14話
落ち着いた色合いが特徴の夜斗の学園にある私室。窓から差し込む光がつい数時間前までは強かったが、今では幾分か落ち着いてきている。
夜斗がおもむろに電気をつけようとした時だった。部屋の外線電話が小さく鳴った。来訪者が来た知らせだ。
実技テストから一週間、私室に籠りっぱなしの夜斗の元に誰かが来るのは久しぶりだった。
――璃音、それとも夕霧あたりか?
外線のモニターに映る外の様子に一瞥もくれず開錠ボタンを押し、電光のスイッチも入れる。
「こんにちは。それともこんばんは? 夕方って挨拶に困るわね」
扉の先に、身体の後ろで手を組み微笑みを浮かべる悪魔が立っていた。
「なんであなたがここに居る?」
夜斗は心底嫌な顔を隠しもしない。
――開錠があるなら閉錠もあるべきだ。
それも、来客を強制的に帰らせるような。
だがそんな、便利なもの? は異能という科学の一つの到達点をもってしても生まれてはいないだろう。そもそもとして夜斗が外線のモニターをきちんと見ていれば良いだけの話に過ぎなかった。
「後悔先に立たず、ね。ちゃんと誰が来たかぐらい確認するべきよ」
「ああ、俺の落ち度で間違いない。今度からは貴女が来ても知らせない様に設定しておく」
医務室でのやり取りから一度も彼女とは会っていないし、会話もなかった。それでも、自分がこうして才華と普通のやり取りができている事に、少なからずの驚きが心に満ちていた。
だがそれを表に出してしまえば、彼女の思惑通りになるかしれないという、虚実を塗りたくる。
「そんなことしたら、私ここの扉をバンッしちゃうわ」
「バンッってなんだバンッって」
「とりあえずこのよどんだ空気が三日間は溜まらないくらいになると思うわね」
「……物騒だな」
「あら知らないの? 女は恋愛になると獣になるのよ」
「せめて慎みとか貞淑さとかはないのか」
「そんなのは私かしら? 私はもう私を辞めるのよ。あの時に掛けてくれた言葉の続き、そして真意。最後まで責任を持ちなさい」
「……あなたはどこまで知ってるんだ。どこまで聞いたんだ」
夜斗は疼く心を押さえつける。
「何も知らないし、何も聞いていないわ」
「…………」
沈黙。それは真偽を確かめるために必要な措置だった。
その間を目の前の魔女は、小さく口角を上げたまま悠然と近づいてくる。両者の間にあるのは、客用のローテーブルとそれを挟むように二人掛けソファが二つ。そんなのは歩みの妨害にすらならない。
「………………」
いささか早計だが答えを出さねば、飲まれる。そう予感していた。
「そういうことにしておく」
曖昧だが夜斗が出したのは、相手がそう言っているのであればそれが事実なのだろう、となんとも投げやりなものだった。
「そう。良かったわ。解ってくれて」
「信用はしていな――」
「口応えはしない」
距離がゼロへとなった瞬間に彼女が夜斗の頬を引っ張った。
「ひはい(いたい)。はひほすふ(なにをする)」
「返事は?」
「…………」
「へ・ん・じ」
「はひ」
「よろしい」
満足したようで才華の手が離れる。
「――私は、ね。あなたがどんな存在であっても受け入れるの。だって、本当の私を知っているのは夜斗だけなの。学園の学生でも講師でも、親ですら……」
「は?」
夜斗の口から自然に漏れた疑問符。
憂いに満ちた表情をする才華が、ソファーに腰を下ろし続ける。その視線は深い所に眠る何かを探すように中空を彷徨っていた。
「私は幼い頃からお嬢様だったわ。それも世界的に有名な黒須家の。当然、それに見合った振る舞いを覚えた……ううん、強要されたって言った方が正しいわね。公の場に出るときも、プライベートすらも縛られ続けた。そうして身に着けたのは他人が描く〝黒須才華〟に成りきること。私は私を押し殺してきたの。それと引き換えに得られた自由は、不自由だったわ」
彼女は一人暮らしをしているが、一〇年染みついた癖や振る舞いはそう簡単に抜けはしない。自分を取り戻したとしても根本がまだ塗り替えられていなくても、それを覆う核は、着飾る服は嫌でも染みついたものに準拠する。
夜斗の中にあった早鐘はいつの間にか静かになっていた。
結局のところ。彼女を構成する設定は彼女自身だが、ストーリーは誰かの手に奪われたままなのだ。
それらを誰もが当たり前だと、常識だと偽りに目を背けて、身勝手な解釈で理解しているつもりでいる。
彼女の場合はそれがあまりにも自然に起きている。どうしてそれに抗わないのか、どうして受け入れてしまっているのか。それこそが、夜斗がずっと感じていた違和感であり、自分自身と重なる部分から来る嫌悪の正体だった。
「――誰もが自分自身で生きているなんてことはない。誰かに依存して影響されて、そこにあるのは一割の自分と九割の他人。それが本当は歳を重ねる事に移り変わっていくものだ。でもあなたのそれは違う。着せ替え人形となんら変わらない。そして俺も……」
自我が芽生える前から良家の娘を演じることを強要された少女と、自分を持っていてなお卑怯者と罵られることを選んだ少年。似て非なる二人。片方は惹かれ、片方は忌み嫌う。
「ううん」
才華は首を振った。
「夜斗。貴方は、そうじゃない。だって強いもの。甘えることなく前に進む意思があるから。それに対して私は停滞したまま。諦めて受け入れてしまっているの……」
沈んだ表情の中に幾らかの憧憬が滲んでいた。
「なら、抗えよ。それこそ俺とあなたの境遇は違う。あなたは自分で動くことで打開できるんだ」
「ええ、だから。こうして夜斗の所に赴いたの」
だから? 意味が解らなかった夜斗は疑問符を現した。
「だって、黒須才華が誰か一人の男子に入れ込むなんて在り得ないじゃない?」
意地の悪い顔で見上げてきた彼女に夜斗は溜息が零れ落ちた。
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