19話
夜斗が璃音を神殿内部から連れ出し、救急病院へと到着した頃にはとっくに日は跨いでいた。
幸い命に別状はないが、無理はできない状態と診断され、彼女は個室に運ばれている。その間、片時も璃音の元を離れずに居た夜斗の表情は曇りきっていた。
「おい、夜斗。んな顔すんな。あたしがこんなんで殺られるタマに思えっか?」
普通なら軽口で受け取れるが、今の彼女の姿を見る限りはそうはいられない。ベッドで上体を起こすことも出来ないままの弱々しい顔は、無理をして作っているいつもの挑発的な顔だ。
本来なら強引にこじ開けられた封印の副作用で、多大なるダメージを身に受けて意識が無くてもおかしくない。さらには駄目押しと言わんばかりに四月朔日からの攻撃を喰らっているのだから安静にしていてほしいのが夜斗の心境の一つだ。
だが、彼女の目は決してそんなことを言うなと物語っている。
「……」
だからか、夜斗は口をつぐむ以外の方法が思いつかなかった。
「なぁ夜斗。お前は黒須才華のことどう思ってんだ?」
「え」
唐突な話題に夜斗の口から自然と疑問符が漏れた
「端的に言え――ゴホッ……ぃえば、好きか嫌いかだな。〇か百」
「解らない。俺には解らない」
自身の気持ちを形に出来ていない所を璃音が薄く笑う。
夜斗の中で黒須才華という人は大きくなっていた。心を閉ざし、今の関係を維持することに精一杯だった。そこには偏に、今も昔も変わらない臆病な部分が点在しているからだ。だからこそ守るべきものを絞りそれに尽力していたと言える。なのにそこに彼女は現れる。何も知らないのに。
知らないからこそか。
「なら教えてやる。あいつはお前のこと全部知ってるぞ」
「……」
「それでもあいつはお前と寄り添うことを選んだ。近づくことを、理解することを、黒須才華は躊躇いもなく、な」
璃音が思い返すように独り言ちていく。
これは医務室での会話の続き――。
「あいつは人殺しだ」
璃音はまずそう言った。どこでだとか、何時だとか、誰をだとか、そんな具体的なことは後にまわして、端的に黒須才華に更級夜斗の過去の経緯を語る上での準備として告げたのだ
それを聞いて何かしらの感情は誰にでも浮かんでくる。感情とは情報であり、璃音の十八番でもある情報収集が仕事をする。相手の表情や動き、呼吸、オーラの乱れから大体の事は容易に想像できる。特にこういった現実だが非現実的なことを言った時には、虚偽、憎悪、恐怖、同情、興奮など様々な姿をとる。
「そうなんですね」
しかしこの黒須才華という少女のなかにはそれらの感情の色はなかった。むしろ無関心というのが強い気がした。とはいっても夜斗に対してそうなのではなく、彼の人生の一つに過ぎない、早く続きを聞かせろ、と言っているように思えたほどだ。
「驚かないんだな――」
有り体な言葉を選び、さもおかしいと言外に伝えたが、彼女はにっこりと笑みを浮かべるだけだった。
「――あいつは、二年前の〝災厄祭〟の日に家族を自分の手で殺しちまったんだ。その日からだ、あいつが、ああも無関心になったのは。幸いあたしが身元保証人としてあいつを引き取って育てていたが、まあいかんせん、心を閉ざした――いいや、あの場合。心がこれ以上壊れるのを防ぐために、そう処置せざるを得なかった――か。それ以来、夜斗は食事をとることもせず、活発だった性格はなりを潜めた」
亀裂の入った心をテープで、接着剤で、がんじがらめにしたのだ。動くことすら、中を見せることすらしない。全てを覆い隠して自分自身すら殺した。
璃音はひたすらそんな夜斗の面倒を見た。初めは食事すら受け付けられない身体だった。それは両親を殺してしまった時のことをフラッシュバックしてしまうからだろう。食用肉が、嫌でも死肉にしか映らない。
衰弱死はないが、人としては死んでいるとも言える。そう懸念を抱いた璃音は、ゲロを吐こうが、抵抗しようが、夜斗の口に食事を詰め込んだ。胃袋に入れるまで、決して食べるという作業を終えさせはしなかった。
「あいつはあらゆる災難を自分のせいにしたんだ。それは、偶然すらも。んでもな、あいつは廃れることは無かった。目は諦めてなかったんだよ。そんな時だ。あいつの中で何かが固まって動き出そうとした時だ。あいつは異能を使うことをやめて生身の身体で対抗する術を教えてくれと言ってきたんだ。そん頃の目は今でも覚えてる」
一三、四の子供がみせるような表情ではなかった。有無を言わせない、拒否権を許さない、そんな追い詰められた顔。
「だからあたしは、あたしの、解樹家の知識である術式構造と、お前も知ってるだろう、あの瞬間移動。その二つを教えることにした」
不意に投げかけた問いに興味を示した才華が喰い気味に頷く。
「後者から答えてやると、あれは歩法の一種だ。あたしの伝手で光井原家の道場に、夜斗が異能者と教えた上で送った」
光井原家――一二家の一角。その強さは集団、個人問わず白兵戦最強の一族。その教えの初歩は異能を使わずして強くなること。どのような環境でも戦えるべく、武器よりも武器を持つ者を先に強くすることに重点を置いている名家だ。
「現在日本の軍隊格闘術の基礎となっている一族ですか……」
才華の口から自然とため息が漏れた。
璃音自身が窺うことは少ないが、公式、非公式問わず夜斗の格闘戦は同じ学生の範疇を軽く逸脱しているのは知っていた。しかしこうして学内でトップ五に入る実力が認めているという事実を目の当たりするとやはり夜斗という男は異常なのだと痛感する。
「それに加えて、異能、術式の知識……反則級ですね」
「でもそこまで到達するのにあいつは一年間以上死に物狂いで特訓した。偶然すら完膚なきまでに叩きつぶすための努力をし続けた」
才華の表情が陰るのと同時に、璃音もまた彼女と同じであろう感想を余儀なくされる。
「まるで兵器……大戦時の異能者のようなストイックさ――」
「そうだ。あいつの決意は自分を殺すことだった。自分のためじゃなく、誰かのためにただ、ひたすらその身を動かす。結局、あいつは逃げたままだった。悲しむことを怒ることを糧とはせず、放棄することを選んだ」
けどな、と付け足して璃音は少し柔らかくなった口調で続けた。
「それじゃあ駄目だと思って、異能とは関係ないモノを与えることにした。その一環で本だ。なんでも読ました。児童書から経済雑誌、漫画にライトノベルあらゆるジャンルを手に取らせた。ライトノベルに至っちゃ、ド嵌りだったな」
これまでの時間の差だろう。才華が夜斗の読書シーンをみても事務的にしか映らなかったが、璃音からすればライトノベルを読んでいる時の夜斗の顔は無表情ではなかった。
「日常の中の非日常や、異世界冒険譚、何も能力のない男女の恋愛模様。あいつの中でずっと中心にある異能なんていう厄介なしがらみとは無縁の世界。それがひどく綺麗に明るく映ったんだろうな。目を輝かせながらページを捲ってたのを今でも強く覚えている。それからだ、あいつがあいつ自身の時間を作って本を読みだしたのは。――〝もう後悔を見ないふりなんてしない、今周囲にある大事なものを守れるだけの小さな力をオレは望む――〟」
「〝――進む先が茨だろうと、掛け替えのないモノを失う痛みの方がよっぽど痛いから〟ルクセンハイド・ヴァイルレスターが一巻の四章で、攫われた幼馴染みのヒロインを助けに行くときに呟いた一言ですよね」
夜斗が読んでいるライトノベル。ファンタジー世界での冒険を描いた物語で、主人公が典型的な王道タイプ。根性論を最大の武器と言っても過言ではない男が、あらゆる苦難を乗り越えていく様が痛快と人気の作品だ。
「ほう。お嬢様があんな娯楽物に詳しいとはな」
「私も昔から本などは読みますよ。ただライトノベルに手を出したのは夜斗の影響ですね。最初は彼の興味を引くために内容を覚えて、夜斗との話題に出来れば良いな程度でしか考えていませんでした」
苦笑交じりで才華がその時のことを思い出すように語る。
「それが私も嵌ったんですよ、あの冒険譚に。夜斗とは真反対と言ってもいいくらいに社交的でポジティブで、それでいて目の前のことを放っておけないお人好しの主人公に。おそらくですけど、それが影響したんじゃないですか?」
「中々に目ざといな。そうだ。あいつは足りないものをその主人公から学んだ――しかし結論は狭くてな、今ある周囲の人間を大事にするってとこで止まった。まあまだ機械から生物に変わっただけましか、と思った。思ってしまったからこんなことになったんだろうな。あたしはあいつの願いを叶えてしまったんだ。〝今あるものを無くさないために他を切り捨てる。だから俺のことを消してくれ〟ってのをな」
言葉通りの消してくれ、ではないのは今現在彼が生きているのだから誰にでも解ることだが、璃音は当時を振り返ってみれば、なんと恐ろしいことをしたのだろうと身震いすら覚える。夜斗に関する記憶を学生から消去するのは容易いが、夜斗は九十九学園での生活が残っている。
そうなれば、消したところで術式の効力が薄れていき、半年も経たないうちに思い出してしまう。ならばいっその事――璃音が選んだのは彼の評価という記憶だった。誰もが彼の事をまともに話題にすらしないほどに最低最悪にしたのだ。その甲斐あって彼に対して近づこうと考える学生というのはゼロになった、黒須才華を除いて。
だが、近づくという解釈もまた複雑なもので、好意や友好は無かったが、彼への嫌がらせや苛めが起き出した。その措置として、当時から頭脳でのし上がっていた南条那由と同じ技術者――その中でも学生の範疇を越えている、と名目を置き特待生として扱うことにした。
そうなれば、一般学生が手を出せばどうなるかなどは簡単に推測できるわけで、国家の予備資産に危害を加えようとする者は居なくなった。ただ陰湿なもの――無いような噂やデマが蔓延るが、当人は気にしていない様子からここ一年ほどずっと無視していた。
「そうしてあたしが学生にしたのが今の現状の全てだ。気付けば怖いものだろう? まともな理由もなく、ただ植え付けられたありもしない事を元に人を叩く、落とす。それこそ、、死んだ方がましなくらいだ」
才華が神妙な顔つきで、掛布団に投げていた両手をキュッと握りしめていた。そこにあるのは同情なんてものじゃない。かと言って璃音に向けた憎悪、嫌悪、怒りを押し隠しているわけでもなさそうだった。
そうして璃音の中では、才華の心情として不甲斐なさが生まれたのだと感じ読み取った。
元々、彼女への術式の効きはよくなかったのだろう。同じ【付与】を十八番としているが性質は呪術と解術と真逆だ。璃音の記憶印象操作は一度解術の術式を用いて記憶の穴を作り、その中に偽の記憶を流し込む。辻褄合わせや整合性なんてものは脳内が勝手に処理をしてくれる。言ってしまえば、理由は解らないが皆がそうしているからそうする。というやつだ。
だがその穴を開ける作業というやつが、黒須才華という呪術使いには恐ろしく効力を発揮しないのだ。どういった術式がインプットされているのか気になりはするが、それは名家同士での取り決め上、詮索しづらい内容。大人となって妥協することを覚えてしまった璃音はそれ以上そのことについて考えるのは放棄した。
当初、黒須才華という偶像は誰にでも優しくする聖女の様なお人を演出するため、学園長の贔屓で特待生になった男子学生にも平等に接しているとしか思っていなかった。
だが彼女は自分の意思――もしかしたら彼女の中で、唯一と言ってもいい自己の部分を露わにしていたのかもしれないと、事が終わってから璃音はようやく気付いた。
そして彼女の中に芽生えていたものは隠すこともない好意。
「なあ、お前。夜斗の事好きなんだろ?」
「そ、それはもちろんです。私から言うべき様な事ではないですか友人として、そしてエンジニアとして尊敬していますし、何より頼り甲斐が――」
唐突に才華の真核がつかれたのか、彼女には珍しく慌てふためいている。
「そうじゃねぇよ。ライクじゃなくラブの方だ」
「そ、それは……」
「ああもうじれったいなぁお前。見た目、清楚ビッチの癖してまぁだ処女か。んならもっと解りやすくしてやる。あいつとセックスがしたいかしたくないか、どっちだ? あぁ!?」
才華が真面目な話の最中ということも忘れて、顔をサクランボのように真っ赤に染め上げている。攻撃力は高いが防御力はからっきしのようだ。
「――…………し、したいです。手、繋いだり。ウィンドウショッピングしたり、映画観て泣いたり、一緒に勉強して彼が詰まったところを先輩の私が教えてあげたい、お泊りもしたい、ご飯を振る舞ってあげたい、いつもぶっきらぼうな彼の楽しそうな顔が見たいッ」
「だからだろ。今お前が感じてた、不甲斐なさってのは。あいつの過去の一部を知って楽しさなんてものは欠片ほどしかない。だからあいつを笑顔にしてやりたい。でもどうしたらいいか、ってのが解らないからダメだ、無理だって思っちまったんだろ」
心を見透かされたように才華の目は大きく見開かれていた。
――あたしが何年生きてると思ってんだよ。
「だからどうした。お前が引っ張ってやりゃいいんだよ。正直あいつは受け身だ。お前がさっき言った事全部体験させたやればいい。あたしでもなく、空御や悠霧でも他の誰でもなくお前があいつに手を差し伸べてやるんだ。あいつはきっと……いいや間違いなく手を握り返してくれる。夜斗の中で黒須才華っていう女は、嫌でもでかくなっちまってるからな。自身を持てッ」
「――ッ。……はい。お義母様」
最後に才華が嫌味たらっしくそう告げた――今までで最高の笑顔を添えて。
璃音の独白を聞いて、つい昨日の事が浮上してきた。彼女が言葉を変え、優しい嘘でコーティングした台詞。自分自身、あの時は妥協した、時間がなかった、切羽詰まった。逃げの一言。そうして出てきた返答かと思っていた。正確には思いたかったのだろう。今となって、もしかしたらと、憶測ながら夜斗の中で一つ答えが出ていた。彼女は本当に更級夜斗が何者であれ、付き合ってくれるかもしれない存在なのだと。
だからこそ驚きは一つもなかったむしろ客観的に示されたことで安堵すら生まれようとしていた。
「そんなあいつが今、どう思って、何を考えたのか解っちゃいるが――キューブの近くにいるぞ。どうするんだお前は? あいつのこと見捨てられるのか。単身で敵に、お前の創ってしまった獣に、突っ込んだ、実戦経験の無い女の子を放っておけるのか」
夜斗はこれだけ話し、聞き、知り、交わった相手を無下にできない。璃音は絶対に断らないことを解っているのだろう。
ただ後は背中を押すだけの行為。
そうして選んだのが夜斗の半生――人生の一コマを知ってなお横に居続けようとする事実であり真実。そうすることでしか答えを出せない夜斗の甘さを拭うための選択。
――逃げて、後回しにして、目を背けてきたもののツケが立ちふさがると言うのなら……。
「良い顔だ。一つ、あたしの教訓でも聞いとけ――理由なんて後付けで構わない。若い内は結果よりも過程を磨け。だからこそ無茶ができる。それこそ青春だ。このケツがむずがゆくなるような出来事を将来、酒の席にでも話せ」
「もう後悔はこりごりなんだ。何もできなかった俺が、何もしなかった俺が嫌なんだ。行ってくるよ、義母さん」
飾らない口調で――仄かに口角を上げて。
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