第25話
エピローグその1
「で、遅刻なわけね」
フローネを連れ帰った翌朝、王宮ではマルグリット妃殿下が首尾を知ろうと俺を呼んだらしいのだが、あいにく俺は幸せな寝坊の真っただ中で王宮へ出勤したのは昼近くだった。
私は暇じゃないのよ、商工議会と道路交通振興委員会と鳥類研究所と……以下略、それぞれの会談の合間をぬって使いを出せば寝坊なんて、と妃殿下お得意の嫌味が並べたてられたが、言葉ほど機嫌は悪くなさそうだった。
「夕べのうちに父上……侯爵には話をつけておいたわ」
「ありがとうございます。ちなみにどのように?」
例えは悪いがマムシとマングースの戦闘の行方は気になる。
「私の“お気に入りの”侍女に勝手に転職を勧めるなんてどういうつもりか、とね。まぁ彼も叩けば埃の出る身だし、あくまでも非公式の抗議ですから、これ以上事は大きくならないでしょう。ほほほ」
なるほど、父親との勝負を制したことが上機嫌の理由らしい。
ひとしきり勝利を誇った妃殿下は、ただね、と話をつづけた。
「ただ憎みきれないのよね……父上はフローネを誰のもとに送ろうとしたと思う?」
「転職先ですか?」
そうだ、俺も何か引っかかっていたんだった。侯爵の知人で隠遁暮らしの信頼できる人柄の──となると──?
「そう、アーフォルグ伯爵よ。私も夕べ話をしていて気がついたわ」
アーフォルグ伯爵!俺はその名前を複雑な響きをもって聞いた。
伯爵は数年前に身うちの不祥事により失脚した人物で、以来王宮では彼のうわさの影すら消えうせた。フローネは彼のことが大好きだ。その熱烈な敬愛ぶりが俺の嫉妬を買うほどに。ぜひ行方を探してほしいと頼まれたことさえあったが、うまく手がかりが得られなかった。
彼がフローネの転職先だったって?阻止できてこんなに嬉しいことはない。伯爵に仕えたとしたら、彼女はあっけなく俺のことなど忘れて新しい生活を楽しんでいたに違いない。
「もう貴方がフローネを掻っ攫った後だったから良かったけど、もし事前に知らされてたら私は貴方の味方をしなかったかもねぇ……生き別れの親子を引き裂くほど私は非道じゃないもの」
ん?
何か今さりげなく爆弾発言が……。
「親友の隠し子だから父上も昔からフローネには気をつかってたのよ。貴方との仲に反対する気もちも分かるわ、あの子の母親もうちで侍女をしていた日陰の人だったから」
妃殿下は淡々と秘められた真実を暴露していく。俺の頭はついていくのがやっとだ。
「では……伯爵はあいつの父親……と……」
「フローネは知らされてないわ。だけど何か感応するものがあるんでしょうよ。貴方もあまり見苦しい嫉妬はせずに、そのうち伯爵を訪ねてはいかが?」
と、伯爵の隠遁地まで教えられてしまってはぐうの音も出なかった。
完敗だ。
そして俺の表情を読み取った妃殿下の機嫌はますます潤う。笑顔の妃殿下は普段の高慢さとは似ても似つかない、上品で穏当な貴婦人に見えた。
この方を妃に選んだ王太子殿下はいろいろな意味で大したものだ、と思う。
今日も部屋は人払いされてあったが、その前に誰かが小テーブルにワインのボトルとグラスを準備したようだ。ラベルの紋章は王家所有のぶどう畑ならびに醸造所謹製のロイヤルワインであることを誇示している。グラスは二つ。
「さて、レノワ次期子爵……」
妃殿下がベルベットチェアに座りなおし、足を組む。
「明白なことだけれど貴方は私に恩ができたわね?」
黒い瞳が挑戦的に眇められ、得も言われぬ艶と迫力が部屋に満ちた。
御意、と答える。
「私は父上にも王太子殿下にも依存せず自分の力で議会での発言権を握るつもりよ。いずれ王太子殿下の御世になったとき、ちょっと頼りないあの人を支えられるようにね。その為には信用できる片腕が必要なの。ですから……フィルー・レノワは今日これから私の参謀役になって頂くわ」
「参謀……!?」
「寝坊している暇は金輪際ないわよ」
まさかそんな突飛な見返りを要求されるとは予想もできなかった。冗談ではないかと疑ったが妃殿下は嫣然と微笑むばかり。
「孤高の花形貴公子を片腕につけた、というだけで社交界への影響は大きいからね。さ、分かったらワインを注ぎなさい」
琥珀色の液体を入れ、結約を固めるようにグラスを掲げると、
「祝杯よ。あんなんでも子どもの時から一緒に育ってきた私の侍女だったんですからね。せいぜい可愛がってやって」
妃殿下はそう言ってグラスをあおった。