25話
神様とは常に平等とはよく言ったものだ。
誰にでも等しく幸せと不幸せをばら撒くし、栄光や挫折を与える。
そう誰にでも。
だから怖い。
世界を救おうとする勇者に苦難を授け、世界を滅ぼす魔王に勝機を与える。
彼らにとって世界や人というものは、くだらないものなのだろう。さながら暇つぶし用の遊戯盤か。
そんなお遊びに付き合わされる身にも考えてほしいものだった。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドドドドドドドドドドドドドドド。
謎の動悸は早まり、侵食していく。
原因は四月朔日の中で眠っていたキューブが目を覚ました証拠だった。
「アレが起動するなんて誰が考える――ッ」
掠れた嘆きと届かなかった手を空しく、それでも伸ばした夜斗の眼前は神々しいまでに地獄だった。
封印していた九十九学園から盗まれたとしても、その本体にかかった封印を解くのには一級――解樹璃音クラス――の【付与】系異能者が一〇人以上で二ヶ月ひたすら解除に徹してようやくの代物。
それが何を起因に同調し、融合し、発動したのか定かではないが、夜斗はどこかにある不確定要素に向けて苛立っていた。
才華は力の激流を直接、身に受けて呆然としてしまっている。ごく自然な事だった。今の彼女は、人にして人にあらず。獣の類だ。それをどうにか理性で押さえていた。その糸を切るには、十二分なくらいの〝力〟がキューブには備わっている。
――そのくらい承知の上だっただろうがッ。
「お、おお、おおおおおお、おおお、おおおお」
恍惚とした表情で四月朔日は天を仰ぐ。間違いなくその身に力が蓄えられている。オーラが〝力〟が秒針を刻む事に倍々に増えているのだ。
ただ単に力を授けているのではなく、器である彼をキューブに見合った形に作り変えている。
――俺のやりたかったことはこんなことじゃないッ。
自分の最高にして最悪の研究内容が、自らの手を離れて進んでいた事実に、夜斗は嘆いた。
〝キューブ〟
元の研究は、『誰にでも術式が使えるように』をコンセプトに創られた。だが出来上がった研究結果の副産物として、更級夜斗とリンクすることで【領域】直接へとアクセスすることができるモノが生まれてしまった。それはすでに副産物ではなく、メインとなり果ててしまった。当然、その事実を知るのは、夜斗の研究に参加協力してくれていた解樹璃音とその部下の一部のみ。だが、そんな金になる研究をみすみす見逃すわけもなく、部下の一人がその研究内容を持ち逃げしてしまった。
それがこの争いの種となった。
平和のために、差別の無い世界に。
自分が泥水を味わった分をもう誰にも飲ませやしない。その思いで到達した研究が、この有様だ。握りこぶしは青く。そこに滴る赤と透明の滴。
――夜斗、お前の目的は何だ?
突如、脳裏に響いた声は、優しくもあり怒りも添えられていた何とも複雑なものだった。ただ、夜斗の中にはスーッと水のように入って来た。
――それは……。
――解ってんなら、見失うな。目の前の女、はっ叩いて、目覚ましてそんで怪物退治してこいッ。――今のお前は英雄なんだ。
誰かに背中を押されたように、小さな一歩を踏み出す。身体の中に溜まった不純物を息と共に吐き出すと、夜斗は呆然と立ち尽くす大事な異性の頭を軽く叩いた。
「ボーっとするな」
「い、え? えぇ!?」
彼女のすっとんきょな声を可愛らしいと思う時間もなく、夜斗は続ける。
「幸いあれは起動途中だ」
「なら止めれば――」
「因みにそれは無理だ。あそこには次元障壁……言ってしまえばこことは違う空間が発生してしまっている。終わるまで待つしかない」
その事実に、才華の顔からいっそう絶望の色が濃く出た。
「ただその待つまでの時間でこちらもアレに対応できる力をつける」
「そんなの無理よ。アレの力は無道十家、有道十二家が総力を挙げても勝てる様な……」
仮に召集をかけたとしても、間に合う保証はない。そう言っているのは手に取るように解る。
「言っただろ最初に。俺の存在って」
「それってどういう――」
「見てれば解る」
夜斗は目を瞑り、息を整える。戦場であること頭から排除し、忘我の渦へと潜っていく。そうして意識の先には巨大な門が浮かび上がった。豪華絢爛でこの世の財をすべて詰め込んだような装飾。しかしそれを纏う扉自体は古びた木製であり、今に朽ちてもおかしくないほどだ。
その扉にある閂に触れるとおもむろにそれは開錠される。まるで長き眠りから覚めるように。
「自分の手でお前を開くことになるとは思わなかった」
扉の先にあるモノが答えるわけもなく、ただ長く連れ添ったからこそ湧く愛情とでも表現すべきか。そうして、伸ばした手を掴むように掴み返して扉から引き抜く。
「ふう……」
夜斗は肩の力を抜きゆっくりと瞼を上げる。視界に入った化け物は未だにその力の奔流に呑まれたままだ。だが数秒前と違い、恐怖や怯臆は微塵も湧かなかった。
「な、に……これ」
才華の瞳孔が開かれ、口はパクパクと水を求める魚のようだった。間違いなく、夜斗のオーラの総量が数倍にまで跳ね上がり、無色透明で透き通ったオーラから色味は変化ないが、水底の様な重さが加わっているからだろう。
「これが俺の本来のオーラ。元はこの術式――あいつの持ってるキューブの中身を抑え込むのに使ってた分だ」
「待ってそれじゃぁ、まともに異能が行使できないっていうのは……」
「ほぼほぼ事実だ。正確に言うなら術式制御と術式を抑える力技作業に俺の回路を使ってたからな」
「俺の回路?」
「言ってしまえば、俺自身を封印術式にしているんだよ。俺を殺せば術式は封印を解かれるが、それと同時に術式は崩壊する。かと言って術式を無理に引きはがそうとすれば、俺が死ぬ。そうなれば……言わなくても解るだろ?」
そんな非常識――そう顔には書いていた。才華がなんなよそれ、と首を横に振り続ける。確かにそんな事をする必要が一〇代に――まだ人生の一〇分の一程度しか歩んでいない少年に必要なのか、と問われたら鼻で笑って、無い、と言える。それでも、夜斗には意味があったからこそ、そうしたのだ。
「まあでも例外的に……今回は勝手に中身が出てきた。ただこの術式にアクセスしているのは二人なんだけどな」
「どうしてそんな危ないことが当たり前にできるのッ!? 過去に貴方をそうするきっかけがあったのは解るわ! それでも――それでも……」
「だからこそ」
才華の泣き出しそうな台詞を呑むように夜斗は優しく重ねた。
「何がだからこそなのッ! もっと解る様に言ってッ!」
外聞なんて気にしないこれが彼女の素なのだろう。吸血鬼化し理性と本能が逆転し、怪物を目の当たりにして彼女の鎧が良い意味で剥がれ落ちたのだ。そこには恐怖に怯え、怒りに震え、愛に苦しむ、ただの少女しか居なかった。
「俺にはこれしかないんだ。誰かを守るためには何か犠牲しなきゃいけない。なら俺がなるのが正解だろ」
パチンッ――乾いた音が響き、乾いた地が潤った。だがそれは優しさには満ちておらず悲しさだった。
「正解? ふざけないでッ。夜斗の考えは間違いよ、間違いだらけッ! もし合理的なんて言ったらあんな化け物が貴方を殺す前に私がここで手を下すわッ」
才華が夜斗をギュッと力強く抱きしめた。仄かな熱と涙の冷たさ。女性の線の細さに柔らかさ。
「だからお願い。自分だけを、って言わないでぇ。私を頼ってよぉ」
泣きじゃくり嗚咽交じりの声が どうしてここまで通るのか夜斗には理解できなかった。
いいや、解ろうとするのが間違いと、そう教えられたじゃないか。この胸にある熱だ。もっと感情に委ねてもいいじゃないか。
答えを出したそれが誤解でも、それは昨日までの問題だったなら。今日の問題ならそれは正答だろう。
「俺の好きになった女はどうして総じて我儘なんだ。我が強すぎるだろ……」
独り言ちて夜斗は才華に手を回し、彼女よりも強く力を込めた。答えがそれしかないのなら、それが最善なら、そういった定式の回答ではない。黒須才華とならというもっと人らしい答え。
「なら頼るぞ。俺の重しを半分背負ってくれ」
「ええ、任せなさい」
その言葉を皮切りに、才華が夜斗の首筋に牙を立てた。それが自然で当たり前かのように。
夜斗の中にあったオーラが才華の中へと流れ込んでいく。
才華の顔に苦悶の表情が張り付く。
オーラの性質の違いに、莫大な量。丸いパイプに無理やり四角いモノを押し込むようなものだ。それでも彼女は耐える。背負うと覚悟したのだ、この程度まだ序の口。
それにこうして抱き返してくれる男の、細いが真っ直ぐな芯がある。がっしりとした身体が支えてくれている。
温もりが恐怖を和らげてくれている。そう感じるだけだもっと頑張れる。
そうしていったいどのくらい経ったのだろうか。お互いに名残惜しむように抱擁を解き、対面した。目覚めた化け物と。
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