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17話

夜斗の部屋から出て、自室へと帰った直後に璃音の脳裏でカチッと開錠される音が響いた。しかし、小気味良さとは裏腹に、その表情は焦燥に呑まれた。

――どうして、地下の鍵が開く!?

「『転移』ッ!」

懐に隠している呪符を璃音は即座に取り出し、起動させる。簡易詠唱とモーションコマンドとして認識される呪符の起動は、本来数分かかる瞬間移動の発動の時間を大幅に短縮させる。

タイムラグを取り去った『転移』により、璃音の身体は、刹那の間もなく学園の地下へと舞い降りた。

 学園の地下は神殿のような内装だ。豪奢な作りではなく、古き石造りの無骨なモノ。厳かな雰囲気が醸し出され、選ばれた者にのみその奥へと招く、威圧も兼ね備えている。

 この神殿は璃音とその弟子数人、そして夜斗の手によって封印されている。学生の誰一人として足を踏み込まない様に人払い、感覚操作、意識操作……その他諸々の術式を施しているはずが、誰かが侵入しているのだ。

 あまつさえ奥の扉をこじ開けているではないか。

 不幸中の幸いなのか、扉の警報機能は生きていたようで、こうして侵入者の顔を拝めるのだ。

「とりあえず、ボッコボコだな――起きろ、『道満』、『晴明』」

 起動式を読み上げると、神殿の四隅の銅像の内、北西と南西の位置に当たる銅像の表皮が剥がれ落ち、中から半透明の人型が現れ地面へと降り立った。

「おや璃音じゃないですか。こんな丑三つ時に来るとは珍しい」

 狩衣に身を包んだ青年が柔和な笑みを浮かべた。

「うむ、確かにそれは同意する。ただ、この時間帯ほど俺に適した時はない。なんなら今からお前を喰らってもいいくらいだ。眠りを邪魔されたしな」

 獰猛な笑みを湛えるのは、野生児のような小柄の男性だ。こちらも狩衣を着ているが、故意的に崩しているようだ。

 この二体を含めた霊体が解樹璃音の十八番の一つにして、『指定禁忌術式』。

「後でいくらでも喧嘩してやる。なんなら『道真』、『将門』も呼んでバトルロイヤルでもいい。だから――そいつを捉えろ」

 視線を鋭く切り替えて、璃音は黒装束の相手へと身体の向きを変えた。

「――――」

 沈黙。

全身からは抑える気の無いオーラが放出されている。その中に紛れるように別の何かがあった。

「おいおい、箱が取られてるぞ」

「となると実力はかなり高いようですね」

 英霊二体は、璃音のように焦る素振りは無く、むしろこの現状を楽しんでいる。

「だから呼んだんだぞ、働け」

「へいへい――んじゃ……様子見だッ!」

 道満が呪符を取り出すと侵入者に向けていつの間にか放っていた。その数は手に仕込んでいた枚数とは桁が違う。

まるで群れ。

その濁流を構成する紙片一つ一つに呪術が練り込まれている。一枚でも接触すれば強力な呪いが相手に植え付けられる。

道満からすればこれは小手調べに過ぎない。脅威とすら呼べない術式群を侵入者がどう抵抗、あるいは回避するのか見ものだった。

『腐敗しろ』

 黒装束の奥。まるで吸い込まれるような闇を描いたそこから無情な冷たい音が響いた。

 侵入者へと届く予定だった呪符は全て灰と化す。

「ほう。中々やるなぁ」

 道満の関心とは裏腹に璃音の声は鋭かった。

「あれは……」

「知っているのですか?」

「ヴォイスコマンドは違うし、術式の形状も違う。それでもあの術式の名称はおそらく誰もが知ってる」

術式名『ニグレド』。

対象を塵芥へと還すスキル。高等術式、扱いの難しい異能の一つ。本来は【付与】の系統に属しているが黒装束が使った術式は【拡張】によって用いられた。

「あれは――四月朔日家専用術式だ」

「なるほど。しかし系統が違う」

「そうなんんだよ、不可解な点というか違和感というか」

「おいおい。だからなんだよ。んなもんあいつの装束脱がせりゃ全部解ることだろッ」

璃音と清明のやり取りに介入する道満の声は嬉々としていた。

強者との死合いに心が潤う性格の道満と観察や洞察が趣味、特技の清明。 

「おら、てめぇからも来いよ」

 挑発する道満の手振りに応えるように侵入者が更なる術式を行使する。

 神殿と形容できるこの場を材料として構成する。床が波打ち足場の感覚を奪うと、壁面へと小さな起爆術式をぶつけた。

「あぁ?」

大小さまざまな破片が飛び散り終わるかと思いきや、それらの形状が変化し三者に突撃を開始した。

「すごいな。スキルコネクトにマルチリアライズか……術者としてかなり質が高い――けれど、〝オン・カカカ・ビサン・マエイ・ソワカ〟」

 真言をヴォイスコマンドと設定している異能――『クシティガルバ』が発動する。

刹那の瞬間に清明の背後に半透明の地蔵菩薩が浮かび上がると、薄い桃色の膜が璃音達を覆った。弾力性の強い粘膜が鋭利な飛礫を吸収するように凹み、纏わりつく。勢いを完全に殺しきると膜は溶けて無くなっていく。

「おいおい、そんなもんかよ」

「――」

 返答は相も変わらず沈黙であった。しかし、行動停止の意味ではない。

まるで、様子見。

 解樹璃音の実力、英霊二体の反応速度、忠誠心、保持する異能、あるいは能力。それら全てを掴むための『ニグレド』という選択。術式形態は違うがその応用性は高い。対応策から相手の癖や思考を読み取ろうと仕掛けたのだろう。

 そうして、彼が選び取ったのは――。

「ほう」

 ネコ科の動物のように四つん這いの体勢。身体をしならせて、力をため込んでいるのが簡単に見て取れる。

そしてその瞬間が訪れた。張りつめた糸が切れたのを合図に疾駆する。

真正面からの突撃を阻害するため道満が璃音との間に割って入ると呪符を展開する。ヴォイスコマンドとモーションコマンドの両立。

寸分の狂いもなく始まりと終わりを一致させる技術は、高等術式を発動するよりも同じ低等術式を同時発動する方がはるかに難しい。加えてそれを感じさせない余裕と動作。

 当人はそれを『魂魄展開』と呼んでいるが、彼を視認できるのは神殿内に入った人物と璃音のみであって、璃音は単純に『コゥイグズィスタンス』と言っている。

 呼び名が定着していないのは、それだけ使えるものが少なく認知度が無いに等しいからだ。

 それにより起きる異能の威力は跳ね上がり、効果範囲は広がり、効力は強まる。

 今、道満が展開した呪符は総数五枚。即ち、発動が予想されている術式五種の威力、範囲、効力の桁は大きく違う。

「とりあえず数回死ねやッ」

 その怒号に応えるかたちで呪符が世界を上書きする――しかし、現象として起きはしたが、敵を捕捉は出来なかった。眼前に暗幕を敷いたように忽然と姿を眩ましたのだ。

「〝オン・カカカ・ビサン・マエイ・ソワカ〟」

 清明が、感覚だけを頼りに絶妙な間合いで再度絶対防御を発動する。飛来してくる猛威を赤子の手を捻るごとく防ぎきった彼の目尻が小さく下がった

「僕は目と耳だ。その程度じゃ――」

 心の隙を通すよう、まるで狙っていたかのように黒装束が術式を起動する。

『クシティ・カルバ』は地表にのみ展開されるスキル。系統の枠組みは【拡張】となっている。

 そもそもとして【拡張】の異能は、オーラを散布して術者が電気を走らせるイメージ術式を構築、展開するスタイル。

 即ち、『クシティ・カルバ』の影響下はその障壁自体と成っている。

 だからこそ、相手は手の内を晒さないよう準備していたのだ。

 ――一目でそう裏付けたとなると、化け物じゃねぇか、おい。

 発現した術式は――璃音達の足元からだった。地面が揺れ動き膨張の兆しが起きた。咄嗟に清明が術式を解除し、道満が別の術式を展開しようにも、その密集地にはそもそも清明と道満を活動させるためのオーラ、晴明自身のオーラが既に高濃度でひしめき合っている状態だ。新たなスキルを展開するにしても箱の中に注げる水の量に限界がある様に、オーラにも一定の空間内での許容量に限度がある。

 特に強者や、影響力の強い【付与】系の異能者がオーラを展開している場合、新たに術式を行使するには、相応のセンスか場に渦巻くオーラ全てを吹き飛ばすほどの強さを振るうか、だ。

 その現状を打破するため璃音は身体に掛かる負荷を無視して、道満と清明に流していたオーラを、張りつめた糸を無理やり切るように断つ。

 連鎖的に道満が発動しようとしていた呪符数枚が不発に終わり、晴明『クシティ・カルバ』が一瞬で消滅する。

 しかし、刹那の間だった。賢過ぎたのだ。

 神殿内を震わせるほどの轟音が生まれた。

 状況を変える算段が生んだのはバッグドラフト――熱された一酸化炭素に酸素が結びつき爆発を起こす現象、これを起こすための条件は揃っていなかった。

 ならばなぜ起きた?

 早計だったのだ。

 黒装束は足元からの攻撃を奇襲とし、その一手で落とすと思わせていた。その中で実際はブラフであり、相手の実力を信じた上での作戦を練っていたのだ。

 熱風に包まれる中で崩れ落ちる璃音が最後に睨みつけたのは、黒装束が解け、素顔を晒した侵入者――四月一日宗二郎の冷たい相貌だった。


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