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月下に待つ  作者: むぎ
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最終話

エピローグその2

 馬車を使ってもせいぜい一時間から二時間の距離、まだまだ王都の近郊と呼べる地域を訪れたのは年末年始をはるかに通りすぎて寒さが多少ゆるんだ季節だ。

 薄く積もった雪を踏みしめながら車輪は回る。

 先ほどまで窓から見えた風景は丘陵がでこぼこに連なった情感豊かな郊外のものだったが、ある地点を境に民家が消えうせ果樹畑一辺倒に変わった。ぶどう畑へ入ったのだ。マルグリット妃殿下の情報によると、アーフォルグ伯爵の隠遁地はこの奥だ。


 フローネを我が屋敷に連れ出したのはよかったが、年末年始に向けて王宮は忙しい時期を迎え、俺も立てこんだ仕事のために我が屋敷への帰宅を断念する日々がつづいたのは最悪だった。マルグリット妃殿下の参謀という名称の使い走りも、俺の時間を奪った。


「フィルー・レノワ子爵、いいこと?新年の舞踏会での踊り初めは私にしてもらうわよ。いつも取り巻いている、頭のふわふわした姫たちなど寄せつけるんじゃないわよ」

「ご命令とあらば。しかし妃殿下は王太子殿下をはじめ数多のお相手でお忙しいはずでは?」

 公人の立場にあるマルグリット妃殿下は、舞踏会に招待されている主要人物と一通りダンスを交えながら年始の挨拶に追われるはずである。

「もちろんですとも。だから、その間黙って待っていろって言ってるのよ。天下のフィルー・レノワ次期子爵を壁の花に仕立て上げられるなんて痛快ですもの」

 そんなわけでマルグリット妃殿下に引っぱり回された新年の行事も無事に終了し、更には俺から私生活というものを根こそぎ奪った仕事もなんとか目処がつき、雪の厚さがすり減った時期に、アーフォルグ伯爵を突撃訪問してみることにしたのだった。


 くしゅん、と隣に膝をそろえた娘がくしゃみをし、俺は我に返った。

冬の郊外へ連れ出すにあたり、マフラーや毛布やクッションで身辺を厳重に防護させたにも関わらず、冷えがフローネを襲っているようである。

 マフラーとコートの下はドレス一枚である。光沢のあるシャンパン色の生地に差し色の黒を効果的に配した一着。腰から脚にかけて淑やかなラインを描くスレンダードレスは、滅多に屋敷へ帰宅することも儘ならなかった俺が唯一彼女に贈った心遣いであった。


「こんなものを着て外出するなんて……」

というフローネの狼狽を無視して着用させたのは俺なので、責任を持って彼女を寒さから守るべく、その身を腕の中に包みこんだ。

 雛を抱く母鳥みたいな図が何ともこそばゆく、勝手に頬が緩むというものだ。


 フローネにはあえて行き先を告げていない。俺が伯爵の情報に辿り着いたことも一切秘めてある。もちろん血の繋がりなんて論外である。


 馬車は緩やかな傾斜に差しかかり、それが10分ほど経ったとき御者の声があって馬の足が止まった。

 山の中腹。小さな山荘は注意深く森に隠されていたが、天に棚引く煙突の煙がその位置を明らかにしている。


「フィルー様……ここが目的地なんですか?どこですかここ?」

「いいから早く降りてこい。寒いだろ」

「無茶言わないでくださいよ。ドレスの裾が雪で濡れてしまいます」


 それもそうだ。横抱きにしてシャクシャクと真白の絨毯を踏みしめ、山荘の戸口に立ってふと「このまま対面したらどうなるんだろう」と益体もない興味が湧いたものの、フローネはさっさと身をよじって腕から降りた。


 改めて全体を見ると、薪割りの途中らしい丸太の残骸が無造作に寄せられていたり、ほつれかけた縄で錆びた道具類を縛ってあったり、風雅さとは対極にある小屋である。伯爵ともあろう男が住んでいるとはとても信じられない。


 ノックの音は静かそうな小屋内にちゃんと響いたはずである。

 しかしなかなか応答がない。俺の背中に控えているフローネが訝しげに呟く。

「……どこかとお間違えになっているんじゃないですか?誰もいらっしゃらな」

 ギッ

 板の軋む音とともに戸口が内側へ動き、薄暗い長方形の空間が現れる。奥から一人の影が近づく。


 男性は口を開いたが、思うように声が出なかったのか一度咳払いをした。

 俺がレノワ家の跡取りとして社交界へ出てからアーフォルグ伯爵が失脚するまでの時差はせいぜい2、3年といったところで、両家には特に付き合いもなく、互いに面識はあれど話をしたことはない。

 したがって、滅多に迎えることもないであろう訪問客がなぜか俺であったことについて、伯爵が理解に苦しんでしばし絶句していたのは無理からぬことである。


「……これはこれは、何と言ったらいいのか……」

「突然の来訪、非礼は幾重にもお詫びします。しかし大事な相談事がありまして」


 まじめに一礼したのが効いたのか、驚きながらも快く室内へ通そうとした伯爵を呼び止め、俺は背後に従っていたフローネを前に引っ張りだした。

「!」

「……あっ」




 永遠に時が凍結したのではと思わせる長い見つめあいを経て、アーフォルグ伯爵がまず理性を取り戻し、改めて室内へ招き入れた。


 暖炉からの薪の爆ぜる音に、フローネがようやく声帯を震わせてかすれ声を聞かせた。

「お痩せになって……伯爵様……」

「そうかい?贖罪の毎日を過ごしているからね。失礼」

 白髪の多くなっている伯爵が紳士的に断りを入れ、立ちすくむフローネの前髪をそっと掬った。彼女が気の毒なほど上気していくのに気が付いているのかいないのか、彼はただ眉をしかめて

「痕が残っているんだね」

と苦々しげに言った。──火傷のことだ。

 彼の身うちが起こした不祥事には、偶然ではあるがフローネが被害者として巻き込まれている。伯爵にとっては娘だ。さらに言えば不祥事を仕出かした身うちとは彼の正式な娘──正妻との間の娘──である。尋常でない苦悩を味わったであろうことは想像に難くない。


 独りで侘しく暮らしているという話通り、伯爵自らが腰を上げキッチンへ立とうとするので、あわててフローネがお茶の準備を申し出る。


 フローネが軽やかに身を翻したとき、伯爵は再び驚愕の面持ちで彼女を呼び止めた。

「その……髪飾りは……?」

「あ、これですか?母の遺品なんです。どうかなさいましたか?」

 ドレスと同様、俺の命令によって今日のコーディネートに選ばれた藍色の髪留めは、フローネにとってさほど重要な意味を持っていない。不思議そうに首を傾げながら、気になるならどうぞ、とあっさり髪から外し、彼の掌に乗せた。


 かつて、愛しい女性のために彼自身が見立てたのであろうそれが、真相を知らない娘の髪を彩る形で甦った。感無量といった伯爵を眺めつつ、我ながらいい演出をしたものだと自画自賛する俺であった。


 防寒機能に優れていない粗野な山荘内だったが、暖炉だけは勢いよく燃えている。火を背にした特等席で、問われるままに王都の様子やこの場所を探し当てた経緯を説明した。

 だが、それらはあくまで前振りであり、伯爵が確認したい核心は別のことだというのが、お茶の並んだテーブル上ですぐに判明することとなる。


「想定外の顔触れだったから本当に驚いたよ。しかしなぜ君たちが……君たち二人で?」


 人格者はかくあるべしと太鼓判を押したくなるような笑顔で、伯爵は珍客の関係に探りを入れてきたのである。やっぱり気になるよなぁ、遠くから見守ることしかできない愛娘に男が寄っていたら。

 なんだか可笑しくて、つい俺の中に住みつく天の邪鬼が余計な口を出した。


「なぜって、彼女は俺の妻ですから」


 ぐっ、と奇妙な音がそれぞれ発生して二人分の咳が交互に止まらない。

「な、な、何を仰るんですか!?妻……!?」

 フローネが真っ赤な顔で首を振る。

「滅相もない!」

「おや、何か不都合でも?」

「フィルー様!ふざけないで下さいよ!」

 そういえば妻だと他人に紹介するのは初めてだったかな。俺の目当ては伯爵の反応だったのだが、彼女のかわいい動揺も楽しめて一石二鳥だった。伯爵は一気に白髪を急増させたのではないかと思われるほどの衝撃を受けたらしく、しばらく俺の顔を見ようとしなかった。


 昼食の時間が近づくとフローネは、ドレスを汚すことに躊躇しながらも料理がしたいと言い出した。それに対する伯爵の反応は

「しかし火傷でもしたら大変だ!」

だった。陰で笑いをこらえる俺に気づかず、フローネはいささか自信ありげに胸を張る。

「大丈夫ですよ。フィルー様のお屋敷で時々作らせて頂いているんですから。ね、そんなに酷い味ではないですよね?」

 悪気もなく俺に同意を求めるフローネにはやっぱり見えていないようだが、伯爵は不愉快そうな色を目の端に乗せ、俺を睨んできた。愛娘に何てことをさせるんだ、という感じだろうか。でも王宮に宿直の日々が続いたせいで彼女の手料理を堪能したのは一、二度くらいのものであり、幸せな生活は今日からが本番というところだが。


 いつかのエドの家と同じで、ろくな食材も設備もない中でフローネは、素朴であたたかい食卓をととのえた。

 それを三人で囲み、他愛のない話を交わしながら、ひとときを過ごす。


「本当にありがとう……。君の料理が食べられて嬉しかったよ」

 結局、最後まで伯爵はフローネを「君」と呼び、血の繋がりなど微塵も口にしなかった。であればフローネも真相など知りようもなく、ただただ敬愛する伯爵に笑顔を向けるだけ。

 それでいいのかと思わなくもない。けれど、静かな湖面のように完璧な調和を保っている今の彼らの関係に、わざわざ波を起こすべきなのかどうか、俺には分からなかった。どの道俺が口を出すことでもない。


「お礼ならフィルー様に。このお住まいを探し出して連れて来てくださったのはフィルー様です」

 フローネは俺をきらきらとした瞳で見上げた。


「そうか……幸せな結婚をしたようだね」

 伯爵はうなずいて、ようやく愛娘の結婚を受け入れたらしい。


「ではまた、いつでもここを訪ねてほしい。そうだな、今度は子どもの顔を見せに来ておくれ」


 これは彼にとって最大級の温かい祝福だったろうが、子どもと聞いてフローネの呼吸が一瞬とまった。

 俺はその肩に手を置いて、伯爵に笑いかけた。


「ええ、そうなったら、伯爵には孫のように可愛がって頂きたいものです。ですからお体に気をつけて、吉報をお待ち下さい」

「まさか今になって私に未来の楽しみができるなんてな……」


 照れたように頬をゆるませる伯爵と、俺のまじめな表情を交互に見て、フローネも沁み入るように笑った。


本作はこれにて完結です。

読んで下さった方に心からの感謝をお伝えします!!


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