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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

大人の残酷童話「なりゆき次第」

作者: 闇之一夜
掲載日:2026/03/24

 一


 しつけは街の連中から受けた。三、四歳のころ、弟と外で遊んでいると、どこからか大人が物凄い形相で走ってきて俺を怒鳴りつけ、顔面に鉄拳を食らわせてなぎ倒してから、胸や腹に何発も蹴りをいれて、立てなくなるまで徹底的にぶちのめす。どうも、知らずに物凄く悪いことをしていたらしい。それは路上のみならず、畑や屋内でも起きた。デパートの売り場なんていう、いっけん清潔そうな場所でさえ、俺たちがいただけで、店員が飛んできて殴り倒し、床に叩きつけて踏みにじる修羅場になる。


 俺たちの母親がしつけを全くしなかったんで、俺たちはどんな悪さでもした。何をしてよくて、何をしちゃいけないのかは、そのつど関わる赤の他人たちから、体で教わるしかなかった。別に母親が怠慢だったわけではない。奴はアル中だったから、俺たちの教育どころではなかった、それだけだ。だから仕方がなかった、神の決めたことだ。全ては必然だ。おきたことは全て当然の結果である、と幼児の頃に覚えた。


 いつも全身生傷だらけで、顔にバンソウコウがないときはなかったが、それは仕方がないことだった。二十一世紀を十年以上過ぎた今では子供の虐待は犯罪扱いだが、俺の生きた七十年代に、そんな考え方はなかった。親も学校の先生も、そして街のおまわりも、全ての大人がいつでも好きなときに、遠慮なく子供をぶちのめせた。それには、なにかしらの理由さえあればよかった。ナチスなんて可愛いものだ、すぐに殺してしまうぶんまだ慈悲がある。この日本では、不適応なものは生涯かけてゆっくりと生殺しにされ続ける。ヒットラーなんて、あそこまでバカでダサくてすぐ死んだんだから、よほど純粋で、いい人だったんだろう。悪人ならもっと上手くやったはずだ、この国を動かしてる爺どものように。


 日本人が、自分らと違う奴に対して氷のように冷たいのは、この国が出来てからずっとそうなんだから、仕方がない。何百年もの重い歴史という奴を、今さらどうこうしようなんて、笑い話にもなるまい。太陽をモリで打つのか? 鋼鉄の大地に種をまき、いつか芽が出るのを待つのか。アホのすることだ。面白い奴がすれば受けるだろうが、俺は全くなにも面白い奴ではない。



 こんなんでも人並みの外見だったら、まだあきらめもついた。この五十年の人生で、顔とスタイルをほめられたことが十回以上あるってことは、俺はどうもイケメンだったようである。アル中の母親を持ち、中学校ではキモいうせろウスノロと全校生徒にバカにされ忌み嫌われて、足蹴にされ続けたゴミのクズが、じつは整った顔をしていたという事実も、また神の悪趣味の一つだった。奴は本当に人をえこひいきする。だが、そんなことは奴が人類を作ったときからやってきた常識であり、そう思わないような奴は、人生で奴に散々ひいきされてきたむかつく野郎だ。


 たとえば、ある人間に類まれな美しい顔とスタイルを与えておいて、幼児期に親に虐待させて精神を徹底的に潰し、見るも無残な惨めで生きる力のない、虚ろな目をした蛆虫以下のゴミカスにする。その醜悪な心は、やがて肉体をもねじ曲げて腐らせ、結果的に、そいつの外見までもクソ以下の醜い見下げ果てた汚物に変えてしまう。そういう、いったん素晴らしい素材を与えておいて、すぐに悪魔のようにぱっと取り上げるという、まるで意味の分からない不可解なことを神はよくやるが、俺の場合も完璧にそのパターンに当てはまった。



 十五歳の夜、部屋で鏡を見てがく然となった。自分ほど醜い化け物のような男はいないと思っていたのに、実際には見れるどころか、恐ろしいほどの、輝くほどの超絶美形だったのだ。なのに、中身が全くの真逆なのだ。いや逆というより、むしろ何もない空洞といったほうがよい。ただの、よく出来た端正なマネキンだった。それが動いたり息をしている。いったい、こんな悲惨なことがあるだろうか。この世界一美しく輝く、至上の宝石のようなその姿を、全く何も生かせず、ただドブに捨てるだけで毎日を生きているのだ。せっかくの素晴らしい宝を、ただ持ち腐らせるだけで月日を無為に送っているのだ。


 好きで中身がないのではない。俺を取り巻く全ての環境が、俺が立派になることを拒絶し、否定する。俺が中身もカッコよくなることを徹底的に邪魔し、ただの何も出来ないゴミにおとしめて闇に葬る。外見と中身を合わすことは絶対に不可能だ。周りの誰一人としてそんなことを望まず、俺には一人でただ惨めに落ち込んで世をすね、世間の人々を妬み、この年老いて美貌を腐らせ、死んでいってくれれば、それでいいのだ。

 もちろん、それを指摘したところで、周りの誰一人そうは認めないだろう。悪さしようとして悪さする奴はいない。必ず言い訳を作って正当化しているはずだ。親が俺を利用することにも、様々な言い訳が札のようにくっついていた。どんな利用をしたかは、言いたくもないが、これから説明する。


 幼児期から俺の行く手を阻むものは無数にあり、星の数ほどの連中が、俺の望む俺になることを徹底的に否定して破壊し、踏みにじり、無残に消し去ってきた。俺の人生には絶望しかない。顔を上げたとたんに鞭で激しく打ちぬかれ、慌てて下を向く。おずおずと手を出せば、たちまちその手を打たれ、さっと引っ込める。痛み、失望。また痛み、失望。その繰り返ししかない。


 それは、ある人間がうちに入ってきたとき、俺の中で確定した。いきなり巨大隕石が落ちて、地球が凍りついていくのを、この目で見たがごときに、だ。

 とにかく俺は完全に絶望した。それは十五歳の夏だった。



 二


 ここまで書いて、Hは嫌になってワープロの電源を落とした。このあと、母親がうちに連れてきたヤクザ男に、四十過ぎまで虐待され続けた経験を延々と書くはずだったが、幼児期と少年期のたったこれだけの部分で、もう気分が悪くなり、これを書き続けることになんの意味があるのか分からなくなった。誰にも話せなかった自身の体験をあますところなく吐き出しているんだから、すっきりしそうなものだが、すっきりなどまったくせず、むしろしてはいけないことをしてしまったように、かえってどす黒い罪悪感に胃が痛むばかりだった。


 が、これは最初だから仕方がない、ともいえた。いくら五十になる直前に、母親と、そのヒモであるヤクザ男がバタバタと死に、晴れて自由になってアパートで一人暮らしを始めたとはいえ、今まで負の経験を膨大に積み重ねてきた身である。ずっと無視してきた、むしずが走るほどに大嫌いなわが身を、いきなり振り返ることなど、神技に等しい苦行だろう。むしろ、ここまで書けただけでも、彼にとっては奇跡に近いといえる。

 なぜなら、Hは生まれてから半世紀にわたるこんにちまで、自分の顔形、その容貌のすべてを、ほとんど見ずにきたからである。



 章の一にHは、少年のころに自分が美形であることを知り絶望した、と書いていたが、彼はその後、鏡や窓ガラスで自分の顔や姿を目にするや、恐怖と吐き気に襲われ、できるだけ無視してみないよう心がけるようになった。自分を見るのは、髪をとかすような、最低限度の場合のみに限られた。それでも目を細め、視界をぼかして必死に覗き見するにとどめたため、いつも髪型は最悪だったが、天然パーマだったせいで、なんとか人間に見れる範ちゅうにはおさまった。


 それ以外にも、たとえば服装のセンスなどは、顔とスタイルにあわせようがないから最低のひとことだし、姿勢も世をすねているせいかひどい猫背で、周りからいくら嫌われたり注意されても、そもそも自分が猫背だと知らないので、直しようがなかった。


 だが、「自分の美貌を知らず、うじうじといじけて完全な無力感にとらわれている美しい男」なる存在は、それを利用して優越感を満たし、ウサを晴らしたい者たちにとっては、格好の餌食になる。幼年期に始まったいじめと虐待は、学校卒業後も、職場や近隣など、周囲のいたるところから、彼の四十路末期にいたるまで、延々繰り返された。


 これだと、そのまま精神を病んでも仕方がなさそうに思われるが、二つの理由で破滅しなかった。一つは、性欲が極度に強かったせいで、どんなに虐待されても、自慰さえすればなんとか立ち直れたこと。もう一つは、家計を支えていた弟が親友のようになってくれたこと、である。


 だが、その弟も、母親のヒモにことあるごとにののしられ、殴られていた(母はHが三十になるころ、長年の酒がたたって肝臓ガンで入院したので、実際は弟のヒモといってよかった)。そしてHが四十八になった春、母はガンで死に、ヒモはまるで長年Hと弟を虐待し続けた報いでも受けるかのように、常用していた睡眠薬を勝手にやめたせいで幻覚を見るようになり、ある日の夕方、急行に飛びこんで死んだ。睡眠薬を急にやめるとそうなることを、Hも弟も知らなかった。


 そして翌年の冬、弟は念願だった性転換手術を受けたが、ホルモン注射が痛いとやめたためにホルモンバランスを崩し、鬱になって、Hのいないうちに自宅で首を吊った。Hは、自分の姿も知らず存在すらしないような身に鞭打って、できる限りのことをしたつもりだったが、たとえ親友であり、かけがえのない存在である弟に対しても、彼が破滅に向かうことを止める力はなかった。




 完全に一人になり、自殺を考えた夜、Hは初めて自分の顔を鏡ではっきり見た。そこには、肌のたるんだ見慣れぬ初老のオヤジがいた。見かける誰もが、はっとするほどの風貌だったらしい、輝くような美しさなどカケラもなく、本当に彼の抱いてきた自分のイメージどおりに、目じりや口元にしわが寄り、全体が不機嫌にむくれて捻じ曲がった、醜く忌まわしい姿になり果てていた。彼は自分のかつての、手の届かない宝のようだった(と推測された)顔が、これで永久に失われたと知った。


 家族の誰も残さなかったので、Hの写真も映像もいっさいない。家族旅行だの、記念写真だのはなにもなかったから、当然アルバムもなく、学校の卒業アルバムも、すべて捨てていた。だから彼は、五十になる前の自分の顔を知らない。若いころの彼を見知った者は、その姿を覚えているかもしれないが、彼は自分を見るすべての者の目に、自分がおぞましく醜悪な化け物としか映らなかった、と信じていた。


 実際、陰気でくすんだ幽霊のような顔色なので、気持ち悪がられることも多かったが、また逆に、予告もなく顔をほめられることも何度かあった。だが、それは彼のすさんだ内面を知らない者が、街などで始めて見かけた場合に限られた。誰かとしばらく一緒にいれば、恐怖と緊張が押し寄せて瞬く間に彼を塗り替え、蒼白い顔をした死霊のいっちょうあがりである。



 Hの持っていた美貌のすべては闇に葬られた。家族がすべて死に、ひとりになってから、彼は毎日自分の顔を鏡で「確認」するようになった。食うためにきついバイトをやったが、今までのように、まったくやる気がおきず、すぐやめる、というようなことはなかった。することができたせいで、まだ生きる気になったのかもしれない。それは誰でもやっている基本的なこと、自分がどんな顔かたちをしているのかを把握すること、最低限の現実の自分を知ること、である。


 外見の次は内面だった。自分の姿がないだけでなく、なにかをやりたくなる前に周りの意見を聞き、ただしたがっていただけなので、自分がなにを考えているのかすらわからない状態が普通だった。自分からなにかをしたいと思ったり、まして意見を言おうものなら、即座に親に殺されると信じた。なにも自分からしようとしなかったので、彼はいないも同然であり、完全な透明だった。


 だから生まれて五十年目にして鏡で初めて知った男は、ついさっきどこからかわいて出たような、まるで見慣れない、完全なただの他人だった。しばらく恐ろしい無力感が襲った。いつも無力だが、それはかつてないほどにすさまじい、嵐のような鬱状態だった。


 が、そうなるのもあたりまえだった。なにも持ったことのないところへ、いきなり老けこんだ男をひょいと渡されて「これがお前だ」といわれて、おいそれとなじむはずもない。鏡の中の男の目はひしゃげて鬼のように鋭く、この世のすべてを恨み呪うおぞましい悪魔の眼光を放っていた。そして顔色はくすんだ幽霊であり、まさに死霊の顔に悪魔の目、というわけである。それは五十年間、弟以外の誰からも無視されてきた顔だった。


 弟の死を改めて嘆いた。彼がいなかったら、犯罪でもやって豚箱往復の果てに若死にだったろう。若いうちにさっさと死にたい、と何百回願ったか分からないが、いくつかの条件が重なり、こんな歳まで生かされてしまった。


 この歳で、今さら死ぬわけにもいかない。顔を見慣れてくるにつれ、Hは徐々に落ち着いてきた。来年からは健康診断も受けよう、と決め、毎日、弟の位牌に手をあわせた。

 そんなころ、やっと自分の半生を書きつづる気になり、ワープロに向かったのである。



 三


 始めたはいいが、第一章で早くもやる気がうせ、Hはワープロの電源を落とした。保存はしたので、あとでやる気になったら続ければいい、とりあえず昼飯にしよう、と机を離れたとき、玄関のチャイムが鳴った。ドアをあけると、いかにもセールスマンふうの背広の男が立っていた。歳は彼と同じくらいの初老に見え、こぎれいという以外には、とくに印象に残らない顔だった。

 だが男はHの顔を見るや、彼を驚かす、あることを言った。

「K・Hさんですね? よかった、やっと見つけました!」

 そう言って、嬉しそうに笑うので、彼は新手のセールスかといぶかった。この男に見覚えはないし、誰かに探される理由も思いあたらない。


 黙っていると、男は続けた。

「いえ、急におしかけてすみません。私は十代のころ、あなたと同じ町に住んでいた者です」

 そう言って、カバンからなにやら角ばった黒いものを取り出した。ビデオカメラらしい。

「これなんですが、当時はスマホみたいに便利なものはありませんで、盗撮もこんな大きなものでするしかありませんでした。でも幸いというか、まあ、あなたには不幸にも、というべきか、バレずにすみましたが」

 いったい、いきなり人の家にきて何を言い出すのかと、Hがますますいぶかしんでいると、男は急に神妙な顔つきになった。

「申しわけありませんが、その、盗撮した相手というのがですね――」とHを指さした。「あなたなんですよ、K・Hさん」

「はあ?」



 あまりにも唐突なことで、彼は半ばあきれたような、反応に困るような顔で言った。それを見て、恥ずかしそうに苦笑する男。

「やはり、あきれますよね。でも、そうせざるを得なかったんです」と言うと、彼の目は、いきなりきれいな宝石でも見るようにきらきらと輝いた。「あなたの、あの素晴らしい美貌を一度でも見てしまったら、もう、これをカメラに収めておきたいという衝動が抑えられなくなりました。いや、あのころのあなたを見れば、誰でもそうなります! 本当です! あなたは気づかなかったかもしれないが、街じゅうの女という女が、あなたを見て振り返り、うっとり見つめていたんですよ。


 そして、これは決してバカにして言うんじゃありません――あなたは、そのう――周りに気を配る余裕というのがない感じでしたので、隙を見て撮ることは、とても簡単でした。本当に失礼千万とわかっていながら、それから何年ものあいだ、あなたを町でお見うけするたびに、このカメラで盗撮し続けたのです。

 うちに帰って再生すると、もう感動で震えがとまりませんでしたよ! あなたの顔、しぐさ、すべてが、まさに至上の芸術作品そのものでした! どんな名画も、彫刻も、そして写真も、あなたの光り輝く存在の前には、屁のようなものでした。

 Hさん、私はあなたの、だい、だい、大ファンでした。そして、今でもそうなのです。


 私は中卒ですが、あなたのいた○○高校に潜入してまで、学生服のあなたを撮影したことさえあります。幸い見つからずにすみましたが、バレたら多大なご迷惑がかかったでしょう。いえ、今ここでこんな話をすることじたいが、じゅうぶんに大迷惑でしょうけれど。


 そして、あれはたしか――私とあなたが、十七になった秋の初めでした。あなたは突然町から姿を消してしまい、私はほとんど半狂乱になりました。ですが、住所も名前もなにも調べずにいた私が、本当にうかつだったのです」

「引越したんですよ」とK・Hはぽつりと言った。

「ああ、やはりそうでしたか!

 その後、私も必死にあなたの行方を探しましたが、未成年の力では及ばず、あなたを見つけるまで、とうとう今日までかかってしまいまったのです。

 いや、本当に奇跡です! またあなたに、Hさんに会えるなんて!」


 本当に心から喜んでいるようだったが、Hはまくしたてる彼の言葉を聞くうち、気持ちがどんどん暗く滅入った。そしてムカついてきた。が、なにを言ったらいいか分からず黙っていた。


 すると男はカメラを差し出して言った。

「ここに、若いころのHさんを映した膨大な量の映像があります。これをあなたにお渡ししたい、と、ずっと切に願っていたのです。お受け取りいただけだら、私としては、プライバシーを侵害した罪の償いにもなりますので、とてもありがたいのです。お怒りなのはわかっています。当然です。でも、これだけは聞いてください。


 あのころの、どんな美人よりも美しく、神のごとくきらめいて素晴らしかったあなたの姿は、この私に、それを絶対に永久に残すのだ、そうしなくてはならない、と決意させたほどのものなのです。今は変わったと言うかもしれませんが、私の中では、あなたはずっとあのときの、素晴らしい超絶美形少年のままです。

 Hさん、どうか、これを受け取っていただけませんか?」



 差し出されたカメラを見て、Hはちょっと無言になり、やがて相手の目を見つめて言った。ただ暗く鈍い虚無のただよう、くもりガラスのように醒めきった目だった。


「悪いが、今さらそんなものをもらっても、しかたがない」

 彼は静かに言った。

「あんたは知らないだろうが、俺は自分の顔も姿もまったく見ずに、ここまで醜く年老いてしまった完全なゴミだ。その、あんたが素晴らしいと誉める芸術品を、まるっきり無視して捨てちまったうえに、そのせいで、かけがえのない人生もぶち壊しにするという、冒涜的な犯罪をおかした、どうしようもないクズ男だ。


 そこに映ってる男は、どうもこの世に二人といないイケメンらしいが、悪いけど、俺はそいつのことをまったく知らないんでね。今さら、そんなのを俺だといわれて見せられても、まるで信じられないと思うよ。へえ、誰だこいつ、で終わりだよ。そんなことをしても、なんの意味もない。空しいだけだ。ただでさえ空しいのが、ますますダメ押しで惨めになるだけだ。


 まあそういうわけで、やっと探し当てたところを本当にすまないが、その男の映像はあんたにあげるから。そっちで楽しむなり、売るなりしていいんで、もう二度とここへ来ないでくれますか?」




 Hが言い終わると、男は急に妙な笑いを浮かべた。さっきまでの嬉しそうなのとまるでちがう、形式ばった、業務的な冷めた笑いだった。


「そう言ってくれて、よかった」

 言いつつカメラをしまい、微笑してHを見るその目は、まったく笑っていない。そして次に出た言葉は、最初に会ったとき以上に、Hをあっけにとらせた。

「じつは私は死神で、K・Hさん、あなたをむかえにきたのだ」


「はあ? 急になにを――」

「もし、これを見せてくれと言ったら、あなたは死ぬところだった。といっても、いきなりここで殺すとかじゃない。病気で、数ヶ月のうちにこの世を去るのだ。健康診断はもう十年も受けていないだろう? なんでもいいが、なにか致命的な病気が進行していた、ってことになり、あすにでも体調を崩して入院する。そして検査の結果、重病だとわかり、あと数ヶ月で逝去……とまあ、そんなシナリオだな」



 あまりの話に言葉を失った。冗談を言っているようにも見えない。それとも、なにかをたくらんでいて、騙そうとしているのか?


「だが、あなたはこれを見なくていい、と言った」と男。「それで運命が決まった。K・Hさん、あなたには、少なくとも、あと二十年は生きてもらう」

「な、なんでそんな勝手な」

「私が決めたのではない。運命だ。まあ、運がよかったと思って喜ぶんだね」



 そう言われても、あまりに強引な話に納得のしようがない。ふと思いつき、男の持っているものを指して聞いた。

「そのカメラには、俺の若いころの映像が映っているのか?」

「なにも映ってはいない」

 言って笑みが消える。

「さっきの話は、ぜんぶウソだ」

「そ、そうか。それじゃ、ほんとうに――」

 闇夜のように深い絶望が襲い、Hは目をふせた。


 追い討ちをかけるように言う男。

「自分は無視していたくせに、その美しかった自分を、じつは誰かが見てくれていたうえに、それを残してくれたなんて、そんな都合のいい話があるもんじゃない。失ったものは、もう永久に戻らないのだよ。これからは、それを肝に銘じて生きることだ」

「ちくしょう、ふざけんな……!」


 猛烈な怒りにかられ、Hは男につかみかかった。が、相手は紙のように厚みがなく、引っ張ると顔も体もびりびりと破れ、あたりに四散した。その直後、Hはこいつが本当に死神だったと確信した。


 破片が風に舞い、アパートの通路から虚空へ散っていくとき、彼の声を聞いた。

「まあ、あまり気にしなさんな。これからは、なりゆき次第、ですよ」




 死神が消え去ると、Hは力がぬけてドアに背をもたれた。そして、「あなた次第」ではなかったのは、まあよかったかな、と思った。

(「なりゆき次第」終)

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