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月下に待つ  作者: むぎ
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第15話

 暦は秋へ移った。


 文化行事が目白押しの季節。王侯貴族はそれぞれ乗馬や狩りや室内楽に興じ、また王宮でも晩餐会や舞踏会が開かれて何かと忙しくなる。


 秋の音楽会もその一つだ。宮廷音楽家によるオーケストラは外国のそれと遜色ないほど近年レベルが上がって来ていて、今年は著名な指揮者をわざわざ招聘している力の入れよう。ただ残念だったのは怪しい天候のせいで野外会場が取りやめになり、いつもの大広間になったことくらいだろうか。


「すばらしい演奏でしたわね。すっかり酔ってしまいましたわ」


 終演後、一人の若い令嬢が光り輝くスマイルを放ちながら俺に歩み寄ってくると、たちまち周辺の女性陣が各自の会話を切り上げて輪に加わってきて、

「本当ですわ。なんだかこのまま帰宅なんてつまらない」

「私、チェロが弾けますの。アンサンブルなさいません?」

「素敵ですわ。私はヴァイオリンを。フィルー様、ぜひご一緒に余韻に浸りましょうよ」


 年頃の令嬢たちが5人ばかり団結し、優雅に、しかし逃がすものかという気迫で俺を包囲した。いずれも舞踏会では必ずダンスを申し込みに来る面々で、お馴染みといえばお馴染みの関係である。


 断るのに迷う余地はなかったが、一度くらいでめげる彼女らではない。良くも悪くも慣れているのだ。この後ご予定でもあるんですかと食いつかれ、ないなら構わないでしょうと強引に腕を絡められる。


「大丈夫ですよ、フィルー様の女嫌いは承知しておりますから、どなたか殿方にも声をかけますわ。そうね……サイデン子爵?」


 偶然傍を通りかかった男を無作為に選び、すばやくメンバーを調達してきた。華麗な令嬢一団からアンサンブルに誘われた男たちも大いに乗り気で、俺は外堀を埋められた格好になる。


 だが、今宵こそはフローネに会うのだ。あれから何度か機会を見繕ってミミルをお使いにやったのだが、タイミングが悪かったのか、それとも意図があったのか、とにかく都合がつかないという理由で密会は延期になっていた。さんざん気を揉むうちに日差しが衰え秋になり、今夜の音楽会後を提案すると、今度は辞退されなかった。


 だから並々ならぬ意志をもって俺はアンサンブルを断ったのだが、淑女の仮面をかぶった5人娘も執拗である。個別に話せばここまで強情を張る人たちではないのに、今は集団の力学が働いているらしい。


 時間はどんどん過ぎていく。本格的に不穏な気分になってくる。


 途方に暮れながらあの娘が待っているかもしれないのに。


「物騒な目をしておられますね、ご同輩」

 すっと横に移動してきたサイデン子爵が俺の顔を覗きこんで、声を忍ばせた。俺よりも年上だが同じ記録係を務めている男である。


「抜けていいですよ。堪忍袋の緒が切れてムードをぶち壊しにされるのも嫌ですしね。なあに、後のことはご心配なく、適当にフォローしておきますから。──では皆さん、楽器をお屋敷から取り寄せるお時間が必要でしょうから30分後、始めることにしましょう」


 サイデン子爵の大声に賛同して一旦解散するメンバーに混じり、俺は広間を出て注意深く北東の塔へ戻った。


 誰も待っていない部屋は無機質の暗闇だった。


 一度訪ねてきて諦めて帰ったのか、それともこれから来るところなのか。微妙な時間帯である。


 今日はクリストフもミミルも屋敷に帰らせてある。フローネが今どこで何をしているのか……探しに行けるのは俺しかいないが、行き違いになる可能性もある。己を落ち着かせ、もう少し待ってみることにしたが、部屋の明かりをつけ忘れるほど俺は焦燥に駆られていた。


 しばらくすると廊下にガヤガヤと人の群れる音がして、そんなことは滅多にないことなので驚いて耳を澄ますと、どうやらアンサンブルの連中がサイデン子爵の部屋に集合したらしいと分かった。記録係の同僚なので部屋は隣なのだ。賑やかな話し声の次に楽器の音色が響き始め、俺はますます落ち着かなくなる。


 ええい、出よう。


 一階まで下りて外に出ると、規則正しく植えられている木々によって狭められた夜空に、今宵は厚い雲をかわして月が楚々と浮かんでいた。しかし雲は明らかに水分を含んでいて重たげだった。もう間もなく雨になるだろう。


 俺の胸中は既に土砂降りに見舞われているけれど。


 宮殿に戻りひと回りしたが雨の予感のためかあまり人は残っておらず、催し後にしては閑散としていた。もちろんフローネと遭遇するような奇跡も起こらない。彼女の部屋は知っているが、朋輩たちとの共同寝室になっているので手も足も出ない。


 これはいよいよ……一度思い出ができれば十分だろうと天から囁かれているかのようだ。


 それとも、フローネの拒絶の意志が天に通じたのか。


 取り返しのつかない失敗を犯したような気がして悄然と塔に引き上げる途中、アンサンブル集団が出ていくのを見つけて陰でやり過ごす。


 やがて天空の気配が不穏になり、板のような屈強な雲に月光が攫われたかと思うとにわか雨が木の葉を叩く。たちまち世界は雨一色になった。


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