【短編小説】不思議な縁
商店街にある陶器店。
入ってすぐ右の棚に並ぶ色とりどりの湯呑みが、訪れた客を歓迎する。
魚皿を目当てに立ち寄った男だったが、吸い寄せられるようにひとつの湯呑みに手を伸ばした。すると、同じく伸びてきた白い手が男の視界に入った。
顔を上げると、立っていたのはシンプルな洋服に身を包んだ女だった。伸ばした手をサッと引き、申し訳なさそうな表情をみせた。年齢は見た感じからして20代中盤くらい。黒い髪は艶々と光り、洗練された装いが彼女の品の良さを引き立たせている。
『あ、あの、ごめんなさい。ど、どうぞ』
「いえいえ。こちらこそ失礼しました」
男はどうぞと片手で合図を送った。
『ありがとうございます。‥‥とてもきれいな色ですね。すっかり見惚れてしまいました』
「これだけ鮮やかな青色はなかなかお目にかかれませんよね。今日は刺身を盛るための皿を探しにきたのに、僕もすっかり見入ってしまって」
『お皿、集めていらっしゃるんですか』
「えぇ少しだけ。と言っても全然まだまだです。いい出会いがあれば買って帰るくらいですが。‥‥この間も立ち寄った先で小石原焼きの可愛い醤油差しを見つけまして」
『まぁ素敵な趣味ですね。ぜひあなたのコレクションを見てみたいです』
女はハッと口元を隠し、また申し訳なさそうに眉を下げた。
『‥‥あの、無理を承知で申し上げるのですが、実は最近ここに越してきたばかりで、知人もおらず‥‥。よければ私と友達になっていただけないでしょうか』
「えっ‥‥」
男は目を見開いた。それは心地のよい困惑だった。女の提案は男にとって願ってもみない幸運だったのだ。
実のところ、先ほどの申し訳なさそうな表情を見た瞬間、恋に落ちてしまったのだ。いわゆる一目惚れである。
「もちろんですよ。僕なんかでよければ」
『本当ですか!?ありがとうございます』
安心したように笑うと真っ直ぐ伸びた髪がさらさら揺れ、男はさらに見惚れてしまったのであった。
その日から、ふたりは定期的に会うようになった。
仕事終わりに軽く食事をしたり、日程を合わせて休日に遠出をすることもあった。
夜の高速道路。青い夜に浮かぶ照明がなんとも色っぽい帰り道で、先に静寂を断ち切ったのは女の方だった。
『今日もとっても楽しかった‥‥なんだか、あなたとは不思議な縁を感じるの。同じ湯呑みに手を伸ばしたあの日から』
「うん‥‥」
『‥‥今日は帰りたくないわ』
「‥‥‥」
男は女からの好意に気づいていた。気づいた上で友人としての振る舞いを崩さなかった。彼女と男女の関係になることはできないと考えていたのだ。しかし分かっていても離れ難いのは、男も同じく彼女との特別な縁を感じていたからである。
彼女と出会った日の帰り道、まるで神様が赤い糸を手繰り寄せてふたりを出会わせたのではないかと妄想してしまうほど、男は浮かれていた。
それから、会えば会うほど特別な縁を感じるようになった。頼むメニューが同じだったり、行きたい場所が似ていたり、カフェに入ってひと息つきたくなるタイミングまで一緒なのだ。
男が「どんなことをされたら嫌?」と聞けば、女は「なにかを強要された時かしら」と答えた。腹を立てるポイントまでよく似ている。
友好な関係を継続する上で最も重要なのは、適度な距離感であると男は考えていた。友人になり2ヶ月が経ったが、お互いがラインを超えることなく、自然に過ごせている。このような関係を築ける異性は非常に稀で、男はどうしても女を手放したくなかった。たとえそれ以上の関係になれなかったとしても。
答えに詰まる男の太ももに手を置き、女は優しく囁いた。
『このまま私の部屋に来てほしい』
栓はいとも簡単に抜け、堰き止められていたものがドバドバ溢れ出すと、男の指先まで一気に広がった。
ふたりはそのまま女のマンションへと向かった。
建物は築30年といったところ。ひとりで暮らすには十分過ぎるほどの間取りだった。
「広くて素敵な部屋だね。眺めもいい」
『そうでしょ?亡くなった両親が残してくれたものなの。昔はここで3人で暮らしてたんだって。当時のことはあまり覚えてないんだ』
「そうだったんだ‥‥」
『亡くなった直後に祖母の家に引き取られて大学まではそこで暮らしてたんだけどね。3ヶ月前に戻ってきたの』
女は脱いだジャケットをソファに置くとキッチンへ向かった。
『寒かったね。お茶でいい?』
「あぁ、ありがとう」
その時、覚えのある香りが鼻を掠め、男は部屋を見渡した。
『どうかした?』
「この香り、どこかで嗅いだことがあるような‥‥」
『香り?あぁ、母のお気に入りのお香なの。この匂いがあるとすごく落ち着くんだぁ』
「なんだか本当に不思議な縁だね。君と昔どこかで会った気さえするよ」
『ふふ。くさいセリフ』
「あ、いや、そんなつもりは」
キッチンから戻ってきた女は青色の湯呑みをテーブルに置いた。
「あっ、この湯呑み」
『私たちを繋いでくれた湯呑み』
女は目を伏せて柔らかく微笑んだ。
温かいお茶が冷えた身体に染みわたると、男はたちまち眠気に襲われた。
『運転疲れたでしょ?ソファで少し休む?』
「あぁ、そうさせてもらうよ」
横たわる男の頭を女は優しく撫でた。
「君の着ているニットの感覚も、なぜか知っている気がする」
『ふふ。不思議な縁ですねぇ』
半分になった意識のまま、男はぽつりぽつりと話し始めた。
「‥‥君に話さないといけないことがある。‥‥僕は、10代の頃に人を殺めたんだ。‥‥どうしても金が必要で、ある女性から金を奪い取った。その人はひどく抵抗して僕に乗りかかってきたんだ。‥‥だから思わず隠し持っていたナイフで、その人の腹を刺した‥‥。少ししたらその人は動かなくなって、僕の顔に倒れかかってきた‥‥」
そこまで話すと男は完全に眠ってしまった。
静かに聞いていた女は、撫でていた手をゆっくりと止めた。
『私ね、その話の続きを知っているわ。その女性には夫と幼い女の子がいてね、しばらくしてからお父さんは自殺してしまって、女の子はひとりぼっちになったの。‥‥どうして私がこの話を知っているのかしらね。本当に不思議な縁ね』




