15話
「悪徳商売か詐欺にあった気分だ」
「まだ言っているの。本当、諦めが悪いわね」
肩を竦める才華が、ソファーで勝手に室内にあるコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて飲んでいた。夜斗も彼女に淹れてもらったかたちで対面へと腰かける。
「あ、そうそう。お腹減っていない?」
ソファーに並ぶように置いていたバスケット風の入れ物を机の上に移動させた。
「言う前に取り出しているじゃないか」
「ええ、有無を言わせる気はないもの。言ったでしょう。何かお礼をするって」
才華がバスケットを開けると、作り立てなのだろうか仄かに香ばしい匂いがのぼった。
中身はシンプルなバケットサンド、食べやすい片手で持てるサイズのそれらは全部で三種類だ。だが、具材は手が凝っている。
BLTサンドは炙ったバゲットに基本のベーコン、レタス、トマト。加えてオニオンスライスとオリーブ。味付けはカラシマヨネーズとブラックペッパー。
卵サンドは半熟のスクランブルエッグにグリル野菜が挟まれ、何種類かのチーズが乗せられている。
最後はバナナとチョコレートのスイーツサンドだ。
「どれもおいしそうだな」
簡素な感想だがそれ以上言葉が出ない。本当に美味しそうなのだ。
璃音の料理も悪くはないが、どこか味の濃いものが多く、大半が酒の肴やあて。数少ない料理も、炒め物ばかりだ。
「そうでしょう? これでも自炊してるって言ったんだから。実力をみせるってなったら今日くらいしかないと思ったのよ」
「そうか。だが俺はそんなにお腹は空いていない」
「ちょっ――」
「が、これを目の前にそんなのは嘘のようだ。今にも腹の虫が暴れそうだ」
「――と、驚かさないでよ……。食べてもいいのよ?」
焦ったかと思うと自慢気な顔をつくる。どうも忙しいお方だ、と夜斗は小さく口角を上げた。
「それじゃあ一つ」
手を伸ばしたのはBLTサンド。
カリッとしたバゲットから始まり炙った厚切りベーコンのジューシーな食感とシャキシャキとしたレタスを通過し、ベタッとした脂っぽさを拭うスライスオニオンとオリーブ。アクセントにピリリとした辛味。最後に甘さと潤いを与えてくれるトマト。
「陳腐だが料理漫画で言えそうな感想は浮かんだ」
「その前に。ちょっと、ごめんね」
ふと、才華がバスケットの隅に挟まれた紙ナプキンを取り、夜斗の口元を優しく拭った。
齧った時に溢れたソースが知らぬ間についていたことに夜斗は気付かなかった。
――どうもこの手の料理は食べ慣れていないせいか、困る。
「ありが――」
「ちょ、ちょちょちょちょちょっとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
絹を裂くような声が戸口から響き、室内を震わせた。
その声の主はふわっとしたボブカットの少女――紅ノ木悠霧だった。
ワナワナと震える身体とひどく濡れた双眸。一つの衝撃で、零れ落ちてしまいそうだ。
「うーっす……ってなんか青春してるな」
ニヤニヤと人の悪い笑みで空御が悠霧の横に並んだ。
「なんだ二人か。そういえば、ロックを掛けてなかったな」
平然とした面持ちで夜斗は、友人達を迎える。
「なんですかそれ! 浮気したのにバレたからしょうがないか、みたいなッ」
頬を膨らませて激怒を露わにする悠霧。中々に微笑ましい姿ではあるが空御が茶化すように彼女の頬を数度突いて、押す。ブスゥ~と空気が漏れ出す音が小さく流れ出た。
「……」
「……――うん」
自分の未来を悟ったのか、空御の表情が仏のようになった。
「『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』『穿て』――――ッ!」
夜斗の私室が傷付こうがお構いなしに悠霧が『水槍』を連続発動する。乱射するせいで空御だけにとどまらず、夜斗と才華の方にも水の弾丸が降り注ぐ。しかしそれを呼吸するように才華が自身の陰で飲み込んでいく。それも、夜斗へと向かうモノも全て、だ。
そして標的であるはずの空御は、全て眼前で止めている。おそらく空気の壁だろう。
相性も加味すれば、この狭い空間内で【拡張】の術式は適していない。対して【強化】はこういった狭い空間では力を発揮しやすい。
「ハァ……悠霧?」
「うが、何ですか、夜斗君? 穿て穿て穿てうがてうがてうがてうがてうがてウガテウガテウガテウガテ」
呪詛のようにひたすらヴォイスコマンドを吐き出す悠霧に声をかけたが、一瞬だけ意識を寄せ、その後もひたすら続けている。
「さすがにある程度頑丈な室内とはいっても、それだけ浴びせられると壊れるというか、下手したら崩壊するんだが? この棟が」
「……う」
そこまでしてしまうと色々と面倒なことは重々承知しているようで、震えながらも悠霧は制止した。
「二人は用があって来たんじゃないか?」
悠霧が落ち着き、空御もある程度反省し、二人がソファーに腰を下ろしたのを見計らって夜斗は口を開いた。
「あ、そうです! 先日の実技テストの時の件ですが、紅ノ木家の方で一部報道規制を掛けてもらいました。――黒須先輩は感謝してくださいよ。黒須家との交渉もありましたが、先輩の実力不足が原因ではなく、『星炎』の不備による事故として処理しました」
「ええ、紅ノ木家の方々には黒須家として感謝が絶えません」
無道十家の一員として対応した才華を、悠霧の次の言葉が容易く仮面を剥がした。
「わたしたちじゃなくて、夜斗君にですよ。夜斗君がわざわざ紅ノ木家の本家まで来て頭を下げたんですから。まあ確かにわたし自身はあなたを助けるのは癪で癪でたまらなかったですけどねッ」
傍からみれば割りと間抜けな顔で才華が夜斗の方へと顔を向ける。
「あの時言ったでしょ。最後まで責任を持つと。さすがに学生の方は無理ですが、世間での黒須家の印象や評価は変わらないと思いますよ」
アフターケアにしては破格すぎる。誰もがそう思い感じるが、当人の夜斗はさも当然のように疑問視すらしていない。
「いや、もう、え」
「名家で縛られているおれらからすれば、そんなことをするにはそれなりの対価……大体何かしらのしがらみに囚われて動けなかったりで、交渉すら成り立たないですけど」
「今回は別件や、更級夜斗ではなくて――無道十家、解樹家当主、解樹璃音の弟子として、でしたからね……無下に断ることは難しい話だったそうです。因みに夜斗君、条件は何だったんですか?」
「複雑な内容とかじゃなかったな。術式の調整と、新規術式を幾つか独占で契約だったはずだ」
「あれ、ていうことは必然的にわたし専用の――」
淡々とした夜斗の報告を受けた悠霧の反応は対照的に期待に満ちた眼差しでキラキラと輝かせていた。
「いやそんな訳……」
「ああ、準備はしてある。紅ノ木家とはある程度親しくさせてもらっているが、一番知っていて解っているのは悠霧だからな。最初に創った」
「まじかよッ!?」
空御の驚く表情を尻目に彼女が最高潮の興奮で謎のダンスを踊る始末だ。
そんなやりとりを才華が小さく笑ってからクススと声を漏らした。
「へぇ、貴女でもそんな表情ができるんだな。そっちの方が良い」
目敏く察知した夜斗は、自身としては無味な感想を述べつもりが、当人や友人二人からは、それぞれ別の反応が返ってきた。才華は茹でだこよろしく顔を真っ赤にして、悠霧も同じように赤くしているが籠っている感情の色は別々だ。空御に至っては色々と通り越して顔に手を当て頭を振っている。
「やっぱお前、あれだ。一級フラグ建築士だ」
「なんだそれ? そんな資格は有してないぞ。あるのは精々エンジニアとチューナーのプロ資格程度だ」
「程度って……」
エンジニアは異能者の術式の制作、チューナーは術式を異能者それぞれに合わせるよう調整する国家資格。前者が【領域】内にアクセスしアップロードすることが許され後者は【領域】と個人の【領域】にアクセスが許されている。その上記二つの資格を習得するためには一般的ルートでは、九十九学園や五蘊学院などの技術科のある高等学校に進学し卒業後、大学院まで通ってようやく相応の知識を得ることができ試験を受ける。
都合七年以上かけてようやくのレベルを夜斗は、エンジニア界の鬼才と呼ばれる解樹璃音の元で二年居ただけで得てしまったのだ。
「プロ資格持ってるだけでとりあえず、日本の術式開発の大手二社は確実に内定貰えるだろうし、軍のエンジニアも行けるし……端的に言って就職確定コースじゃん」
「否定はしない。実際、りお……解樹先生の会社に就職する予定だしな」
「あれ? 大学は行かないんですか?」
男二人の会話のせいで熱が冷めてしまった悠霧が仲間外れは嫌だと言わんばかりに話に加わってくる。才華も少しばかり頬に赤みが残ってはいるが、話自体に興味が寄せられている。
「まあ解樹先生、阿戸先生には行けと行けと口酸っぱく言われているが、俺は今更行ったところで、というのが本音だったりする」
「そうですよね。名家の術式の調整から契約、新規術式を『術式大全』に登録されるくらいですもんね」
「そうなの? 学生離れした知識と実力があるのは知っていたけどアーカイブに載っているのは知らなかったわ」
「確かに俺の制作した術式が記載はされているが、あれは誰にでも閲覧できる代物だからな……名義は解樹璃音になってる」
それを聞いて才華が納得した表情と共に何故か少しばかり影が落ちた気がした。
「そのせいか解樹璃音は複数居る! むしろグループ名『KAIKI RION』とか言われてるぐらいだしな」
空御のしみじみとした声は半笑いである。
解樹璃音は九十九学園の理事を務め、かつ会社の最高技術責任者(CTO)でもある。その忙しい中でも二ヶ月に一回は新規の術式を発表している。だが、六割はネタ要素が多分に含まれている。
例えば先月の四月に発表した術式は『あらゆるものを燻製にする』という花見の季節で酒の肴を手頃に作れないかというコンセプトの元制作されてしまったモノだったりする。
残り四割の内の大半が夜斗が創り上げた術式で、至って真面目であり斬新なものから定番のモノのアレンジや今まであるようで無かったような盲点をついたものなど、同一人物とは思われていないところから、空御が言ったようなことが囁かれていた。
実際、解樹璃音は二人で一人のようなものでもある。
「……って、なんかすごく脱線していないか?」
「そんな気はしてた――んじゃ、俺か。鳳家としては……今回の件、関与する気はないらしい。『強化人間』が介入してきたり、上が動けと命令を下すまでは」
「なるほど……」
「鳳君の一族は生まれた段階から軍部に所属している形ですものね」
空御が話を逸らしていたのは紅ノ木家と違い、今回、手を貸す事すらできなかったため申し訳なさからそうしていたのだと彼の態度から夜斗は推察した。
――相変わらず人が良い。
「まぁな。そういうしがらみが厄介この上ないぜ……」
「そこは別段気にしていない」
名家の事情を少なからず把握している夜斗は、そう口にした。
一通り話を聞いた後に、コーヒーメーカーを設置してある戸棚からお茶請けを取り出した家主は、ローテーブルの上へと置いた。どれも包装されたままであり、帯には高級ブランドのロゴが描かれている。
「中々センスあるわね、チョイスに。けれど、そのまま持ってくるのは駄目じゃないかしら」
「皿を出すのが面倒なだけだ。ともかく俺の方からも一つ」
包装紙を無造作に開けながら夜斗は続ける。
「近々、解樹先生が中央市に出張……というか、先日の実技テスト時の説明という名の尋問が行われるらしい」
当人はその準備で忙しく根回しなど色々とやることがあるそうで、ここ最近は学園にも来ていない。自宅の方でもPCと睨めっこしているか、携帯端末で複数人とやり取りを繰り返している。
「確か、黒須先輩以外も体調不良や術式の誤作動や暴発があったんだよな?」
「そうですね。そのおかげって言ったら言葉が悪いですが、報道規制が掛けやすかったんですよ」
「だから……まあ、あの人が苦労する羽目になるんだがな。とりあえず、黒須先輩。丁度良いですし、あなたの回路の状態を確認しようと思う」
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