26話
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――ッッッッッ!」
四月一日宗二郎だったソレは暴力を誇示するように叫び散らす。
元の体格は二メートル近く威圧的だったが、それがかわいく思えるほど高く、そして筋肉量も皮膚が裂けるのではないかというほどに肥大化していた。顔立ちも獣の様になり果て、理性の色は見受けられなかった。
本能の赴くまま、それか新たな玩具を手にした子どものように、化け物は力を振るう。
動作だけならば腕を薙いだだけに過ぎなかったが、それにはモーションコマンドとしての動きがあった。ただ、そんな簡易詠唱クラスだろうモーションには、事象改変として目を瞑りたくなるほどの脅威が込められていた。
咄嗟に回避行動をとった二人。元居た場所には何かが通過した後風切り音が鳴り、大地がめくれ上がった。
「今の何よ……」
「『空繰』」
ため息をこぼす才華。
空気の流動を操作するだけの異能のはずが、かまいたちを生むのだから才華が嫌になるのはしょうがないとも言える。
「それなら、今クラスのが連続で飛んできて、強力な術式が狙いを定めたように襲ってくるってわけよね?」
「それだけじゃない。才華が見たことないだろう――禁忌の術式が展開されるだろうな」
「その前に止めたいわね」
いくら力が増したとしても危険なく勝ちたいのは誰もが思うことだが、そう易々とはやらせてはくれないだろう。
「来るぞ!」
怒涛の攻撃に夜斗は全てすんでのところで躱す。対して才華は自力の身体能力で射線そもそもから離脱する。
神速の才華が、文字通りの血の雨を降らす。ビー玉ほどの大きさしかないが威力は折り紙付きだ。
「ンガァッ」
たった一回の咆哮でそれらは消し飛ばされ、一部が当たりはしたがかすりも傷すらも生まれない。
「これなら、どうかしらッ!」
血を手元に集約して、身長大の槍を造形する。渾身の力を込めて投擲。空を切り轟音をたてる、それすらも化け物はいとも簡単に防ぐ。
「その程度は簡単に妨げられる」
「そう言う自分はどうなのよ。私に頼っていると言うより、丸投げな気がするのだけれど?」
「……実のところ自爆以外考えていなかったからな。後、俺の術はそいつに効く程のものを放つのに時間がいる」
「前者を取らなかったことは褒めてあげるわ。――時間は私が稼いであげる。だからきちんと決めなさいよね」
「最善は尽くす」
「そこは、任せろ! くらい言ってほしいものよ?」
苦笑してから才華はギアを上げる。軌跡を描き、化け物へと肉迫する。
夜斗から受け取ったオーラが、才華の『フェアエンデリング』の底上げを一助している。操血能力も強化されたが、それは調節がてらの試し撃ちに等しかった。
次は渾身の一撃。血の弾丸ですら傷を与えられなかった肉の鎧にめり込むほどの拳を鳩尾に落とした。
地面を転がり滑走する敵が制止したのは、廃ビル五本、撃ち抜いてからだった。
「……これが」
「溺れるなよ。これは本来使ってはいけない力なんだからな」
「ええ。解っているわ。借り物に依存をしちゃいけないくらい。それで、どうなの?」
「まだだ」
「今のは不意打ちだったから決まったけれど、これ以上長い休息は――」
グオウッと襲いかかる隕石、いやあまりに巨大すぎる拳が才華の身体を棒切れのように吹っ飛ばす。
四月朔日の術式『錬金』の使い方の一種。【付与】だからこそできる芸当。
「やっぱり、強いじゃないか」
『錬金』の常識に囚われ過ぎている四月朔日家とは違う、『錬金』系統【付与】のある種正しい使い方。
「ガァガァバァバァ」
濁った声というより、もはや壊れた楽器かなにかの方が近い。そんな音からは怒りと好色が感じ取れた。獣に成り下がった者に語る言葉は無い。それは単に話し合う意味がないのではなく、話し合いの場すら成り立たないのだ。
何かを発する間もなく夜斗は殴り飛ばされる予定だった。才華のような肉体強化系の術式もない。ひたすらに、相手を倒すための術式を練っていた。だから逃げる隙など一部もなかった。
「動かないのはあれかしら? 私を信用信頼してくれてるからよね」
「足がすくんで動けなかった」
「そんな軽口を叩けるってことは私の言ったのが正解だった――のねッ!」
鉄球にも似た一撃を巻き取る様に腕を動かして、一瞬だけ停止させた。普通なら意味も無い刹那の間に才華は反撃を加えたのだ。それも片手と両足で合計一〇〇発以上。
地に伏せた化け物は痙攣しているようにも見て取れる。
だが唐突にその口に無線でもあるかのように無機質な音声が漏れ出た。
「まだ序の口って所のようだな」
「そうね」
「――『ヒカリノオリ』」
そのヴォイスコマンドから、目が眩むほどの光量が二人を襲い、網膜にすりついた白が覚める頃世界が反転していた。
「これは私にとって相性最悪よね?」
定石の術式ともなれば、異能を持つ者の大抵はそれがどういった術式で効果を発揮するのかの見当はつく。
『星の澱』は属性【光】の系統【拡張】の術式。範囲内の光を操作して相手に周囲を視認させなくさせる効果を持っている。
視界からの情報を完全に遮断された二人は、目を瞑ったまま待ち構える。【拡張】によって指定域にされたのは、かなりの広範囲だろう。そこから出るのには骨が折れる作業だ。それに逃げの一手は最悪とも言える。
どちらにせよこの場を動かずして打開しなければならない。
「そうだな。おそらく相手は俺よりも先にあんたを潰すことを選んだんだろうな。ただチャンスとも言えるのは、相手のこれが完全詠唱じゃないことかもしれない。それか、才華をこの程度でも倒せるって判断したのかもしれない」
「夜斗」
「なんだ?」
「私、舐められるの好きじゃないのよ。特に好きでもない相手には。だって――私、舐める方が好きだものッ!」
「――ガハッ」
第三者の嗚咽音が聞こえた。紛れもなく化け物のそれだった。才華がそこから追い打ちをかけるように、見えていない相手を猛追し続ける。
「――ッ」
だが相手も猛攻を受けるだけの木偶ではない。反撃として『星の澱』の本来の使い方へと変化させた。
視界を封じるのは、集団を無力化させ捕縛する時に。しかし第七層術式がそんな甘いものの訳がなく、実際の使い方はあらゆる方向から相手を狙い殺す、指向性エネルギー兵器と化す。
才華の身は焼かれ続け、そこから瞬く間もなく回復していく。味わうのは苦痛のみ。だがそれは精神を摩耗させるには十分すぎる。
それでも彼女が立ち向かうのには、夜斗の期待が込められているからだろう。
初めて彼からの頼りだ。それを無下に、答えられない、など……。
「――女が、廃るでしょッ!」
才華の攻撃が化け物を抉り吹き飛んだと同時、『星の澱』は閉じられた。
そうして間もなく、化け物の口から獣ではないまたも無機質な声が続く。
――あなた自身の欲求のために祈ってはいけない。そうすれば、あなたの祈りは遂げられないであろう。しかし、あなたが祈るとき、頭の重さのためにそうしなさい。あなたに足りない物は、聖なる存在にも足りないのだから。人は「神の高いところの一部」であるから、足りない部分が何であれ、それはまた、全体の中に存在し、全体はその部分が足りないと感じ、それ故に、あなたは全体の欲求のために祈るべきである。
厳かな詩が終了すると共に、世界に変革をもたらす。
「『大いなる業』か……それをこのタイミングで使うか。最悪だけどあんた、まだ」
完全詠唱を終えた化物に一人感嘆を返した。化物になろうとも理性を失ってもなお四月朔日宗二郎であろうとする何かが働いている。それは〝キューブ〟に求めた本当の答えなのかもしれない。
「才華ッ――先に言う。周囲は全部的だと思え。後あいつに触れるなよ、絶対に死ぬ。ついでに言うとあなたが触れられた時点で俺も死ぬ」
落ち着いた声音ではあるが表情は硬い。
「大丈夫よ。貴方がいる限り私は死なないし、負けないわッ」
ひどくくさい台詞。だが、夜斗の口角が自然と上がった。
才華が疾走し、影と血が乱舞する。
化け物の攻撃を颯爽と優雅に躱す姿はさながら舞踏会の一幕。
『大いなる業』
自身のオーラを与えた対象を意のままに操る術式。それは大地、風、果ては生物、原子まで至る全てを手中にする、禁術の一つ。『四月朔日家』草創にあたって創造された術式だったが、一〇年も経たずに禁術指定を受けた。以降、相伝はされるが使用を厳禁され続けていたその術式をいとも容易く振るう。
「グルィオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
地面が強く激しく狂ったように揺れた。しつこく群がるコバエが鬱陶しくなったのだろう。それでも、瞬く間に変わる足場を、刹那の動揺や迷いが命取りとなる選択を悉く掻い潜る。
その集中力は凄まじい。夜斗は自分の事を忘れてそうになるくらい目を奪われていた。
着実にそして確実に化け物の鎧を削いでいく。
才華の影が波打つ。
黒と赤の閃光を空へと刻む。
化け物にスキルを使わせる時間など与えない。モーションコマンドの素振りをしようものなら腕を足を胴体を落としにかかり、ヴォイスコマンドを唱えようものなら顔へ拳を叩き込む。
「ハァアアアアッ」
才華の咆哮と共に、散弾をまき散らす。体術に、影に血に、ありとあらゆる手段で相手の息つく暇など与えず、その肉を削り取っていく。
ただただ夜斗が決めるためだけの時間を稼ぐ。
もうじきフィニッシュだ。ありったけのオーラを、影を血を拳に纏わせ放つ。
「――後は任せたわよッ!」
「俺は諦めない、挫けない、折れはしない。だからここで俺はあんた事救ってやるッ!」
才華がねじ開けた希望。
――自分に出来ることはなんだ? 死力を尽くして、薄っぺらい命を絞ることだろう!
残りカスすらもかき集め。足りないなら魂を燃やせ。ひたすらに信念を信条を掲げて、それに突き動かされて醜くもがけ。
オーラの残量的に、至近距離で一発が限度。それ以上となると本当に生命をかけないといけなくなる。
――もっとだ、もっとッ!
体内のオーラを絞る様に汲み上げると比例するように身体が悲鳴を上げる。元々、器としての適正が高かったとしてもその身は人の子、限界がある。
――それ、でも、だ。
才華のためにも悠霧、空御、璃音のためにも。
「フゥ――〝誰にも理解されず、認識されず、認知されず、それでもかのモノは自身の意味を求める。孤独の世界を、生涯を歩もうとも、寄り添う誰かが居なくとも。その意味は虚空で空虚〟」
静寂が世界を蝕んだ。受け入れてもらえない事実を覆い隠すように。自らの殻へと全てを飲み込むように。
そうして侵食された空間は色彩の死んだ世界だった。
「『取り残された世界』」
「グオォオオオァアアアアアアアアアアアアア」
化け物が鉄骨と見間違いそうな足で駆ける。それを冷めた目で視界に入れる夜斗。
肉迫し、その鉄槌を二回りも小さい夜斗へと振り下ろす。避ける気配は微塵もなく、獣が勝利を本能的に確信した。
だがその拳は素通りだった。
夜斗の細身の体を腹部で両断するように繰り出されたそれは夜斗を貫通している。それだというのに、血も肉も骨の感触もない。まるで幻覚を相手しているようだ。
「グァアアアアアアアアアアッ」
何度も何度も拳を突き立てる。それら全てが空を切る。感覚で実在しているのが解っているのに、決して届かない。
無意味さをあざ笑うように夜斗の手がコマ送りと見間違うほどゆっくりと化け物の胸部へと伸ばす。平行線であり、交わり重なることは無いそれが、確かに何かを掴んだ感触が夜斗に伝わった。
夜斗が選択したのは四月一日宗二郎だったモノではなく、その身を化け物へと作り変えたソレだった。自身が振るう力の根源であり、敵の核でもあるキューブ。
「特別なんて要らない。眠っていろ――」
キューブも意思がある様に反発し、耐えようとしているが、その表面には小さな亀裂が生じていく。それらは線と線を結ぶように大きな亀裂となり――砕け散った。
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」
断末魔をまき散らしながら化け物は倒れていった。
「ハァハァ」
神経を研ぎ澄ませたままの戦闘からプツンと糸を切ったように急速に身体に重しが降り注ぐ。加えてオーラの著しいまでの低下に酩酊感を覚えて、夜斗は足から崩れ落ちた。
だが地面の硬い感触は無く程よい弾力と温かさ、まだ夜だというのに、天には明るい太陽があった。
「お疲れ様――ありがとう」
そんな優しい声音を最後に、意識を手放した。




