24話
曇天の空と将棋崩しのようになっている灰色の街並み。モノクロの様な世界で唯一の色彩は、長身で程よく筋肉のついた短髪の男と、中肉中背、長めの黒髪、全体的に陰気を纏っているしかし明確に色味を持っているともいえる強さを醸す少年。
「先輩、あんたは中途半端に知り過ぎだ」
「どういう意味だ?」
夜斗と四月朔日は手を休めることなく、冷たく静かな双眸と訝し気に睨む眼を激突させた。
「それ、です」
夜斗が指したのは四月朔日の胸部。目には見ないが確かにそこにある物体。
「ここにキューブとそしてこの場所というゲート。この二つで【領域】の深淵に辿り――」
期待を裏切らず、彼の口からゲートの言葉が出てきた。
鍵と扉。そうして生まれる結果である中身すら四月朔日は認知していた。
だが、夜斗はそれを切って捨てた。
「それが間違いなんだ。確かに九十九学園に鍵であるキューブ、ここ陥落街にはその扉であるゲートが存在している」
「なら何が違うというのだッ! オレは何も見落としていないッ! 完璧だ、完全だ、これで完成だぞッ!」
「俺の、『更級夜斗』の存在」
激昂する四月朔日をよそに、そよ風でも受けるように静かな夜斗。
「何?」
「おそらく〝鍵〟の在り処を九十九学園だと探知系の能力とかで調べたんだろ。でもさすがに璃音の庭の中で足をつけずに全貌を窺うのは無理。そう判断して地下の秘密部屋にあると仮定してその位置を割り出した」
「ああ、そうだ。そして間違いなく〝鍵〟はあった。そうしてここにある〝鍵〟の証が目に見えないのか!」
四月朔日の手の中にもう一度出現し煌めく拳大のキューブ。だがそんな小ささとは裏腹に、それはここにある人、物、存在よりも次元が違う。内包するそれは人が作り出せたとは到底思えない代物。
「見えない。俺にはそれが本物には断じて見えない」
「フフフッハハハハハハ。エンジニアともあろうものがそれすら解らないのか! 何が解樹璃音の弟子だ。何が中途半端に知り過ぎだ、だ。愚か、いや滑稽すら越えて哀れに思うゾッ! ――貴様に俺の世界に住まう権利は無い」
――間違いなく飲まれだしているな。
夜斗の言ったことに嘘偽りはない。ただ相手を煽ったのだ。
キューブを取り込んだ四月朔日は実際、逆に飲まれているのだ。そしてそれは水が低きに流れ落ちるように、終わりへと到達するまで止まることを知れない。
四月朔日が無造作に手を前へと突き出すと、夜斗の周囲の地盤が変化を起こす。隆起し、鋭利な人間大の杭が七つ生まれ、それぞれが対象を抉るべく突撃。
「――『束縛』」
皮膚の薄皮は持っていかれたが、凛とした声と共に致命傷になる一撃は全てすんでのところで止まった。
雲間から差す月光が一直線に降りるその先。
「あら、何を言っているの? 夜斗は私との世界に住まうんだから、元から関係なんてないわよ」
冗談半分だと信じたい夜斗であるが、ピンピンした濡羽色の少女が茶目っ気たっぷりにウィンクした。それと同時に束縛していた、杭が半ばから陰によってへし折られる。
月明かりを一身に受けるのは、黒のドレスで着飾った黒須才華。しかしいつもの彼女とはかけ離れていた。深紫色の瞳がマグマのように赤く燃えている。
どうやら、ぼろ雑巾のように倒れ伏せていた傷は完治したようだ。
「おい。誰がそんなことを」
「黒須才華、貴様がどうして動ける。あれほどの重傷だぞ」
夜斗の苦情を誰もが故意的にあるいは無意識に、無視した。
四月朔日が心底から驚いた様子で目を見開いている、その先。夜斗への攻撃をその影で縛りあげ、自身の傍らには赤い液体が漂っている。黒と紅で着飾った少女。
「そんなの決まっているじゃない。私がそういう異能者だからよ。ついでだから言っておくわね。私を縛り付けていいのは夜斗だけなのよ――ッ!」
鉄臭い赤い液体――血が、才華に鳴動するように形を変え、四月朔日へと獣じみた瞬発力で襲いかかる。
四月朔日を守るために土壁が形成されるが、その一メートルはある厚さを、パウンドケーキと言わんばかりに簡単に貫く。
「ッチ」
舌打ちをこぼして四月朔日が大きく後方へと飛んだ。
「なら、その男と一緒に果てろ」
土とコンクリートを変化させての全包囲攻撃。規模が初手とは違う殺意の籠ったスキル。夜斗と才華両方への対処。才華はともかく、夜斗がこの一瞬で術式を展開することをできないのを知っているのだろう。彼女もまた夜斗が身を守る術を持ち合わせていないことは承知済み。
才華が力づくで夜斗を身の下へと丸め込み、影で包み込む。さながら薄皮饅頭だ。身体を張って夜斗を庇う。その細身の一身で全てを受ける。辛うじて急所への攻撃は、『操血』でいなす。
「痛いわね……でも破瓜よりかはましなのかしら?」
「ちょっとはふざけた口が閉じるかと思えば……――ッ!」
「残念ね。塞がるのはこっちよ」
激昂する四月朔日をよそに余裕綽々で冗談すら叩ける才華の傷はみるみるうちに修復される。まるで逆再生されるビデオだ。
影の皮が剥けてから彼女の足元で夜斗は唖然としていた。ローアングルで覗く黒のショーツは置いといて、その圧倒的回復力に。
「これが私の本来の、異能の一端よ」
黒須家専用術式『フェアエンデルィング』の基本構造は、術者に別の生物の特性を与える、系統【付与】に属するものだ。
だが一族の中で選ばれた者のみ、その生物である媒体が少し異なってくる。
才華の『フェアエンデルィング』に組み込まれた生物は架空の存在。血を吸い、影を操り、傷が一瞬で完治し、異常なほどの身体能力。
伝承の中で語られる生物――吸血鬼。それが彼女のモデルだった。
「ほら、この通り」
血生臭い戦場だというのに、そこが彼女にとっては舞踏会と言わんばかりにくるりと優雅に回る。逆に戦場に慣れていないからとも言えるのか。
「そろそろお開きにしましょうかしら。私、王子さまが来ると頑張っちゃうタイプなのよ」
世界から才華が消失した――いやあまりにも速過ぎる故に目が追いつかないのだろう。
四月朔日が間抜けなくらいに首をあらゆる方向にもっていく。それでも赤と黒の軌跡の尾がほんの一瞬、視界に偶然入っている程度でしかなさそうだ。
そもそもとして、須家の体系上、光井原家の異能者自身を強化するという信念を手っ取り早く、且、人の限界を超える目的のため、生まれた一族。
そのため黒須家は廃れることなく、名家の中でも単純に強力で知名度が高い。別の意味合いとして、一族全員が〝美しい〟という点も少なからずあるが。
中でも逸脱した存在。黒須才華のヴァンパイアの性質上、夜というのは鬼に金棒だろう。
伝説の皮を被った黒須才華が四月朔日を圧倒していた。
「くそが。クソガッ、クソガァアアアアアアアアアアッッ――――ッッッ!」
四月朔日が血しぶきをあげながら苛立ちに任せて吠える。
話す、見る、書く。といった動作と同じで異能は行使される分、素が化物の才華に到底追いつかない。術式は途中で止められれば、式が破綻して空中分解する。さらには消費したオーラは返ってこないため心身の疲労はかなり高い。
そんなのはお構いなしの才華。術式自体はもう世界を上書きしている。そこにいる黒須才華は既にヴァンパイアだ。
口にするだけ無駄な争い。
「クソ――」
トクン、トクン、トクン。
疾駆、打撃、絶叫。それらの音に飲み込まれている場で、その音色とも叫喚とも聞こえる何かが水を打つように響き渡った。
勝利目前での異様さに足を止めた才華。
その停滞の間近で夜斗は行動に移していた。それでも届かない。拍子は相手の意表突くことに長けた戦法であり、足が速くなるわけではない。
嫌な動悸が身に走る。それが周囲を刻一刻と支配している音なのか、自身の焦燥の激しさなのか、肉体的疲労による胸の痛みなのか。
それとも……――全てなのか。
結局。どう足掻いたところでこの現象を止める手立てが何一つない。だからこそ夜斗は、声を大にする。喉が引き裂かれてもおかしくないほどに震わせる。
「駄目だッ。誰か、あいつを殺せぇえええええええ」
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