第6話
俺の軽率さはすぐに警告の矢となって返ってきた。
「どうぞ」
豪華絢爛な客間に通されてすぐ、俺を呼び出した男は神経質に髭を整えながら現れた。その後ろから美人侍女がティーカップをトレイに持ち、輝くばかりの笑顔で俺に流し眼をくれる。
よく遭遇する光景なので俺は特に興味も惹かれない。ただし、この館の主人の眼前で華やかに色気を振りまく度胸には感嘆する。
何しろグラスグリーン侯爵といえば最も勢力を持つ名門貴族。国王陛下の脇を固める重臣である上、マルグリット妃殿下の父親でもある。今現在そして未来にわたり、確固たる権力を掌握し続けることは疑いの余地もない。
そしてさすがはマルグリット妃殿下の父親というべきか、政治家としての辣腕は時に苛烈で容赦なく、本当に人の血が通っているのかと思うほど隙を見せない人物である。
俺のような若輩者とは格が違うのだ。
そんな人物が、なぜか俺を私邸に呼びつけたのである。何の用件なのか見当もつかない。侍女の媚びなど緊張をほぐすどころか逆に神経を逆撫でするだけであった。
「そう肩肘を張らずともよい。君は当代きっての花形貴公子だよ、もう少し軽妙洒脱に構えたまえ」
と笑って見下されても、俺は実直に応じるだけだ。
「生誕祭にはご両親がお見えだったな。子爵にお会いするのは一年ぶりだった。引退されたのかと思っていたが」
顎の尖った三角形の輪郭と細い目が特徴的な侯爵は、ふんと鼻を鳴らした。
「現在ではレノワ子爵と聞けば、社交界でも名を売っている君のほうを皆思い浮かべるだろうよ。なぜ代替わりしないんだね?」
確かに皆から不思議がられる。先日の生誕祭のような格別に威儀のある式典でもない限り俺がレノワ家の当主代理として社交を務めており、実質的には家督を引き継いでいるも同然の状態だ。
しかし、本当の家督相続はぎりぎりまで固辞するつもりでいる。
若輩者ですので、などと普段なら曖昧に答えておく場面なのだが──。
「しかし君は独身だからな。夫人がいない当主というのは不格好だ。……代替わりを拒む理由はそのあたりかな?」
侯爵が葉巻を取り出して火をつけた。さすがに彼は俺ごときの思考などすっかり看破しているわけだった。
「どこの席でも君のつれなさはご婦人方の好物の話題だ。しかし羨ましいものだよ、これが普通の男だったら相手にもされず嘲笑されて終わるのに、君となると、孤高の貴公子などと呼んで株が上がっていくんだからな」
侯爵はそれこそ嘲笑した。一体この老獪な男は何が目的でこんなくだらない話を吹っ掛けるのだろうか、と俺は成り行きを見る。
冷静を保とうとする俺をあくまで小馬鹿にするように、侯爵は少し口元を上げた。
「しかし女嫌いだろうと何だろうといずれ子は挙げねばならんだろう。私が腕を振るって最高の貴婦人を世話してもよいぞ?」
くだらない。俺はそう思った。だが、今のが侯爵の真意かどうか判然としない。俺は表情を崩さないよう細心の注意を払いながら、じりじりと灰になっていく侯爵の右手の葉巻を見つめた。
「私ごときに過分なお気遣い、恐れ入ります。しかし私のような者には如何なるご婦人も勿体ない。それに俺が夫人を設けずとも、レノワ家の今後には差し支えないよう手配するつもりでおります」
「ご両親は不満の様子だったが?」
「父の承諾は得ております」
きっぱりと断言したのは、侯爵の言及が許容範囲を超えているからだった。我が家の今後は我が家の問題。いくら侯爵がこの国を動かす権力の枢軸だからといって、余計な口出しをされてはたまらない。
可愛げのない俺の態度があまり面白くなかったのだろう、侯爵は表情を一変させた。もともと酷薄な印象を与える細目がさらに糸のごとく狭められ、眉間にくっきりと縦皺が寄った。
「では何のつもりであの娘を狙っているんだ。女嫌いのはずの君が、私の家の使用人と懇意にしている理由は何だ?」
はっと視線を跳ね上げると、雷撃でも放ちかねないほど暗雲垂れこめた侯爵が葉巻を押しつぶすところだった。俺の顔から一瞬血の気が退去した。
「君が裏でどれだけ火遊びしようと知ったことではないが、あの子に安易に手を出すのは私が許さんぞ」
まるで愛娘が連れてきた男友達を威嚇する父親のようではないか。
なぜ。
動揺した俺は誤魔化しようのない空白の間を生んでしまった。もはやフローネとの仲を認めたようなものだった。これほど緊迫した空気を吸うのもなかなかない経験だ。侯爵の眼力ときたら、睨み殺せるものならそうしてやる、とばかりの迫真なる勢いである。
内心はそれに圧倒されながらも、俺は腹をくくる。
「……火遊びなどと思われているならお腹立ちもご尤もかと存じますが、私は決して、遊びなどでは」
真っ向から反論したいが彼を刺激してはまずいと思い、控えめに言った。しかし結果はそう変わらなかった。
「火遊びでないなら何だ?真面目に一徹にあの子を恋うとでも?なら忠告しておくが、使用人とは深みに嵌らぬ方が身のためだぞ。悲劇を知っているからこその親切心だ。」
「悲劇……?」
「君のような色男に付きまとわれては誰の恨みを買うかも分からん。女の嫉妬が発火したらどうなるか、あの子が一番身に沁みているだろう」
俺は己の目を疑い、耳を疑った。
常に政治家として理性と打算で行動する侯爵とは思えない、苦々しげな口調、痛ましげな表情。この方が人情らしきものを漂わせたのは初めてだ。
一体これは何なのだろう。