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月下に待つ  作者: むぎ
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第8話

 時は流れ、月は満ち欠けて5月、風薫る季節。詩会の日が来た。


 初夏の風情の色濃い景勝地にたつ離宮にて、王侯貴族以外にも有名な吟遊詩人やたしなみのある文化人などを集合させての雅な催しである。


 この国では古くから伝承してきた叙事詩に加え、ここ100年ほどで急速に発展した抒情詩も人気があり、そういう背景の下に王族が主催する詩会とくれば重要な意味があるのが分かるだろう。

 マルグリット王太子妃が古書を取り寄せて事前準備するのも無理はないのだ。


 会場となる大広間は西側の壁がすべて取り払われ、庭続きになっており、小鳥のさえずりを乗せた清風がさわやかに吹き込んでくる。山からの湧水を引いた小川が庭を蛇行しながら涼を提供していて、どんな野暮くさい詩オンチであってもこの庭の風情を詠んでおけば及第点をあげましょう、と言わんばかりだ。


 当日の俺は本職である記録取りに追われっ放しで、他人が披露していく渾身の一作もただの文字の羅列に置き換えていくばかり、風情も雅もなかった。自分の番でない限り出席者は自由に会場を出入りして、雑談したり庭を散策したり控室で休んだりと思い思いに過ごせるのに、俺は隅の一角に雪隠詰めだ。


 ようやく休憩時間になりペンを放り出したところで艶麗な人影が差した。黒髪に黒い双眸が煌めくマルグリット妃殿下であることに気づくや否や、俺は片膝をついて恭順の姿勢をとった。妃殿下は王族の一員として詩会の序盤に登場し、国の発展を祝う詩を発表し終えていた。


「わたくしの詩はどう聞こえまして?」

 自分の美しさをよく知っている微笑み方で、彼女は俺を見下ろす。


 詩は良かった。古典的な文法に則って荘重な響きを持たせた、王族に相応しい詩だった。そう感想を述べるとご満悦そうに、


「あら嬉しい賛辞ね。あの本で古代詩を勉強したので成果を試してみたかったのよ。若葉よ薫風よと季節を愛でるだけなら誰にでもできるわ、そう思わない?」


 美辞麗句で飾り立てた、吹けば飛ぶような軽い内容のものを、妃殿下は容赦なく軽蔑した。詩を不得手とする貴族だって中には居るのだ。彼らが頭をひねり倒して必死に詠んだ初夏の歌でも、こうも簡単に蹴り捨てるのが、マルグリット妃殿下という人である。


 内心嘆息をしつつ、ちらりと周囲に視線を走らせた。でも侍女たちは控室にでも待機させられているのか、お付きの人影はなかった。


「じゃ、休憩後は花形貴公子の詩才の一端を見せてもらいましょう。楽しみにしているわ」

 高慢さをアクセサリーのように纏った妃殿下は俺に圧力を掛け忘れることなく、去って行った。遠巻きに眺めていた人々が面白そうに笑いさざめく。


 しかし別に聴衆の期待に応える必要はないのだ。


 俺が用意していたのは平凡でいて風変わりな句だ。──もうすぐ生まれてくる命が待ち遠しいよ、母親の胎内でもうしばらく元気にしているんだよ、という主旨の。


 俺の番になると妙に満員になった会場へ、何の説明もなく披露した直後は女性陣から悲鳴が上がった。


「フィルー様、隠し子!?」

「誰、母親って誰?許せない!」


 もはや取り繕った仮面をかなぐり捨てて大混乱の聴衆を、俺は落ちついて制した。口元に笑みさえ浮かべて。


「……もちろん私じゃありません。兄夫婦に宿っている子のことですよ」


 してやったり。会場中が静まりかえった、あの間抜けな数秒は傑作であった。


 詩会の閉幕後、俺は顔見知りの各貴族たちから相当な反響をもらった。度肝を抜かれたという苦笑からショックのあまり失神したという苦情まで、まあ好評とは程遠い感じだ。


 翌晩に開かれた立食形式のパーティーでも波紋は残っていたようだが、なぜかマルグリット妃殿下だけは

「なかなか感心したわ……素晴らしいインパクト。これはぜひ歴史に残すべき詩会よ。貴方が記録係なんじゃ、自分の詩について記述が残せないじゃないの。誰か他の人にやらせなさいよ」

とまで感銘を受けた様子だった。ともあれ注目の的になってしまい、ちょっとやり過ぎたかなと俺も反省した。


 何しろパーティーの後は秘密裏に成し遂げなくてはならない一大事が控えている。


 クリストフがいなければ俺はフローネに会うことも不可能だったろう。俺は割り当てられた離宮の一室で、優秀な補佐係に連れられた彼女を待っているだけでよかった。


 執事の体躯に隠されるようにして現れたフローネは可愛かった。髪型がいつもと違ってアップスタイルになっており、白い首筋が露わになっている。それだけでワインを一瓶は空けられそうな気の高ぶりを俺にもたらした。


「万全でございます。ではお休みなさいませ、よい夜を」

 クリストフは爽やかに言って戸を閉めた。


 まずは離宮の室内を興味深そうに眺めているフローネを目で追っていると、なんとも妙な気分になってきた。


 クリストフの「彼女をモノにしろ」という無責任な唆しが御神託のように甦るくらいだから重症である。何か気を紛らわせる方法はないものか……ワインでも飲むか……いやアルコールは逆効果だろうか、と俺は落ち着きなく詩会のメモを片づけていた。


「若子爵様、とっても素敵な詩でしたね!」


 突然フローネが俺に笑いかけてきた。


「……詩?」

 俺はポカンと呆けた。


「兄夫婦の子って仰っていたでしょう!わたし、療養中はあのご夫妻に本当によくして頂いたわ。お子様が生まれるなんて知りませんでした!素敵ですね!」


 うむ、と俺は咳払いなどして、頭を切り替えようと努力してみる。


「詩の内容もだけど、若子爵様があの場であれを発表したっていう事も、感動的でしたねぇ。お兄様、きっとお喜びになるでしょうね」


 壁際に立っていたフローネは優しく涙ぐんでいた。失明の悲劇に遭い、無念にも社交界から退いた兄を知っているからだ。


 俺とは対照的に王都の華やぎが似合う人物だった。子爵家の跡取りとして皆からも認められていたのに、病に罹ったばかりに……。いつしか人々は兄を忘れ、代理に過ぎない俺を持てはやす。


 だから俺はあの詩を詠んだのだ。兄の存在を世に埋もれさせないために、あれほどのインパクトを付けて。


 そういう、あの詩の本当の価値を理解してくれているのは、たぶん彼女だけだろう。


「礼を言うよ」


「え、何が?」


 血の気が降りた俺は柔らかい絨毯を踏んでフローネの傍に行き、右手を取って甲に口づけた。最大限の敬意をこめて。


注:叙事詩……神話・伝説・英雄の功業などを物語る韻文


  抒情詩……作者の思いや感情を表す詩

だそうです。(大辞林より)

詩に関してはど素人ですので、いろいろ間違っていたらすみません。

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