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60. 「おかえりなさい」「ただいま」

「まさか――?」


 九十九は綾子の精神を完全に取り込もうとする動きを止めた。

 流れ込んだ綾子の記憶から推察できること。

 はるが死んだ時、臨月だったはるのお腹にいた子も当然死んだのだろうと思っていたが。

 

(例えば、あの子どもが、生きていて)


 九十九の思考の乱れを、一体化している綾子自身も感じとった。

 

(――まさか)


 そして――合点がいった。


 家紋を持つ家柄の血筋でもないのに、強力な力を突発発現した父。

 九十九が自分の身体が九十九の妖気に『馴染む』と言っていたこと。

 『はる』に似ているという、九十九の言葉。

 そして、九十九が思い出した記憶。


 綾子は会ったことを覚えていないが、父親が幼いころ自分を見せに行った、父方の祖父は九十九の――。


(だから、何! そんなことは知らない! 私は!)


 綾子は身体の支配権を取り戻した。


(佳世や、彰吾くんや、みんなのところに、戻るのだから!)


 こちらをうかがう彰吾の瞳をちらりと見て、手を伸ばす。


「しょ、うご、くん」


「綾子さん!」


 それだけで、彰吾には綾子の意識が戻ったことを即座に認識した。

 彰吾は右手を前に据えると、叫んだ。


「綾子さんの中から出ていけ!」


 突風が綾子の身体を吹き抜ける。物理的な影響を押さえた、妖気だけを吹き飛ばす強風。

 九十九の妖気が体の中からふわっと抜けた。


 ――と同時に、九十九の妖術で宙に浮いていた身体がずんっと下に引っ張られる。


(落ちる――!)


 自分の身体を取り戻した感覚も一瞬、綾子はぎゅっと目を閉じた。

 ――が、次の瞬間には身体はがしっと力強い腕に抱きかかえられていた。


「――落ち、てない」


 目を開けると、彰吾が今にも泣きそうな顔でこちらを見つめていた。

 

「綾子さん――、綾子さんですよね!」


「――」


 綾子はこくりと頷いた。彰吾はがしっと強く綾子の身体を抱きしめた。


(安心、するわ)


 ほっと息を吐いてから、綾子は周囲を改めて見まわして目を見開いた。


「彰吾くん、あなた浮いて」


 空を飛んで移動するほどの【疾風】の家紋術は隊員歴が長い綾子でも目にしたことがなかった。それから、彰吾の腕に光る家紋の光が、いつもの紋様と違うことに気がついた。

 もともとあった渦巻のような紋様に加え、その周囲に羽のような家紋が重なって浮かび上がっている。


(二種類の家紋……これは)


通常の家紋を越えた【超越家紋】


(――菊門家の、血?)

 

 彰吾の実父は代々超越家紋を引き継ぐ名門・菊門家の家長だったはずだ。

 ――けれど、超越家紋を継がなかった彰吾と母親は冷遇され、それがきっかけとなり家を追い出されたはず。綾子は彰吾の顔を見た。


「――綾子さんの心配の限界を越えたら、何か――目覚めちゃったみたいですね」


 彰吾は少し困ったように笑った。


「着地、しますね。まだ、相手はいますから」


 綾子を抱きかかえたまま、彰吾はふわりと地面に着地した。

 綾子は立ちあがると、自分の頬をぱちんと両手でたたいた。


(今は、それどころじゃないわ)


「――逃がさないわ、九十九」


 前を見据える。そこには今までの余裕たっぷりのふざけた様子ではなく、呆然とした様子で立ちすくんでいる九十九がいた。


「――生きていたとして、何になる? はるは死んだ。父親と母親と子と、全てそろって完璧な家族、でなければ『愛』は、ない」


「何をぶつぶつ言っているんだ?」


 彰吾は顔をしかめた。

 綾子は先ほど共有した九十九の思念を思い出した。


(九十九は、私と――血縁の関わりがあるかもしれない)


 自分の手を見つめる。

 先ほどまで九十九の妖気で満たされていたからか、家紋の力が満ち満ちているのを感じた。

 九十九の妖力は、綾子の身体に馴染んで自分のものになっていた。


「――けれど、あなたの事情なんて知らない」


 綾子はそう口にして、拳を握る。


(妖の事情なんて、知らない) 


「あなたは、お父さまや、お母さまや、たくさんの人を殺めた妖。消えなさい!」


 炎の渦を仇に向かって放った。

 九十九は綾子の瞳を見た。


(『あなた』)


 詰め所で自分に炎を向けた時は、綾子は九十九を『お前』と罵倒していたはずだ。


(私を憐れんでいる?)


 綾子のわずかな感情の動きを妖の本能で九十九は察知した。

 自分が得ることのできない、人間の感情の機微。


(下等な、人間ごときが、私を憐れむだと?)


 それは、九十九が【愛】を求めるようになった最初のきっかけ。

 かつて、かわいそうだと自分を憐れんだ女がいた。

 あの時感じた苛立ちの感情が九十九を満たす。

 ――決して、自分が得ることのできないものを持っている人間に対する羨望。


 一時。

 九十九はそれを確かに得られた気がしたのだった。

 彼女と、はると過ごした時間に。

 ――けれど、それはあっという間に崩れてなくなってしまった。


(――この女もだめだった! 完璧な「はる」にはなれない!)


 九十九は叫んだ。


「お前は、もういらない――」


 叫んだ九十九の手がぐいいいと伸びた。

 染み1つない美しい肌の腕が崩れて、爬虫類の鱗のようなごつごつとしたものに変わる。

 伸びた腕は綾子を突き飛ばそうとした。


 綾子は後ろに跳ね飛びそれを避けると、手から火炎を放った。

 ぼん! という爆発音とともに、九十九の腕がはじけ飛ぶ。


「あああああ」


 叫んだ九十九の身体がどろどろと崩れていった。

 四方八方へ散ろうとする。


(逃がさない、わ)


 綾子は振り返ると彰吾を見つめて、言った。


「彰吾くん、力を貸してください」


「もちろんです」


 彰吾は微笑んだ。

 綾子は右腕を空に掲げた。家紋が光り、紅蓮の炎が柱となって噴き上がる。

 彰吾の風が渦巻となってその炎をさらに舞い上がらせた。


「闇に還りなさい!」


 綾子は叫ぶと、手を振り下ろした。

 彰吾もその後に続くように手を下ろす。

 赤い炎の渦巻が九十九の身体を包み込んだ。


「あああああああああああああああああああああああ」


 絶叫が周囲に響き渡った。


 九十九は、自分の存在が消えていくのを感じた。


 人間の寿命を超える永い時を生きてきた。

 けれど、思い出すのは、鵜原 百助として生きたわずか数年の時間。


『この子の名前は何にしましょうか』


 お腹をさすりながらはるが嬉しそうに聞いてくる。

 「ふむ」と九十九は顎に手をやって考えた。


 妖には名前というものがない。

 名前をつけてくれる、親というものがいないからだ。

 九十九のことを、人間たちが好き勝手に『白髪鬼』だとか、『秀麗鬼』などの名前で呼ぶことはあった。

 九十九はその呼び名が気に食わなかった。鬼、という名は人間を「人間」と呼ぶようなもので、種類であり、名前ではない。


(【愛】を知るためにはまず名前が必要だ。愛情を持つ者同士は名前を呼び合うというし)

 

だから『九十九』という名前は自分でつけた。


(いつか私は【百】になる)


 そんな想いを込めて。


(――私は今、それを得たのではないか)


 九十九は傍らでくつろぐ「はる」を見つめて、ふと思い立った。

 待ち望んだ愛であふれた家族というものを得ようとしている。

 そう考え、ふっと微笑んだ。


『――どんな名前でも良いな。名に拘る必要はない』


***


(私は、消える、この世から)


 九十九は手を伸ばした。

 最後に口から洩れた言葉は。


「は、る」


 指の先まで綾子の炎が包み込んだ。

 九十九の身体を構成する妖気が、【焔】の炎に焼き尽くされ消えていく。

 そして、炎の竜巻は消え去り――後には、何もなくなった。


***


「いなく、なった」


 九十九の妖気が完全に消えたことを感じた綾子は握っていて手を開いて、じっと見つめた。

 

「終わった――」


 呟いて、綾子はがくりとその場に崩れ落ちた。


「綾子さん!」


 地面に倒れこむ前に、彰吾がさっとその体を支えた。

 綾子は頭を抱えて呟いた。

 九十九は倒した、けれど。


「私、修介さんを」

 

 仕方なかったとはいえ、人を家紋の力で燃やしてしまった。


「生きてますよ、あの人は」


 彰吾は「大丈夫です」と頷いた。綾子は「え」と顔を上げる。


「間宮さんが治癒してくれたので、大丈夫です」


「……華さんが」


 綾子は頭を抱えると呟いた。


「良かった……」


「わんわん!」と聞きなれた愛犬の声が聞こえる。

 そちらを向けば、黒い犬が一目散にと綾子に向かって駆けてくる。

 

「隊長~!」「隊長!」


 その後ろに続くように、波左間や宮後、それから雅和がこちらに向かってくる。


「綾子さん……」


 彰吾は感極まったように瞳を赤くして呟いた。


「おかえりなさい」


 綾子は彰吾の頬に手を伸ばした。


「彰吾くん」


 渦巻く感情をうまく言葉にできず呟いた。


「ただいま」


 それから微笑んだ。


「ありがとう」

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