を展開。指定範囲内いっぱいに無数の水弾が誕生した。彼女を囲う水弾が円運動を描き、天高く伸び上がっていく。
オーラの展開量、速度。そこからの術式の維持力、強度は申し分ない。おそらく満点といえる結果だ。あら探しなど野暮だろう。
「もう大丈夫だ」
計測が終了すると共に悠霧が術式を解いた。彼女の周囲にベールが形成され、水の幕が下りると、どうでしたか? と柔和な笑みが映った。
「お疲れ様。計測値として十二分だ。欠点らしいものもない。優良の一言に尽きる」
「それだけですかー?」
ムスッと唇を尖らせて不満げにしている。
「と言われてもな。模範解答レベルで完成されていたわけだが」
「ならもっとそれらしい顔をしてほしいと言いますか、夜斗くんの場合は自分の予想を上回る結果を出さないと満足しない性質なのは重々理解しているつもりなんですけど……」
「解った。じゃあ、俺の意見……偏見に近いが」
元から問題点は上がってはいたが、一応体裁上のために顎に手を当て数秒程思案顔を浮かべた。
「【拡張】は知っての通り茫術と幾術に分けることができるが、悠霧の場合は幾術に傾倒している。術式の選択は良いが扱い方に無理がある。術式の展開時に水滴一つ一つにカーソルを置いているが始点と終点を決めてその終点を通過点として次の終点を決めていく方が楽できるし、幅を利かせられる」
「う~ん……」
「悠霧の幾術の操作能力が長けているのは知っているし、この術式を個々で扱える点は天賦の才だ。だが、キャパシティが無駄すぎる。悠霧ならこの術式をそうだな……三つまで分散できるだろう。それに加えて他の術式を展開、操作する方が実用的だ」
演武や形ならば悠霧の使用方法は申し分ない。何せ一から一〇流れが決まっていて、途中に妨害もない。
だが夜斗の求める美学は芸術性ではない。そんなものは捨ててしまえと。戦場での使用に重きを置いている。
「そういうわけだ。これで満足か?」
「はい、参考にしますッ」
悠霧が足取り軽く離れていき、入れ替わりで男子学生が現れた。
二、三言交わして彼の術式を測定していく。悠霧には流石に劣るが彼女の後だというのに緊張の色はなく十全に力を発揮していた。
あえて指摘する部分を作りあげるなら、成果を出そうとするあまり力みとしてオーラの無駄な供給が起こっている。一つの【拡張】術式あたりに秒間で流し込むオーラの量には上限がある。【強化】系のように常に爆発的なオーラを発揮しなくていいのだ。
「力の入れ過ぎだ。もう少し手を抜いた方が良い。【拡張】に求められるのは維持力。影響力はどう足掻いたところで【付与】系には劣る分、いかに『持つ』かが大事な点だ。それさえ忘れなければ良い腕なのは間違いない」
アドバイスを終えて、最後は白洞虚。笑みを崩すことなく会釈をすると微かに感じていたオーラが散布される。何時でも行えるという表示なのだろう。始めてくれ、と夜斗は短く伝えると周囲に広がっていたオーラが勢いを増した――。
しかし。襲い来るはず圧が微塵も無かった。
まるで雲。存在を知覚しているが掴めない。
「〝戯れ・慰め・祝福し・逃れられず・容赦を知らず〟」
鶯舌に乗せられた詠唱が術式をスキルへと昇華する。
個人設定された詠唱からは術式の正体は把握できなかったが、展開された一瞬でその正体を理解した。
〝幻想淑女〟
【拡張】系の中では高等術式に含まれる、攻撃性は無く、支援、撹乱を目的としたスキル。
悠霧を含め盗み見る一同は、物珍し気にしている。
それもそうだ。【拡張】系異能者の主流は遠距離大艦巨砲主義が占めているのだから、こんな近接距離での使用を想定したものなど廃れている。特に今の世代では認識している術者など手で数えられるほどしかいないだろう。夜斗も目にしたのは今日が初めてだった。
「また変わった術式を選択しましたね」
夜斗は他校の先輩ということで外向きの敬語口調へと切り替えた。機械的口調だが滲む興味心は隠しきれていなかった。
「ええ。紅ノ木さんがいらしたので、少し色味を変えて挑戦させていただきました。緊張しましたが、私としては満足のいく結果です。更級さんからみてどうでしたか?」
「すみません。中々見ない術式だったので正直見惚れていました。測定値だけで判断させていただくなら間違いなく優秀です」
「そうですか。ありがとうございます」
白洞虚がペコリと頭を下げると、そこで会話が終了したと解った九十九学園の二人が近寄ってきた。――一人はムスッと頬を膨らましてはいたが。
「あまり言うことは無いが、そうなると正直、講義として成り立たないだろうから課題形式をとらせてもらう。俺なりの【拡張】系統の鍛え方だな。その後、術式の設定を変えていこうと思う――そうだなまずは、固有名称〝ケースメント〟をやってもらいたい」
〝ケースメント〟――自分の周囲に属性を乗せたオーラを展開し、敵からの距離感を偽装と次点の術式の展開速度、威力補正をかける、【強化】系術者の身体強化のような補助的役割を担うスキル。この術式の練度がおのずと【拡張】の技量を物語る。
夜斗の読みでは術式の強度にあたる偽装、濃度はダントツで悠霧だろうが、スキルとしてクオリティは白洞虚に譲ることになる。
「形状は円筒での展開、指定空間は各五メートル、時間は三秒以内」
各自が散開しお互いに邪魔にならない距離で構えた。
数秒の間を取り、三人の集中力が高まったところで開始の合図を送る。
夜斗の想像通り、展開から発動までの流れ、指定空間へ万遍なく広げる維持力等、総力は白洞虚がダントツだった。
ただし、一点。
おそらくそのたった一つの差が競技や試合という場においては大きく作用される。
「ここまで濃度に違いが出るか……」
〝ケースメント〟で術者に最も重要視されるのは安定感。その支柱ともなるのが拡大されたオーラの濃度。
その濃さで術者のレベルが計れる。全力では無いにしろ白洞虚の高さは相当だ。だがそれすらも足元に及ばない悠霧のオーラの濃さは常軌を逸脱している。
やはりともいえる、これが名家なのだろうと思い知らされる。
「三人とも間違いなく技術レベルは高い。実技テストなら上位に食い込むのは間違いないだろう」
それぞれ満足げな雰囲気を醸しつつ、術式を継続させる。
「じゃあ次だ」
周囲に邪魔にならない範囲を見定めた夜斗はいつものように懐から呪符を三枚取り出す。
「今年の大会でも採用されるだろう競技【スポットボール】を想定した練習をしよう」
展開させた呪符は悠霧達の周囲に幾つもの光点を生成した。
「競技の詳しい説明は省くが、点在するそれぞれの的はオーラに反応して動く。色と大きさでその動きには違いがある。その事だけ頭に入れておいてほしい――スタートッ」
〝ケースメント〟によって張られたオーラを感知して光点は激しく動き回る。目で追えるものから軌跡の残像と難易度の幅はかなり広い。
「……ッ」
男子学生は苦い表情に飲まれてしまっていた。
この競技の肝は自分の目を頼らないことにある。
わざと〝ケースメント〟内でのみ活動するように設定してあることに気付けば自ずと答えに辿り着けるようになっている。いち早く気付いた女子二人はテンポよくポイントを稼いでいく。
男子学生もまた横を盗み見ることで、答えにたどり着いたようで、着実に光点を叩いていく。
全員が全てのポイントを得ると夜斗は口を開いた。
「この競技は目視だけでは攻略できない。そもそも競技会では心技体、すなわち、オーラ、術式、身体能力の合算が肝になっている種目ばかりのはずだ」
本参加は今回が初めてではあるが、知識としては備えている夜斗は定型文を語る。
とは言っても、二葉の少女を除けば彼らにとっては新鮮味のある内容だろう。特に悠霧に至っては目をキラキラと輝かせていた。
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