23話
明けましておめでとうございます。これからも末永く、不定期更新と化していますがお付き合いしていただけると幸いです。
「なあ、夜斗」
ビルを縫うように滑空する空御が、同じく彼の術式により飛行する夜斗に投げかけた。
「なんだ?」
「お前はどうしてあの人を、黒須才華先輩を助けようとするんだ?」
「気になるからだな。俺は璃音の術式で記憶操作を受けて学内の印象は最悪だっただろ? 空御と悠霧はそもそもとして術式外の存在。俺の護衛や友人として接してくれていた。だから目につくようないじめは無かった。一二家を敵にまわす面倒なことは避けたいだろう、普通なら」
この一年を思い返す夜斗は珍しくも柔らかな顔をつくる。振り返った思い出は世間からみれば辛いことが大半であり、逃げ出せば終わる事ばかり。その手段も力もあってなお、しなかった。そこには当然自分に『縛り』があるからだがその支えの一部となったのが黒須才華だった。
「その環境で俺に真っ先に近づいて、ある種一番長く接してくれたのが黒須先輩なんだ。最初は俺のことを間違いなく嫌悪していただろうけど興味が勝ったのか、色々と話す場面が多くなって、接している内にそういった感情が払拭されていたんだと思う。でもそれは今さらな考え方でしかなくて、当時の俺はそれが演技だと信じていた」
信じないといけなかったからだ。そんな善人が居たとして報われる訳がない。植え付けられた嫌悪が連鎖して彼女へと本物の憎悪が向けられるかもしれないと。
だからこそ目を逸らし続けた。
その優しさが嘘で偽りで自分を嵌めるための罠だったらと何度も何度も自分に暗示を掛け続けた。
「でもそれらは全て言い訳で、璃音の術式が解けても黒須先輩は変わらなかった。だからこそそれが本物だと気付かされた」
「……」
「そんな彼女が死地に居るんだ。もう偽るのは終わりにした」
静かにただ友人の独白を耳にしていた空御が仄かに笑った。
「なんか、昔を思い出すぜ。お前がまだそうなる前。それこそ幼少期の時だな初等部で天才なんて称されてたオレとエンジニアの逸材と言われてたお前。その時にはあった熱が感じる」
今では想像もつかないくらいに熱を持っていたのは夜斗自身も覚えていた。
「ありがとう、空御――それじゃあ行ってくるッ」
友人の術式圏内から出ると夜斗は自然落下に身を任せた。風圧が適度に熱を奪い去っていく。
眼下に広がる光景は変わらずも灰とほんの少しの赤に飲まれている。その中で一点は黒と白のコントラスト、遠目から見ても解るほどのモノクロが逆に鮮烈さを生み出している。
――黒須先輩。
心中でその名を呼んで夜斗は物語の渦中へと潜り込んだ。
□
「ハァハァ」
今にも才華の心は折れそうだった
届かない声を届けたい。そんな不安に駆られた思い。どうしても叶わないであろう願いと敵わない相手。『かなわない』という二重の枷で自らを押し潰す。いったいどうすれば、この窮地を乗り越えられるか。混濁する意識はそれらの考えすらさせない。
――せめて、一度だけでも……。
声にならない声でひたすら彼の名を呼び続ける。
色は乗っている。そこに確かに音はある。
だから。
諦めたくない。
才華は全身に力を込めた。血が肉が骨が沸騰するように熱い。溶けて無くなりそうで、儚く脆く壊れてしまいそうだ。けれどここで勝って帰るんだ。
――いいえ、何度だってッ。
才華が今負けたくない理由。ひどく単純で浅はかかもしれない、それでも自分がこうして立つ訳をつくるならば、たったそれだけで十分だった。
なら、なりふり構っている場合ではない。
「『フェアエンデ――』」
術式の起動コマンドを半分ほど口にした時だった。色彩の乏しい街並みの中でも、一際、色味の無い黒い塊が宙から落下してきた。才華にとってその色は自分のパーソナルカラーでもあり、最愛の色でもあった。
「夜、……斗?」
溢した気持ちを落とさないようにと、戦場へと舞い降りた夜斗が背中越しに振り向いた。
「あなたは色々といつも無理をし過ぎだ」
抑揚の乏しい声だが、夜斗の優しさが滲んでいた。
「更級か……お前はあの時に折れたと思っていたんだがな……」
見下ろす形で崩壊しかけのビルの中腹に四月朔日が威圧的に佇んでいた。
「残念ながら。どうも人という生き物は転んでも立ち上がれるように出来ているみたいだ」
「ほお……何がお前の背中を押したのか、はたまた杖の役目を果たしたのか知らないが」
一拍置くと四月朔日が、もう一度口を開く。
「その種火を掻き消す」
「やってみろ」
啖呵を切った夜斗に合わせて四月朔日が術式を展開する。
大蛇のようにうなる地面が夜斗を捉えんと脈動するが、全てが的外れの座標だ。
それもそのはず。
夜斗は拍子を使っていた。
まともに異能を使えない彼が、対抗する手段の一つ。
「ッチ」
「あなたは、どうしてこんな――しょうもない事を起こす?」
「しょうもない、と。馬鹿だとお前は言い切るか……」
「ああ。ただなんとなく想像は出来る。実技の時に言っていた、術式の完全公開と使用権限の緩和。
最初はふざけた思いやりだと捉えていたが――あなたのソレはエゴだろ」
刹那、四月朔日の異能が荒々しさを増した。子供が駄々をこねるように周囲にその脅威をまき散らす。幸いなことに、彼我のやり取りを囮にして才華を四月朔日の攻撃圏内から外していた。
「やっぱりな。これで確信が持てた。……あなた本当に四月朔日家の人間か?」
「黙れえええええええええええええええッッ!」
間違いなく虎の尾を踏んだ。絶叫で掻き消されるが、静かな声は続く。
「四月朔日の人間は、物質変換――現代のアルケミストと表されるその能力は系統【拡張】ばかりだ。遺伝でそう調整されている……そのはずがどうだ」
「だから黙れっつってんだろおおおおおおおおおッッ!」
「あなたのそれは【付与】だろ?」
これまで彼が行使してきた異能は、『錬金』で間違いない。地面に手をつける、この動作もそういうモーションコマンドと思えば系統の枠のどれであっても違和感はない。ただ、四月朔日家は総じて【拡張】の異能者集団という先入観が四月一日宗二郎も【拡張】なのだと誤信させていた。
しかし、先の術式の乱れとも言える荒々しさが物語っていた。【付与】特有の感情によるスキルのムラと範囲の狭さ。
「――……、…………ああ、そうだ。俺は系統の適性が【拡張】ではなく、【付与】だ。それと一つ、訂正だ。俺は正真正銘、血筋は四月朔日家のモノだ」
夜斗はスッと流れるように足を止めた。四月朔日もまた王者のように君臨していたビルより降り、互いに目線を水平にとる。そうして訪れたのは静寂だった。互いに攻撃の手を休め、いや、おそらく戦うための準備とも言える動機の探り合いを開始したのだろう。
「生物において突然変異に近いものらしい。四月朔日家は体外受精で誕生する。その際に色々と弄り、『錬金』ひいては、秘匿術式、専用術式に適性のある身体へと変質させる」
アゲハのような、強化人間を生み出す際の技術を応用したものだ。今では、子供は自然的というよりも人工的にデザインされてしまう時代。とは言っても資金的に一般家庭でおいそれと手が出せる代物ではない。裕福な家庭――名家などにのみ許された手段だ。
「しかし、母胎に戻された時に何らかの影響があったようで、俺は【付与】の適性値がずば抜けて高く、【拡張】は悲惨な結果だった」
「――」
「だが、俺自身は淘汰も、虐待もされなかった。本家の一人息子――跡継ぎは俺しか居なかった」
四月朔日の静かな自白にゆっくりと熱が籠っていくのが、夜斗には解った。
「その代りに母が……」
尻すぼみになる台詞の中で綴られた結末は聞くに堪えないモノだった。
四月一日宗二郎の母親は外部の人間らしく、遺伝子の組み換えが容易であり、父親との子が優秀な存在になる確率が極めて高い女体として選定されたらしい。
故に、両親の間に愛など無く。夜伽すら皆無のまま、子供――彼が産み落とされたのだ。
しかし結果として生まれたのは【付与】の逸材。求めれれた素材は決して出来なかった。
その苛立ちや、怒り、不満、あらゆる負の感情の向かう先は最終的に母親へとなるほかない。
「けれども母は強かった。体裁の為だけに敷地内の隔離部屋で一人静かに暮らす母の元に、俺は、何度も訪れた。訣別のために。一回でも罵倒され罵られれば……、なのに疎まれて、恨まれてもおかしくない俺を優しく愛してくれたんだ……あの人は」
四月一日宗二郎の怒りと悲しみに混濁した表情で、眼はひどく濡れていた。震える肩を叩くだけでもその器から零れ落ちてしまいそうだ。
幼少の頃から母と接していた四月一日宗二郎は、我慢や忍耐している状態が、強さなのだと思っていた。
だからこそ学園での凛々しい彼とはかけ離れていた。もしかしたら今の姿が本質であり、公的な場でみせている姿は仮面を被った偽りかもしれない。
「それが、……それなのに。たったそれすらも、あいつらは――ッ」
奪っていった。そう言いたいのは痛いほど伝わってくる。
人であれ、物であれ、出来事であれ、自分から大切な何かが失われていく喪失感は、言葉には言い表せない空虚が心にできてしまう。
それが、彼の場合は考えるまでも無く、親族だろう。
「母が何をしたというんだ、罪なんて無い、悪事すら起こしていない。恨むことも嘆くこともせずただひたすらに耐えて耐えて……」
「それはあなただ」
「――何?」
四月朔日の独白を阻んだ機械の様な声と無機質の感情。
「あなたが、母親と親しく関係を結んでいること自体が悪だ」
「そんな当たり前をお前は駄目だと罪だと言うのか!」
「ああ。だからそう言っている。あなたの環境において、世間での当たり前や常識は敵なんだ。築くべき親子の関係すらも――そういった制約や研鑽、時には権謀術数で家を大きくする。だからこその名家だ。……そんなことも知らずに、あんたは、のうのうと生きていたのか」
そもそもとして環境や身分が違う人間が世間の普通を味わえる訳がないのだ。
更級家の一人として生を受けてからと、璃音の元での生活。あらゆる環境、状態がその時とは打って変わってしまった。薄れていく記憶中でも鮮明にそして鮮烈に焼き付いている瞬間。自身の異能の暴発による家族の殺害……。あの時程、無知な自分を強く呪った日は無い。
過分に自虐を含んだ夜斗の応答を挑発、もしくは嘲笑とでも取ったのだろう。対面する四月朔日の静かだったオーラが激情の坩堝と化した。
「もしそうなら、滑稽すら通り越して――」
蜜柑の薄皮を割くように頬に一線が引かれるとその端から血が滴った。
「それ以上喋るなッ。これは静聴していた分の恩だ……次は無いぞ」
「ああ。それには同意だ。これ以上、話したところで平行線――察しはつくが俺からしたら動機すら未熟だ」
再開された戦闘は先の戦いと同じだった。しかし、互いに胸に秘めた思いの温度が違った。
冷たい劫火へとくべられる燃料がゆっくりとしかし、着実に夜斗を追い詰めていく。
――〝拍子〟の感覚が効きづらくなっているのか……。やっかいだな。
人はある一定のリズムをもって生きている。その隙間を縫い、巣食うのが拍子の基本。
例えば、瞬きをした瞬間。瞼が降りた時にのみその身体を動かす。相手が自身を捉えている時間は、動かない。その緩急により生み出されるのが〝拍子〟の一つの形態。
だが、そのリズムにズレがある場合、その効力は失われていく。
「「ッチ」」
徐々に追い詰められる焦燥と仕留めきれない苛立ちが交差する。
「あんたに教えといてやる……何をしたところで、本質は変わらない。ましてや、無くしたものが戻ってくるわけでもない。異能の力がいかに万能で奇跡と呼ばれようとも、完璧ではない」
押し問答と解っていてもジリ貧になるのが目に見えていた夜斗はそう言った。
「俺が変わらない? そんなことは無い。俺は変わり、世界を変える――そうして、喪失した全てをこの手にッ!」
呼応するように忽然と姿を現したのは、仄かにそれでいて力強く発光する正方形の物体。
それこそまさしく、学園の地下より盗み出したキューブそのもの。どこかに隠していたと思われていたものが忽然と表へと出た。
「あんた……それ」
合体……いいや、融合が近い。
出現時にオーラを感知できなかった。即ち、異能による能力ではないのだ。それに加えて、夜斗はそれをよく知っている。
――感応現象。
「――いったい何時から取り込んでいる」
「奪った時からだ」
瞬時にキューブが消え失せた。おそらく、体内に戻ったのだろう。
「更級。これが俺の答えだ。キューブの力をもってして、この腐った世界を変革する!」
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