春うらら
臨時教員から常任講師、ようやく正教員になれたとき、私は三十路を間近に控えていた。
新人でもなく中堅で、そのうえ上役にあたる年代の集団定年を控え、いくつかの役付きになったのは言うまでもない。
しかし新任ではあるわけで、雑用と雑務のピンからキリまでこなさなければならず、私は毎日溜め息をつく日々を過ごしている。
数学教師のいいところは、新事実というか、歴史のように過去も現在も移り変わったりしないところだ。下調べに時間はかからない。新しい数式は日々証明発表されているが、中学という範囲では新しいことの導入はないといってよい。指導要領の改訂に気をつけていれば、授業に追われることは少なかった。
唯一の問題は、数学を苦手とするこどもが多いことで、これは永遠の課題のような気がする。コンピュータの普及で自力で計算することに疑問を持つこどもが増えたことも事実だ。どんな難しい数値でも、コンピュータなら一発ではないか。そんな思いがありありとみえる。
そんな中、熱心に授業をきく生徒がいた。
春野うらら。
質問もしにくるし、授業で当てても嫌な顔せずに解く。中学レベルの数学に関してはむかうところ敵なしだった。どこから探して来るのか、難問ではなく奇問をよく訊きに来る。コーヒー豆の適切な挽き時間(薫りの飛散率と抽出温度の関係から求める)など、奇妙な問題ばかりを持ってきた。
その春野が一覧表を持ってきた。そして、これは何の数値でしょう、と私に訊いた。
一覧表は四月一か月の日付に3種類の数値がひとつき分続く。空欄があるが、それは土日であるらしい。数値はすべて連動しているようだった。
それが何であるかわからないまま、連休が終わる。休み明けの怠惰な雰囲気のなかの授業は眠気が充満し、何人かが顔を伏せたままだ。
ふと、教室内の温度計が目に入る。…℃。
あ。
春野と目が合う。にやり。私はあの数値の正体に気付く。
私は新しく五月の日付で表を書き、気温と人数を書き込んだ。桜は連休で散ってしまったので、少し考えて梅雨前線の位置を書いた。
放課後、教室の隅に掲示しようか。そんなことを考えていると少し気分が晴れて行く。ふと見ると遅咲きの桜が、こっそり裏庭に咲いていた。
春うらら。