10話
道なき道を突き進む空御の後を追うこと数分。一度の躊躇いも迷いもなく一直線で目的地へと着いた。観戦場と同じように仮設テントは立っているがそれは文字通りの仮組程度の強度しか感じられない、古びたものだった。元からあるのか、用意されたのか定かではないが、その屋根の下に無造作に置かれたリンゴ箱は埃や汚れが付着しているが見るからに新しい。
空御が率先して箱の中を覗き込むと金柑ほどのエンブレムが綺麗に並べられている。
形はそれぞれで違い、中心にはアルファベットが刻まれている。
『さてさて、二組ともスタート地点に着いたようだね。箱の中に徽章が五種類入ってると思うけど、それぞれが役職用なのは解るかな? それを服のどっかにつけるかポケットに入れといて。競技開始と共に所持者のオーラに反応して防御術式の自動展開と役職、個体識別がなされるから――』
テントの隅に取り付けられていたスピーカーから弥の気の抜けた音声が響く。
夜斗達は黙々と音声の流れにそってエンブレムを装着していく。
「よしッ、準備完了!」
「頑張りましょうね、夜斗君ッ」
「夜斗、期待してるわよ?」
「善処はする」
「もう少し静かにできなのこの面子は……」
スピーカーから流れる無機質なカウントダウンが木々の騒めき、小川のせせらぎを際立たせ耳に残る。
中等部では座学と実技を中心とした授業内容、高等部から専門的な工学科があり、普通科も術式の応用や実技が中心。故にこうした実戦形式の授業は今日が初めてと言える。
緊張しするのも無理はない。
カウントが0を刻んだ瞬間、五人の足は一斉に動いた。
「悠霧は中立ライン手前で待機。黒須先輩と空御はそのまま前線に、南条は――」
「あたしは好きにさせてもらうわ」
葵が足並みを揃えていたのは夜斗の采配を聴くためだったのだろう。悠霧が速度を緩め、才華と空御が速度を上昇させる。葵だけは木々の狭間へとその姿を眩ませる。
――南条が人の意見を聞くとは思えなかったしな。
手綱を握ることは不可能だが、実戦の主導権までは奪われずに済んだ。夜斗の思う限りの好ましくない展開は避けられたと、内心安堵する。
「ちょ!?」
「なにか彼女なりの考えじゃないかしら、預けてみましょう」
「夜斗君、頼みましたよッ」
「ああ」
先行する空御が走ることを止め、オーラを纏うと宙へと浮かび猛禽類を連想させる鋭い飛翔へと移行する。才華も彼に追随するためフェアエンデルィングを中途開放し肩甲骨あたりから漆黒の翼を展開し飛び立つ。
「んじゃ一気に敵陣へと……あれ?」
「え」
異口同音となった空御と才華。夜斗も何らかの方法で着いてくると踏んでいたのだろうが、当人は中立エリアへの中ほどで留まっていた。
「……あまり白兵戦は得意じゃないが、足止めくらいはしてみせるか」
「っと、まさかまさかワタシの隠形がばれるとは」
大仰な身振りと言い方で物陰から長身の女性が姿を露わにした。身なりは八重学園の制服に特待生特有の装飾類。それらに見合うスタイルの良さと長い前髪で隠された相貌の半分でも解る整った容姿。
その中でも黒のニーソックスに取り付けられた日本刀が異彩を放っていた。
科学の頂点、象徴的存在が仮に形だけだったとしても旧時代の武具を持っている事、それが――空御や悠霧が属している有道十二家の一員である柳生家の人間なことに。
柳生七瀬。歴代を遡っても彼女を越える柳生は現れないと言わしめている鬼才。自由奔放でネコのようと例えられる彼女。そもそも柳生家が内向的な一族なためにメディアへの露出が極端に少ないが中でも彼女は滅多に公の場に出ない。それでも一躍有名にしたのは二年前の〝災厄祭〟においての活躍だろう。たった一度カメラのレンズを通した戦鬼の奮迅っぷりは常軌を逸脱していた。
「俺にはわざと気付かれるようにしていたと思うが?」
「アハハ、まあ一人くらい釣れたらなーって。なにせ君達のチームは化け物揃い、同じ名家出身といえども一対多だとしんどいし、こっちのチーム名家いないからさー」
「なるほど。そんな化け物の中でただの人から狩った方が数的有利、あわよくば【フューラー】だったらと」
「ククク、一人減らす目的はあるけど、実力的に君がターゲットとは思えない、かなッ」
瞬きをしている間に目の前には命を刈り取るべく光る刃が迫っていた。高速で近づいてきた訳ではない。夜斗と同じ〝拍子〟が近いのだろう、相手のタイミングや間から外れた動き。
見た目の印象は西洋騎士が強かったが、太刀筋や動きは武士のものだ。一撃に重きを置いているのではなく流れを意識している。一太刀ひとたちに隙が無く急所を的確に狙ってきている。
しかし、随所に織り交ぜてくる変化のある体術や太刀筋が真っ当な一撃を光らせる。
おそらく異能者の醍醐味とも言えるスキルの類は肉体強化系のみだろう。純粋とは言い難いが自分の身一つで戦っているのだ。
故の享楽はあっても慢心が無い。
「ああ、やっぱり強いなー」
「そりゃどうも」
軽口を交わせるとは言っても、夜斗は手を抜けなかった。〝拍子〟と自己強化術式を織り交ぜ動きに緩急をつけつつ呪符による応戦で手一杯の状況。
有道十二家において白兵戦の代名詞は光井原家だが、こと一対一においては右に出る者はいないとまで言われ、無道の黒須。有道の柳生と双璧を成している。
未だ予兆も前兆も無いが、彼女が明確な術式を行使する際は柳生家の代名詞、〝抹消〟もしくは〝分解〟を使用するだろう。
両術式共に【付与】系統に属し相手に触れることで発動する。その行為自体がモーションコマンドとなっているため、危険極まりないのだ。
「おや、考え事する余裕があるのは駄目だなー」
「戦況の把握だ」
「いやさー、もっとワタシに集中してほしいなー。消せない傷跡、取れないトラウマ並に刻みたいんだー、君に。ワタシを」
狂気すら感じる迫力。薄気味悪いオーラ。たった一秒前の彼女とは到底思えないほどの不気味さをはらんでいる。
それらに当てられたせいなのか、生存本能が嫌でも働く。死を直感するほどの極限状態に陥る。瞳孔が目一杯開き、視界の情報全てを網羅せんと脳内処理が超過駆動を起こす。研ぎ澄まされた感覚はあらゆる情報を遮断し、色を音を臭いを感覚を消し去ると眼前へと迫る刃にのみ意識を寄せさせる。
刃が水飴を通るようなスローモーションとなった。
だが、意識と同調するはずの肉体が追いつかなかった。
「な、――んだ」
唇に重石でもあるのかというほどに。
「〝遅れ刃〟己が命が散華する瞬間をとくと味わうといいさ」
研ぎ澄まされた意識が心臓の高鳴りを感知する。
しかし五月蠅く跳ねる鼓動に混じる一つ、何かが飛来する微かな音を拾い上げた。
眉間へと吸い寄せられるはずだった刃が逸れるかたちで空を切った。
「ん……目視でやっと解るってことはかなり距離があるなー」
敵の前だというのに彼女は目を閉じて数秒の沈黙を作ると、さきの狂人的雰囲気はなりを潜めていた。
「――っと!? おいおい、嘘だろ。どんだけ距離あると思ってんだ」
夜斗を守る形で飛来してきたのは水弾だった。
先行した水弾に続くように虚空から生み出るそれらは、さながら豪雨を彷彿とさせるがその威力は弾丸以上の殺傷力を持ってる。
――悠霧かッ。
術式の精度と広範囲展開は彼女のお家芸だ。七瀬もまた戦鬼としての実力をいかんなく発揮し、三六〇度全方位からの攻撃をビー玉ほどしかない弾丸を寸分の狂いなく切り捨て、最低限の動きを駆使して躱し続ける。
「いいねいいね。やっぱり名家どうし手に汗握るねー」
夜斗は突っ立っているだけではなかった。ここまで完全な援護を受けている上で惚けてなどいられない。それぞれ異なる呪符を六枚腰のポーチから抜き取ると宙へと並べる。厳かに冷徹に祝詞を捧げ、印を結ぶ。
璃音が得意とする呪術要素を含んだ発動方法。
二重詠唱。ただの学生では到底なし得られない技術を駆使して放つスキル。
「〝六法縛陣〟ッ」
七瀬の足元、腰、頭上、彼女を中心として地面と垂直に三ヶ所計六つの幾何学模様が展開される。
「ククク、対人術式でこのレベルを扱える一〇代……ッ。変わらず化け物だなーッ」
悠霧の怒涛の攻撃をものともせず軽口を叩く。危機的状況を楽しむ姿はさながら公園で遊ぶ無邪気な子供だった。
「ただ系統【付与】の術式がワタシに通用すると思ってるのかなー」
展開された陣に一切の躊躇い無く空いている手で触れる。ピキッと亀裂が入るとクモの巣状に広がっていき最後には砂塵のように風へと流されていく。残り五つも同じ結果へと繋がる。その間ものの三秒未満。
「それは通じないと思った」
相手の動きを封じる異能において最も万能であり強力、高等術式としては扱いやすい部類の術式を夜斗は囮に使ったのだ。
「だから――悠霧ッ」
声はしない。けれども濃縮されたオーラが周囲に満ちるのを強く感じ取った。夜斗が〝六法縛陣〟を展開し、それが防がる事を見越した判断でないとこの術式は完成していなかった。
視認できないほどの水粒が七瀬へと纏わりついていく。〝抹消〟の術式を発動していても追いつかない速度。三つ巴での相性は悠霧が優勢な点が如実な結果を生む。
「五節の捕縛術式〝水牢獄〟か!」
「いいや、そんな生易しい術式じゃない。それに完成したらお前なら解除できるだろ?」
〝水牢獄〟
細かな水の粒子を対象に向けて放つ。徐々に大きくなった水粒が対象を覆うように水中へと閉じ込める術式。
「アレンジだ、それも六節。気張れよ柳生の鬼才?」
大きくなるはずの水粒は防御膜の表面を濡らすだけに留めている。もし衣服の上ならば相当ビシャビシャだろう。
夜斗は即座に、備わっている防御膜に重ねるかたちで防御術式を構築すると見計らったタイミングで悠霧の術式が発動する。
七瀬を中心として水蒸気爆発が起きた。
水は蒸気へと変わる時体積が一〇〇〇倍以上になるためその増大が爆発へと繋がる。
威力は凄まじく、防御膜を一瞬で融解させた。
【クリーク】最初の脱落者は柳生七瀬となった。
「いやはや参ったまいった」
絶大な威力のスキルを身に受けてなおピンピンとしている様子が、防御術式がきっちりと発動している証拠だった。
「まさかそう来るとは思わなかったなー。君は一人で戦うはずじゃなかったのかい?」
「言っただろ、足止めが俺の役目。決め手は別だ」
「ククク、なるほど。変わった……いや戻っている最中とでも言うべきか」
「どういう意味――」
おかしかった。何かを知っている口ぶりにではなく、自分の口が簡単に開いていることに。
記憶を辿っても彼女の知識は備わっていても、面識は皆無だ。なのに古くからの友人との会話のようだった。
「お前、俺に何をした?」
「おっと、まさかこんなに早く気付くとは」
七瀬が薄い笑みを湛えると、光井原家と夜斗にしか使えないはずの〝拍子〟を用いて彼我の距離を埋めてきた。
「なぜお前がそれをッ」
「駄目だぜ、質問ばっかじゃ」
鼻と鼻がくっつく程近くへと迫る彼女の虚空へと飲まれそうな左目に意識が持っていかれそうになる。
「折角だ、この島には解樹璃音が居ないから教えてあげようかなー。ワタシの【付与】の能力さ。柳生家は本来、〝抹消〟〝分解〟といった術式を専門としているのは知っているだろう? でもワタシの場合はその相対術式、解樹璃音と同じ、〝固定〟〝再生〟〝復元〟が使えるのさ」
七瀬が夜斗の頬を勝手に撫でると、小さな痛みが走った。いつの間にか切り傷が刻まれ、細い赤の軌跡を描いている。
「……血だと」
防御術式が働ている間は肉体への直接的な攻撃では傷はつかない、当然ただの刃物や銃弾ですら防ぐ代物だ。それを突破するなど――。
あった。目の前の人物なら容易にすり抜けてくるだろう。ただいつそんな芸当を披露したのか夜斗には解らなかった。
「もう察しただろう。君とワタシの距離は……そうこのくらいなのさ意識的に」
悍ましさを醸しながらも決して嫌悪を抱けない複雑な思いを植え付けた七瀬が踵を返して戦場を離れていく。
「あまり長居はよろしくないからさー、ワタシは行くよ。じゃあね」
去り際にそう残しながら、物理的距離が開くも心の距離は奪われたままに。
感想など貰えると励みになりますorz




