13話
才華は数秒かはたまた数時間か、事切れたその意識を外界に向けることができた時には周りの風景は変わっていた。
ぼやけた視界に入ったのは白い天井とLEDライト、シーリングファン。そのまま横へと下げていくと、カーテンだ。その奥から差し込むは紫色と強い橙色。薄暮くらいだろう。
――医務室かしら?
今度は反対へと首を動かそうとすると、鈍い痛みが身体に走った。
「ぅ」
「あまり無理はしないでください。体内はボロボロ、オーラも枯渇状態。放出すら出来ないんですから」
仕切りのカーテンを越えて入ってきたのは夜斗だった。
予想外の人物に、才華は痛みを忘れて驚いた。
医務室なのだから専任の人だと思っていたからこその反応。夜斗が疑問を解消する言葉を付け加える。
「因みに俺がここにいるのはあなたの治療を任されたからです」
「?」
「何で? みたいな顔はやめください。……いや、まああの状態ならおかしいと思うのも無理はないか……」
「う、ううん。ちゃんと夜斗が助けてくれたのは覚えているの――ちゃんと。ただ、ごめんなさい。あなたは私を助けても、その後のことは誰かに丸投げだと思っていたから」
弱っているなりにも小さく笑ってみせた才華。
「いったい俺をどんな薄情者だと勘違いしてるんですか。最後までやりますよ。俺がやったことの責任くらい」
「ごめんね。ありがとう」
その呟きが彼に聞こえたのかは定かではないが、看護をする手には温かさが感じられた。
彼も間違いなく一人の人間なのだ。学園で嫌われていようとも血の通った人だ。そこには人を思いやる心が在る。気持ちがある。
たったそれだけ。当たり前を改めて知れた才華の頬は自然と緩んだ。
「これは生半可なお礼じゃ駄目ね」
「いらないですよ、そんなの」
「いいえ、駄目ね。ここまでしてもらったんですもの。私が腑に落ちないわ」
「一応怪我人ですよ。口を閉じたらどうなんですか?」
敬語なのに何故か、才華は彼の口調に上から目線のような不満が生じた。しかし、今の身体では何もできないし、こうして、治療を施してもらっている身だ。どうこう言える立場では全然ない。
そんな時。ふと、閃いてしまった。
「そうね……私の処女、なんかどう?」
「何言ってんだあなたは」
夜斗が顔を逸らして呆れた吐息と共に独り言ちた矢先――。
「――!?」
「今医務室ではあなたと俺だけ。……本気で襲うぞ?」
バサッと覆いかぶさられて、鼻と鼻がくっつきそうな距離まで顔が近づく。夜斗の眼鏡の奥から覗く鋭い瞳に自分の困惑した表情が写り、顔は火が出そうなほど赤面していることに、その熱を感じ取ってようやく気付いた。自分は死ぬほど今、照れていると。
「羞恥で赤くなるくらいなら言うんじゃないですよ」
「あ」
彼は何の抵抗も躊躇いもなくそれをやってのけ、あげくには恥ずかしがることもなく自然に退いた。皮肉を添えるあたり、やはり生意気だ。そういった感想を抱くも、才華は負けているあたり言い返すことができないでいた。
それは自分の感情をそれこそ隠してしまいそうだったからだ。
――未練がましく思ってしまうなんて、ね。
と、ふと。才華の脳裏に過った。とある一瞬の場景が。
――そう言えば……昔、似た様なこと。
「ともかく、俺は自分の行動の責任をとっているだけであって、お礼は求めてないんです」
「ね、ねえ」
「はぁ……今度は何ですか?」
夜斗が失礼なくらいに訝し気な目を送っていた。
「三年前もこれと似たようなことならなかったかしら(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」
才華はそう口にした瞬間に、夜斗の能面のような表情が揺らいだ気がした。その些細な変化を確かめるように、言葉を紡いでいく。
「私が貴方と戦った日……そう、中等部の時。秋の校内新人戦――若草大会で」
ぼやけた記憶がじょじょに鮮明になっていく。なぜ今までこんな重要なことを忘れて……違う。何か外因によって無理矢理、霞が張られたような感覚。それを自覚したことによって晴れていく。
――夜斗は三年前。一年最強の異能者……学園でクインテットと言われる最強、最高の五人の一人を務めていた。その術式の名称と戦い方からついた二つ名『空間の支配者』。そう、そうだわッ。当時の私は歯が立たないほど完敗して、こうしてオーラ切れで医務室に運ばれた時に。
『貴女のそれは貴女じゃない。まるで求められたままに応じている人形みたいだ――もしそういう生き方しかできないんなら、せめて俺の前だけでもいいから、それを止める努力をしてほしい。その方が絶対可愛いから』
温かくて優しい微笑み。
――憧れるほど異能者として強かった。そして――異性として意識して。
「一目惚れした」
無自覚に感情が口から漏れた。
咄嗟に口元を抑え、夜斗の方へと慎重に目を動かす。
「ッ!」
驚いていた。
だが、それは才華が口にした言葉の意味を理解した色ではなかった。もっと別のもの。思考停止しているという方が適切なほどだ。
「な、にを言ってる――んですか? 俺は中等部三年から、転入……してきた、んです、よ。璃音の、コネ、で。俺は強く、ないし」
途切れとぎれの言葉に説得力などあるだろうか。動揺が色濃く出ている分、才華は自分の言ったことが事実、いや真実だと解釈できた。
それにより脳内にかかっていた霞は完全に取り除かれたと同時に、現在の彼の立場と印象は真逆だったことを理解する。
いったいどうして、この矛盾に、違和感に、今まで気付かなかったのだ。
それこそ先の霞が原因だろう。
――まず間違いなく異能よね。それもかなり上位の。
この偽物の記憶、印象を植え付けられているのは才華だけではない。他の学生もだ。何せ、夜斗の実力は申し分ないはずなのに、嫌でもその実力を低く評価している。そこには彼らの意識が乗っているとは到底言えない。
すなわち夜斗を貶めるように、無意識に強制させている誰かの仕業だ。
――これだけの術式を行使……しかも大多数に掛けるほど。
ただし才華自身もそうであったように、実力に応じてその術式の掛かり様に差がある。もしくはわざとそうしている。
鳳空御や紅ノ木悠霧を筆頭に柳生七瀬や講師の阿戸慎之介は明らかに記憶に弊害を抱えていない。そうでなければ、名家である人間が落ちぶれた異能者と関係を築くとは到底思えない。
――ということは……【拡張】か【付与】のどちらかね。
三系統の中から【強化】を省いたのは二つの理由から。
一に対象が大規模だからだ。全学園生に対してここまで影響させるとなると、【強化】では無理に等しい。
そして次。これは【付与】の判断材料となったもので、ムラがあったことだ。【強化】ならばそのムラというのがほぼほぼ無い。対して【付与】というのは与えるものであって、その対象のコンディションやステータスに依存する。
例えるなら薬。患者の容体、状態で効き目というのが変わるのと同じというわけだ。
ある程度まで絞れた頃。医務室の扉が勢いよく開かれた。
「夜斗ッ!」
息を切らして、走って来たのは解樹璃音。顔には玉ほどの汗。それと焦りが滲んでいる。
「璃音……」
今にも泣きそうな声で夜斗が義母の名を呼ぶ。
そこには常にポーカーフェイスで感情を隠している『更級夜斗』は居なかった。ただただ一五歳の少年だった。
□
「おい、黒須。これはどういうことだ?」
解樹璃音が夜斗を――何かの異能だろう――精神を落ち着かせた。部屋の隅で医療器具の入った棚に、もたれかかるようにしている。まるでセミの抜け殻のようになってしまっているそれを、人と呼んでいいのだろうか。
しかしそれがさも当然のように璃音が無視して、才華の寝ているベッドの元へと来ると、事と次第では殺しかねないほどの冷たい視線と口調をぶつけてきた。
「それは私も訊きたいです。解樹先生――いったい夜斗に、何を施しているのですか?」
才華は璃音が夜斗の精神を安定させた瞬間に気付いて、解ってしまったのだ。
「いえ、この場合は学園生に何をしたんですかッ」
少し痛む体に鞭を打って上半身を起こすと、璃音の目から逸らさずに問う。
「――そういうことか。お前、あたしの術を解いたんだな。いや解けた、が正しいのか」
璃音の言葉に才華の中で確信が生まれた。
「やっぱり。解樹家の専用術式は【付与】。それも情報系の特殊なケース……記憶もそれに含まれるということなのですね。しかし、それだけの術式をこの規模で行使しているということは少なからず代償がありますよね」
才華は同じ【付与】系統の術式を得意とする一族故に知っていた。【付与】が他の系統に比べて稀有で強力なのは、階層が深くなるにつれて扱いが難しくなる。才華の使う、影の捕縛の代償はその場から動けなくなるというものだ。しかも影の面積分しか変化できないという点もあるため、近距離でしかその力を発揮しない。
「…………ガキの癖に色々知ってやがるな」
「一応、黒須家の一員ですので」
「フン。そうだな。お前は一応、黒須の名を冠してはいるな」
「何か含みのある言い方ですね」
訝し気にする才華をよそに璃音は淡々と答える。
「――良いだろう。ここまで知ったお前に教えてやる。こいつの過去と記憶」
そうして語られた更級夜斗の半生は、ずしりと才華の心に杭を埋め込んだ。
感想など貰えると励みになります




