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月下に待つ  作者: むぎ
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第24話

 地表に隠れ潜むものを露わにするような皓々たる月下。


 だがフローネが佇んでいたのは人気の少ない書庫のあたりだったので、誰にも見咎められなかっただろう。そうでなければ大きな荷物をぬいぐるみのように胸に抱え、ぼんやりと視線をさ迷わせている彼女は不審者扱いされたかもしれない。


「立ち去り難いか?」

「!」


 俺の声に振り向いた彼女は、月夜にも明らかなほど顔を青ざめさせた。俺が一歩近づくと一歩後ずさりする。枯葉が音を立てた。

 気魂が霧散するかのように、彼女の口から白い呼気が漏れる。今宵はよほど冷え込むようで、厚い上着が必要である。そこまでの防寒仕様でないフローネの装いを見て、早く温かい屋内へ、と思いつつも俺は黙って彼女の言葉を待った。


「誰からお聞きになったんですか?」

 とうとう観念したのかフローネが口火を切った。弱々しく地面に落ちた声音は、まるで冬に迷い出た蝶のよう。

「マルグリット妃殿下だ」

「マルグリット様……」

 王宮に置いていた私物すべてが詰まっているのだろう荷袋が唯一のよすがだと言うようにフローネはそれをぎゅっと抱きしめる。迷子になった幼い女の子みたいだ。


「一つ聞きたいことがあったんだ。侯爵が斡旋したっていう新しい奉公先というのはどこなんだ?妃殿下の話では隠居じじいだとかいう……」

「いえそれは……田舎に隠遁暮らしの方とお聞きしてます。信用のおける知人だと……あとは何だったかしら……独り住まいが侘しそうだから話相手に行くくらいの気もちでよい、温厚な人物だから仕えやすいだろう、と聞かされてました」

 ふと何か引っかかりを覚えたがその正体を見極める確かな根拠はなく、侍女頭の言うように幸せそうな勤め先ではあるな、と思った。


「で、……その仕えやすい人のところへ行くのか」

 たとえ頷かれたとしても承知する気は毛頭なかったが、とりあえず聞いておく。


 答えがないまま立ちすくむ彼女の背後から北風が一陣吹き、衣服の内側にまで寒気が襲ってきた。彼女が身を震わせたのを機に、俺は冷えたその体を包みこんだ。


「まったく、何時間ここに居たんだ?さっさと立ち去ってりゃ俺に会わずに済んだものを……それとも俺を待っていたか?」


 物理的にフローネを腕の中に取り戻したことは俺を大いに安堵させた。さらに、彼女がいつまでも俺との思い出を振り捨てきれずに、かつてよく待ち合わせに使っていた書庫にいたことも、俺の心理に余裕をくれた。


 この場で最後に望むものは彼女の言霊、それだけだ。


 けれども素直が身上のはずのフローネがこれに関してだけは鉄壁の砦をしく。

「わたしは、……わたしはどんなに努力したってフィルー様に釣り合う相手にはなれません。わたしのせいで、あなたに泥を塗りたくはないのです。だからわたしは……」


 この期に及んでまだ抗うのか! 

 先はもう確定しているのに、と思いながら俺はひとまず説得を後回しにして屋敷に連れ帰ることにした。クリストフが万端の準備をととのえているであろう暖かい部屋で、一晩かけて説き伏せて。一晩で足りなけ

れば二晩でも十晩でも。


 玄関ホールから寝室に至るまで快適に暖められた屋敷では、数少ない使用人の全員がフローネを歓迎した。料理長は熱々のパンプキンスープを飲ませたがり、ハウスキーパーのおばさんはまずお湯を使うように言い張った。

「ようやくこの殺風景な屋敷に潤いがきた、とみんな張り切ってますよ」

 フローネの入浴中、クリストフは手抜かりがないかと寝室を見回りに来たついでに、苦笑交じりに報告してくれる。

「ただし急な話だったので十分な準備ができなかった、という不満の声も。外にはお披露目しないんですから、せめて内々の祝宴くらいはきちんと張らなくては、と使用人一同申しております」

「だ、そうだよ。フローネ」


 クリストフの話し声に入室をためらって続き間に身をひそめていた彼女は、俺に声をかけられてしぶしぶ姿を見せた。羽織っている白いガウンは柔らかく温かそうだったが、なにせ女物の衣装の用意がなかった我が屋敷のこと、男性用サイズの袖口からわずかに指先がのぞく。

 察しのよい執事は迅速に扉の向こうへ消えた。


「こっちに来いよ」


 暖炉前のロッキングチェアに揺られて過ごす寝る前のひとときは、凝りをほぐすような心地よさだ。その体勢のままの俺に呼ばれて、どうしたものかという顔をしながら近づいたフローネを、捕獲して膝の上に乗せてやった。驚きの悲鳴とともに椅子が大揺れになり、彼女は仕方なく俺につかまって波が静まるのを待つ。


 湯上りの香りが鼻腔をくすぐった。本音を言えばすぐにでも彼女が欲しかった。


「この寝室に人を入れたのは初めてだ」

「……ほんとうなら誰も入れない予定だったのでは?」


 フローネは横目で室内を流し見たが、すぐに俺へ曇った表情を向けた。


「子どもは欲しくない、とフィルー様はおっしゃったでしょ。跡目争いにならないように。レグルドお兄様の息子さんを養子にして、ずっと独身を通すって。わたしがここに居ることは、あなたの邪魔になるんじゃないの?」

「おまえを連れてきたのは俺だぞ。邪魔ならそんなことしないだろ」

「だから、仕方なくよ。わたしが王宮を出ていくことになったから仕方なくこうしただけで」


 顔をのぞきこむと瞳には涙がなみなみと張っていて、暖炉の火を映して水晶のようにきらめいていた。


「わたしはあなたを恨んでいるわけじゃないのよ。ただあなたの妨げにならないように、遠く離れようと思っただけ」

「我がままで悪いな、俺はおまえに離れて欲しくはないんだ。このくらいの近さに居てくれないと」


 少し首をのばせばキスのできる距離だ。存分に味わって唇を離すと水晶がこぼれ落ちた跡がある。

 我がままばっかり、とフローネが俺の肩めがけて呟いている。目を見て責める勇気はないらしい。


「おまえが優しすぎるから俺は調子に乗るんだけどな。おまえももう少し我がままを言っていいんだぞ。聞いた通り屋敷の使用人はおまえの味方だ」


 涙を舐めとる時、暖炉に当たって右側の頬が熱いことに気がついた。当たり過ぎて気分が悪くなる前に、俺は膝上の彼女をそのまま抱き上げて寝台に運んだ。


 白いガウンを合わせを解くと、

「……いいんですか?本当に?……わたしで……」

「それはむしろ俺のセリフだね」


 窓から微笑むように月がのぞいていたけれど、それを意識するような余裕は俺もフローネもなかった。


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