ミステリー小説好きの私ですが、うっかり婚約者の浮気に気づいてしまいました
約5千字。些細な日常から始まるサラッとした浮気×推理ものです。(ドロッとしてるのが好きな方はごめんなさい)
私――御厨栞には、三年ほど同棲している彼氏がいる。
名前は朝倉祐介。
この三年間、これといって大きな問題はなかった。少なくとも、私はそう思っている。
朝になればそれぞれ仕事へ向かい、夜になれば同じ家へ帰ってくる。休みが合えば一緒に出かけることもあるし、面倒な日は二人揃って夕飯をコンビニで済ませることだってある。
来年には籍を入れようか、という話もしていた。
だから私自身、
(まあ、このまま祐介と結婚するんだろうなぁ)
くらいに考えていた。
もちろん、祐介に欠点がないわけではない。
最大の欠点は、パチンコが好きなことだった。
「また行ったの?」
「ちょっとだけ」
「で?」
「……負けました」
「いくら?」
「…………」
「祐介?」
「一万円ほど……」
「一万円を『ほど』で誤魔化すな」
過去にはそんなやり取りも何度かあった。
別に私も、パチンコへ行くこと自体を禁止しているわけではない。しかし今後は結婚式や新生活など、何かとお金がかかる。
「行くのはいいけど、使いすぎないでよ。これから出費増えるんだから」
「はいはい。わかってますよ」
「返事が軽い」
「わかっております」
「よろしい」
そんな調子で釘を刺した甲斐もあり、最近の祐介はかなり控えていた。
たまに小さな喧嘩はする。けれど、それは一緒に暮らしていればそれくらいあるだろう、という程度のもの。
私たちはごく普通に、平和に暮らしていた。
そしてそんな私には、昔からこよなく愛しているものがある。
ミステリー小説だ。
子供の頃、家にあった一冊を何気なく読んだことが始まりだった。以来、書店へ行けば真っ先にミステリー棚へ向かう。新刊も読むし、古典も読む。休日に予定がなければ、一日中ソファに寝転がって読んでいることだって珍しくない。
本棚も当然、その手の本ばかりだった。
「また増えてない?」
「気のせい」
「先週より明らかに三冊くらい増えてるんだけど」
「本棚というのは自然繁殖するものなの」
「怖いな、ミステリー小説」
祐介にもたまに呆れられていた。
私は派手などんでん返しも好きだったが、とりわけ好きなのは、一見どうでもよさそうな違和感から真実がひっくり返るタイプの話だった。
中でもお気に入りの一冊がある。
その小説では、ある事件の犯人が自分の行動を誤魔化すために、
『駅前の書店で雑誌を買って、しばらく時間を潰していた』
と証言する。
ぱっと聞いただけなら、何の変哲もない言葉だ。しかし探偵は、そこに一つの食い違いを見つける。
犯人が買ったと言った雑誌。その発売日は、翌日だったのだ。
たったそれだけ。本当に小さな違和感だった。けれど、そこから一つずつ証言が崩れていき、最後には事件の真相まで暴かれてしまう。
その中に、私が特に気に入っている言葉があった。
『人間が嘘をつくとき、嘘そのものより“どうでもいい細部”を間違える』
そして事件を解決した探偵は、最後に犯人へこう告げる。
『あなたの咄嗟に出たひと言が、私を真実に導いた』
私はその場面が好きで、何度も読み返していた。
とはいえ、それはあくまで小説の話である。
まさか自分の日常で、そんな台詞を思い出す日が来るなどとは――このときの私は、当然ながら考えてもいなかった。
その日は、ごく普通の平日だった。
仕事を終えて帰宅した私は、着替えを済ませてから冷蔵庫を開けた。
「あれ?」
見覚えのないプリンが一つ入っていた。
普通の三個入りプリンなどではない。一個数百円する、少しお高めのコンビニスイーツである。
私なら買う。甘いものは好きだし、仕事で疲れた日には自分へのご褒美と称して買うこともある。
しかし祐介は違う。
甘いものが嫌いというほどではないが、自分からプリンを買って食べるような男ではなかった。
すでに帰宅していた祐介へ、私はプリンを持ったまま振り返る。
「祐介、これどうしたの?」
「ああ、それ?」
祐介はちらりとこちらを見て、ごく自然に答えた。
「お土産。駅前のコンビニで見つけたから。そういうの好きだろ?」
「え、ほんと? ありがとう」
素直に嬉しかった。
何でもないことかもしれない。けれど、自分の好きなものを覚えていて、仕事帰りに買ってきてくれた。
こういうところはちゃんと気が利く。
私は少し機嫌よくプリンの蓋へ目を落とした。
そして。
(………………え、ちょっと待って!?)
手が止まった。
そのプリンは、あるコンビニチェーン限定の商品だった。
別に珍しい知識ではない。私自身、以前にも買ったことがあるから知っているだけだ。
問題はそこではない。
私たちが住んでいるアパートの最寄り駅前には、少し前まで三軒のコンビニがあった。そのうち一軒が、数か月前に閉店した。
そして閉店したその一軒こそ、このプリンを扱っているチェーンだった。
現在残っている二軒は別系列。当然、このプリンは売っていない。
(……駅前のコンビニで見つけた?)
祐介は確かにそう言った。
でも、それはありえない。
私はプリンを見つめたまま固まった。そして、ふいに頭の中へ例のミステリー小説が蘇る。
駅前の書店。
発売日前の雑誌。
何でもない証言の中に混ざった、小さな食い違い。
『人間が嘘をつくとき、嘘そのものより“どうでもいい細部”を間違える』
(……いやいや。小説じゃないんだから)
さすがに自分でもそう思った。
プリン一個で何か大事件を想像するなど、我ながらミステリーの読みすぎである。
……ただ。
(じゃあ、なんで祐介は「駅前のコンビニで買った」なんて言ったんだろう?)
一度引っかかると、気になった。
ほんの些細なことだ。けれど、事実とは違う。
何か理由があるのだろうか。
最初に頭へ浮かんだのは、パチンコだった。
(……まさか今日、行った?)
最近は控えていたが、久しぶりに仕事帰りに寄った。しかも結構な額を使ってしまった。
それを私に怒られないよう、先回りしてプリンを買ってご機嫌取りをした。
(……ありそう)
思わず納得しかける。
祐介なら、十分やりかねない。負けた金額を白状する前に、プリンの一つくらい差し出してくる姿は容易に想像できた。
けれど。
(でも、それならプリンを買った店まで嘘つく必要なくない?)
パチンコへ行ったことだけ伏せればいい。
素直にどこそこのコンビニで買った。そう言えば済む話だ。
パチンコをごまかしたかったとしても、「駅前のコンビニ」という存在しない入手先をわざわざ作る必要はない。
(じゃあ、本当は別のコンビニで買っただけ?)
会社近くの店舗。乗換駅。仕事で外に出た先。
候補はいくらでもある。
でも、それこそ意味が分からない。これまた普通にそう言えばいい。
そこで私は、ふと考え方を変えた。
(……そもそもこれ、祐介が買ったものなの?)
そもそも前提から違っているのではないか。
祐介でない。なら、誰かからもらったもの。
そう考えてみる。
(考えられるとしたら……家族の誰か?)
祐介の実家は遠方だ。兄弟も近くには住んでいない。今日こちらへ来ているという話も聞いていない。
……可能性は低い。
(じゃあ、友だち……?)
仕事帰りに友達と会って、何かのついでにもらった。
(ありえそう……ただ)
あいにくと今日は平日だ。祐介は普通に朝から仕事へ行っていた。
私が帰宅する前にはすでに家にいて、ゴミ箱には夕飯に食べたらしいコンビニ弁当の容器まで入っている。誰かと飲みに行った様子はない。
プリンだけ渡して別れたという可能性まで考えればゼロではないけど、常識的に考えてその可能性は乏しい。
(家族じゃない。友達も、たぶん違う)
なら。
今日、祐介が一番長くいた場所はどこか。
(……職場?)
そこで、妙にすんなり腑に落ちた。
職場なら、プリンをもらうこと自体は何もおかしくない。上司が残業中に買ってきたのかもしれないし、同僚から何かのお礼にもらったのかもしれない。誰かがコンビニへ行くついでに差し入れしてくれた可能性だってある。
私だって職場で上司からスイーツを奢ってもらったことくらいある。
(いやいやいや)
だとすれば、結局最初の疑問に戻る。
ただの職場の人からもらっただけなら、「会社でもらった」と言えば済む話だ。それなのに祐介は、『駅前のコンビニで見つけた』と、わざわざ自分で買ったことにした。
(……なんで?)
もし「会社でもらった」と言えば、私だって誰にもらったのかくらいは聞くだろう。それを聞かれたくなかったのだろうか。
(相手を知られたくない……?)
そこまで考えた瞬間、胸の奥へ嫌なものが落ちた。
(……まさか)
そう思ったところで、今度は記憶の方から勝手につながり始めた。
少し前、夕食を食べながら祐介が会社の新人について話していたことがある。
『今年の新人の中にさ、すごく可愛い子がいるんだよ』
妙に楽しそうに、そんなことを言っていた。
そのときの私は別に気にも留めなかった。会社に可愛い女性が入ってきた。だから何だという話である。それだけで嫉妬するほど狭量でもない。
ただ、祐介はその子についてもう一つ話していた。気配りのできる子で、よく職場へ差し入れをしてくれる、と。
(……差し入れ)
視線が手元のプリンへ落ちる。
さらに、今まで気にもしていなかった最近の出来事がぽつぽつと思い出される。
『明日って何時くらいに帰る?』
『今週の土曜、出かけるんだっけ?』
最近の祐介は、以前より私の帰宅時間や休日の予定を細かく確認するようになっていた。
知らない飲食店にも詳しくなった。
『へえ、そんな店知ってるんだ』
『会社の人に聞いた』
そんな会話もあった。
それから、帰宅したあとの匂い。最近は上着へ消臭スプレーをかけたり、自分の服の匂いを妙に確認したりすることが増えていた。
そのときは、全部どうでもよかった。
私の予定を聞くのだって、婚約者なら普通だ。流行の店を知っているのだって、会社の人から聞いたと言われればそれまで。匂いだって、汗や飲食店の煙が気になっただけかもしれない。
一つ一つなら、本当に何でもない。でも。
「…………」
今一度、手に持ったプリンを無言で見つめる。
(このプリンが職場の女の人からもらったという事実を、私には隠そうとした……)
その仮説を真ん中に置いてみると、それまでバラバラだったものが全部つながった気がした。
「……ねぇ、祐介」
私は呟き、ゆっくりと後方を振り返る。そして。
「あなた…………もしかして“浮気”してる?」
「…………え?」
祐介の動きが一瞬だけ止まる。
「はは、おいおい何言ってんだよ、急に」
何でもないような表情……けれど、その声はわずかだが確実に震えていた。
――結論から言うと、私の推理はすべて当たっていた。
祐介は浮気をしており、その相手は以前自分で話していた新卒の同僚女性だった。
彼女が入社したあと、祐介が指導係になった。そこから距離が縮まり、二人で食事へ行くようになり、やがて浮気関係になったという。
そして、あのプリンも彼女からの差し入れだった。
ただし彼女は、祐介の好みを完璧には把握していなかった。祐介は甘いものが得意ではないので、自分では食べたくない。かといって捨てるのはもったいない。
そこで、甘いものが好きな私に渡せばいいと思いついたらしい。それで冷蔵庫へ入れておき、私から「どうしたの?」と聞かれたときも「お土産」だと答えた。
彼にとっては何気ないひとこと。けれど、それがまさか致命的失言になるとは。
なお、一応あの時点では言い逃れしようと思えばまだギリギリできたはずなのに、なぜ祐介が途中から素直に白状したのかというと。
本人曰く、「お前の推理が正確すぎてビビったから」とのこと。
それともう一つ、
「浮気してる? って聞いてきたときのお前の目が、まるでライオンみたいで怖かったから……」
というわけらしい。失礼な。
で、結局その後、私たちはすっぱり婚約を解消した。三年も同棲した二人が、まさかプリン一個などという些細なきっかけから終わりを迎えるなど、いったい誰が予想しただろう。
とはいえ、やはり元々の浪費癖+浮気はいかに私がライオンではなく菩薩の生まれ変わりだとしても許容範囲外。むしろ今なら結婚前に気づけてよかったとさえ思える。
それとちなみに、今回の件には嬉しい誤算も一つだけあった。
婚約解消後、念のため弁護士へ相談してみたところ、三年同棲して家計も一緒にしていたことから、私たちは内縁関係として扱えるらしく、財産分与も求められるとのことだった。
しかも祐介は私に内緒で、給料やボーナスの一部を遊ぶ用の別口座に貯めていたらしい(なんてやつだ)。そのうち対象になる分と慰謝料を合わせると、思っていたよりかなり大きな金額になったのだ。
もちろん例のプリンは謹んで返上した私だが、こっちの方はきっちりもらっといた。おかげで今の私の懐は少々温かい。
「ま、そうは言ってもやれやれな話だけどね」
あーあ……友だちにも、そろそろ結婚って言ってたのに。私の人生、この先いったいどうなるのやら。
そんなことを考えながら、私は今日も書店のミステリーコーナーへ向かうのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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