9話
面倒な仕事が終わり、夜斗と才華がようやく休憩にありつける頃の学内は殺風景なものだった。
廊下に取り付けられているデジタル時計は十四時を表示しており、それを見た才華が、食堂に行こうと夜斗を誘ってみたものの嫌そうな顔でそれを蹴られた。
よくよく考えれば今の時間は、順番待ちでサボっている学生の何人かが、それらの施設を利用している。そういった学生ほど噂話などに花を咲かせる。特に女子。あの手の人種の女はやっかいなことこの上ない。いかに、学園の高嶺の花、副会長、特待生など多くの肩書を持ち、人気を博していても、決して支持率が一〇〇パーセントというわけではない。必ず、嫉妬と羨望から絶対に敵わないと解っていても牙を向ける。そうしないと誇示できないからだ。人は下ることをよしとしない。今の立場を愛し、下になることを頑なに拒む。プライドとでも言うべきか。
そんな理由を含めて夜斗が食堂に行かないということを才華に語った。
それを聞いて、
「人は嘘をついてる時には饒舌になるそうよ? 後、目線が左斜め上を向くのも」
才華は笑顔を添えて夜斗に言い放った。
「そうらしいですね。まあそんなの、朝のニュース番組でやる占いレベルでしかないですけど」
要は信憑性がないと遠回しに言いたかったらしい。結局それらは統計学とかで叩きだした推論でしかない。しかし、病は気からというように、占いも気の持ちようで変わるという話がある。
「あら、意外に占いも馬鹿には出来ないものよ?」
本音七割演技三割くらいの割合で女優顔負けの不満顔の演技を披露した。
特に今日の才華に至っては占いを強く信じている。携帯端末ではあるが、『今日の占い』特に恋愛事に関してはよく利用し、この日は意中の相手とうまくいくでしょう、などとあればラッキーアイテムをゲットするために部屋中を奔走するくらいだ。
そして今日のラッキーアイテムとやらは何故か、〝意中の相手〟とあった。意中の相手と仲良くなるために、必要なのはその相手。確かにそうだが、普通に考えて違うでしょ、と指摘したいが占いは占い。気の持ちようで変わるものだ。
それにこうして夜斗を数時間ではあるが独占できている。才華はその占いの解釈を――成功する。と捉えてしまっていた。
「日本の人口約一億人中、一二星座を平均で割る……八三三万。それの何人が意中の相手が存在するか……――先輩とりあえず、確率的に当たらないでしょう?」
「……乙女心について一回学ぶといいわ」
リアルに計算されると、そんな確率は一生で蟻を踏まない確立と同じくらい稀有なことだ。でも、万に一つの可能性を夢見るのが女という生き物の性である。
「考慮はします」
長いやり取りを終えて、二人はどういう訳か図書室へと足を運んでいた。校舎の横に建てられている図書室は、図書館と言ってもいい。
下手な市立図書館よりも大きいそこは、地下三階、地上五階構成となっている。その一階。人気のないラウンジで、購買で買った食べ物を広げていた。
「ところで、夜斗」
「なんですか?」
才華の戸惑いを含んだ声音に、夜斗は間髪いれず返す。
「それで大丈夫なの?」
彼女がそういうのはテーブルに置かれた夜斗の買ったものだ。栄養ゼリー、エナジドリンク、サプリメントだろう錠剤と学生らしい食事風景とは露程も言えないものばかり。
対して才華は、野菜を多く含んだサンドイッチに糖分ゼロの紅茶。そこそこ、バランスのとれた組み合わせだ。
夜斗は、それらを見比べて口を開いた。
「栄養分では俺の方が多いから大丈夫です。腹にたまるかはともかくとして」
「いや、そういうことじゃなくてね……ゴホンッ。毎日そんな食事なの?」
一旦、サンドイッチを握った手を止め、包装材の上に置き直す。
「そんなに変わらないですね。りお……解樹先生が早く帰ってきた時はあの人がつくることがたまにあります」
「なら、空いている日に私が今度作ってあげようかしら?」
才華が何を思ったのかニコニコと、わざわざその整った顔に似合う仕草――『小首を傾げる』を決めてきた。夜斗はあんぐり口を開けたまま、頬杖が外れそうになった。
「死んでも拒否します。そもそも、料理作れるんですか? 元来、お嬢様とかお姫様はその手のことには触れていないでしょう。毒物か、危険薬品が出来上がるのがオチだと思われるんですが」
何時の事だったか。悠霧が食事をつくると言いだし、任せたことがあったがその時に出たものは、とりあえずモザイクが必要なレベルだった。
「私、これでも一人暮らしなのよ? 家事には自信があるわ」
「火事?」
「それ少しニュアンスが違うわよね?」
「ッチ」
「今、舌打ちしなかったかしら?」
「してないです。サプリが詰まったんで、それっぽい音がしただけです」
そう言って、わざとらしく歯に詰まったサプリを取るフリまで見せつける。
才華がクスリと笑った。そこには飾り気のない年相応の可愛らしいものがあった。
「……何か面白いものでもありましたか?」
「いえ。なんというか、思春期真っ盛りの弟の反抗期を見ているみたいでおかしかったのよ。私って、よく長女と思われるのだけれど、次女なの。だから上は知っていても、下は知らないから、こんな感じかなって」
「残念ですが、俺は長男です」
「でも、年齢的には私はお姉さんよ」
夜斗はそれっきり会話を続ける意思を示すことなく、サプリとゼリーをドリンクで流し込んだ。
そんな行為すら、ふて腐れた弟を眺めるように面白いのか才華が見続けていた。
もし、他の学生にばれていたら明日から学園には来れないな、と食事を終えてから気付いた夜斗は、周囲を注視したが、そんな物珍しい目線を向けている者など一人もいなかったことにほっと安堵した。
そんな傍からみればリア充な二人の元にシンプルな電子音が小さく響いた。
『代表各員へ:一六時までに実技で用いるスキルの術式の提出をお願いします』
事務的に書かれた簡素な文面。夜斗の携帯端末に表示されたそれをなぜか二人で目を通していた。
静寂の図書館。誰もいないシチュエーションに普通の男子学生ならドキリとしただろうが、夜斗は物怖じなどまったくせず、むしろ若干迷惑がっている。
「自分の端末あるんですから、それでみればいいじゃないですか」
「だって取り出すの面倒くさいじゃない」
彼女は、あえて対面に座っていたところを端末の着信と共に夜斗の横へと座った――この場合、座っていた、が正しい。
あまりに自然すぎて、夜斗は一緒に画面を見ているという事実に直面してやっとツッコミをいれたのだ。
「メール内容が俺のと、業務連絡とは違うということを考えないんですか?」
「着信音をそれぞれ変えているのよ。だからすぐに解ったわ。それに、夜斗。貴方も同様でしょう?」
となりで勝ち誇ったような表情を浮かべる小悪魔に夜斗は吐息を一つ。
「そんな、溜息ばっかりはいていると、幸せが逃げるわよ」
「いいですよ、そんなの。目に見えないものなんて実感がなくて気持ち悪いだけですから」
そう吐き捨てて、夜斗は端末のメールウィンドウを閉じて、別のウィンドウを開く。
学内サーバー。今日のためにつくられた提出用フォルダのようだ。
そこに手際よく、各実技テストで使用するスキルの術式をドラッグ、ドロップを繰り返していく。
一連の作業を終えて、何もすることがなくなったと言えばウソだが、懐から文庫本を取り出して、読み始める。表紙は男女が剣を前面でクロスさせているファンタジックなイラストだ。最初のページはカバーイラストと同じようなモノが数ページ占めているが、表紙に比べて肌色成分が多く感じられる。
「今日は何を読んでいるの?」
才華も提出し終えたようで、ウィンドウを閉じてから、文庫の中身を盗み見ていた。
「ライトノベルです」
「それは見ているからわかるわ」
「ファンタジーものです」
「それも見ているからわかるわ」
「……最新刊です」
「私は、もう読み終えているわ」
首をギギギと音が鳴ってもおかしくないくらいにゆっくりと横に向けると、ニッコリとした美顔があった。
――絶対読まないだろうこの人ッ。
「絶対読まなさそうな人、みたいなこと思わなかったかしら?」
「いえ。全然、これぽっちも。――ちなみにこの金髪のキャ」
「ルクセンハイド・ヴァイルレスター卿」
「…………じゃあ、この」
最初に選んだキャラは主人公。最近アニメ化する作品ということもあり、テレビなどで知っていてもおかしくない。次に指したのは銀髪のキャラクターだ。一つ前の巻から登場した新キャラクターで出番はそれほどなかったが、最新刊からカラーイラストが用意されているあたり、活躍するのだろう。本当に読んでいれば名前くらいは言い当てれるはずだ。
「アルティミア・ヘイブ。双銃の使い手ね。でも実は近距離戦の方が強いのよ。元暗殺者で、主人公の命を狙っていたのだけれど、主人公に助けられて――」
「俺の完敗です。ほんと、完敗です」
名前どころか、そのキャラクター素性、ネタバレを含む発言をしだした。夜斗はネタバレを阻止するためまくしたてるように吐く 。
「よろしい」
「でも、なぜ、……読んでる俺が言うのもあれですけど、こんな娯楽小説を読んでるですか?」
「そうよね。私は読まないわね。イメージ的に」
「ん? 普通に考えたらそうなんでしょうけど。正直、そんなあなたはこうだろう、とか。こうでなくてはならない。そんなのはどうでもいいんですよ。俺は読んでる理由が知りたいだけすから」
「…………ッ!」
才華は無言で、さらには大きな瞳が一際開いたかと思うと、体ごと後ろに向き顔を隠す。
「ンンッ、ゴホンッ――そろそろ、時間ね。仕事に戻りましょう、夜斗」
壁に取り付けられている時計は、ここに来て一時間近く経っていることを伝えていた。
この話題はこれで終了と言わんばかりに才華が立ち上がり、出入り口の方へと歩き出した。
夜斗もまた、そこまで重要な内容でもないということもあり、詮索することなく、彼女の後ろを着いていった。
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