55. 「隊長とお前の婚約祝いをまだしていないだろう」
彰吾たちが鈴原家に帰ったとたん、天井の梁に行儀正しく整列した、たくさんの伝書烏がけたたましく鳴いた。
「お帰りなさい」
出迎えた砂羽の後ろに隊服姿の男がついてくる。
「鈴原、戻ったか」
そう言って出てきたのは参番部隊・副隊長の波佐間だった。
広い玄関の天井の梁に行儀よく並んだ烏たちは、彼の使役する伝書烏だ。
彰吾が綾子の家に行っている間に、探索の手筈を整えていてくれたのだ。
「はい。探索に使えそうな物を頂いてきました。――九十九の潜伏していそうな場所は、絞れましたか?」
「隊長の資料から3箇所ほど目星をつけた。南部霊園・遊郭のある柳原町・宮ケ原戦場跡だ」
南部霊園は、東都南部にある大規模な霊園で、無縁仏の墓が多数ある。
柳原町は遊郭のある地域だ。人売りの規制されるしばらく前までは、遊女にするための若い娘の売買も行われていた場所。
宮ケ原戦場跡は、百年ほど前にあった大戦の戦場跡で、まだどこかを掘ると度々人骨が出ることがある。
どこも人の負の感情が渦巻く、妖にとっては格好の餌場だ。
「他の調査隊はもう行っていますか?」
「別の資料を渡したから、その3箇所には行っていないと思う」
「ありがとうございます」
彰吾は頭を下げた。他の探索隊に先を越されないように、別の資料をあえて渡してくれたのだ。波左間は気が利く男だった。
「で、宮後・久慈・萬谷に、それぞれの場所に伝書烏を連れて行ってもらった」
3人とも参番隊の隊員だ。
「――そろそろ、戻ってくるはず」
波左間が玄関を見つめたその時、また一斉に伝書烏たちが鳴きだした。
コンコンコンっと扉を叩く音がする。
彰吾が扉を開けると、一匹の烏がくちばしで扉を叩いていた。
「久慈につけた九兵衛だな」
波左間が「おいで」と言うと、烏はとっとっとと玄関の敷居を跳ねて飛び越えると、はばたいて主人の肩に留まった。
『――柳原町、妖の気配は薄いですっ』
久慈の口調を再現するように、九兵衛が話した。
波左間によって烏たちは人の言葉をそのまま伝える訓練が施されている。
続いて開けっ放しの扉から二匹の烏がびゅんと飛び込んできた。
『宮ケ原戦場跡――強い妖の気配はないですね』
『南部霊園。反応あり』
彰吾と波左間は顔を見合わせた。
「南部霊園……に行きますかね」
「そうしよう。念のため、他2カ所の久慈と萬谷にはそのまま待機してもらおう」
波左間は反応がなかった柳原町・宮ケ原戦場跡の2カ所から戻った烏の羽をなでると、「待機と伝えてくれ」と言付けを伝え、また家の外へ放った。烏たちは一息つく間もなく、また羽ばたいていく。
その様子を見送る彰吾たちの後ろで、
「わん!」
自分もいるぞと主張するように武蔵が一声吠えた。
振り返った波左間は腰を落とすと、武蔵と視線を合わせて微笑んだ。
「やあ、こんにちは。君は?」
「わん」と武蔵が鳴くと、波左間は彰吾をちらりと見た。
「鈴原から言うことがあるんじゃないか、と言っている」
【獣】の家紋を持つ波左間は、動物の感情を人の言葉のように感じることができるらしい。
「紹介がまだでしたね。――綾子さんの家で、ええと」
「家で飼っている」と言おうとしたが、もしかしたら武蔵が気分を害するのではないかと急に不安になり、彰吾は言葉を選び直した。
「綾子さんの家の、武蔵です」
武蔵は「わん」と返事をするように吠えた。
「――波左間さんの家紋の力を借りれば、探索の手助けになるのではないかと連れてきました」
「そうか」
と波左間は握った拳を武蔵の前に差し出した。
「はじめまして。俺は君のご主人様の部下の波左間というんだ。――いい瞳をした、いい犬だな」
武蔵は波左間を見つめると、おすわりをして舌を出した。
(――初対面なのに、懐かれている)
彰吾はその様子に少しショックを受けながら(それより、急がないと)と首を振ると、波左間と雅和の顔を見つめた。
「では、南部霊園に向かいましょう」
「お食事は用意しておきますからね。――綾子さんの分も」
砂羽がそう言って、彰吾たちを送り出した。
***
彰吾たちの乗った車は、南部霊園に到着した。
「――波左間、鈴原。来たか」
出迎えた長身のがっしりとした体格の大男は参番隊隊員で最年長の宮後 兼春だ。
周囲では波左間の使役している伝書烏が何羽か「かぁかぁ」と主人が来たことに喜んで鳴いていた。
「伝書烏が妖気に反応して鳴いていた。地面からも広範囲に、全体的に薄く均一の妖気を感じる。――これほど広い範囲に結界を張っているとしたら、かなり強い妖だろう」
それから、宮後は彰吾の後ろにいる雅和に気付いて深々と頭を下げた。
「鈴原さん直々にいらっしゃったんですか」
「息子の婚約者のことだからな」
雅和は頷いて車から降りた。
(そういえば、宮後さんは養父さんが現役だったときも隊員だったんだっけ)
「しかし」と雅和は周囲を見回す。
東都で一番大きな墓地である南部墓地には見渡す限り森が広がっていて、そこに墓石が立ち並んでいる。
「もう少し範囲を絞りたいな」
雅和は紋具の籠を出しながら唸った。
「【風影尋踪符】は、ある程度範囲を絞ってから使いたい」
紋具を使用中は常時家紋の力を発動させておかなければならない。
広大な霊園の敷地内を全て探索するのは至難の業だ。
「俺とこいつで探索範囲を絞ろう」
波左間がそう言って、横に連れている武蔵に片目をつぶった。
「副隊長、ありがとうございます」
下げようとした彰吾の頭を宮後ががしっと掴んだ。
「隊長を助けるのは当たり前だ。お前が感謝することじゃない」
「宮後さん、言い方、言い方」
波左間が二人の間に割って入った。
「要はみんな隊長の心配しているからさ。みんなで協力するのは当然だよ、気にするな」
波左間は彰吾の肩をぽんと叩いた。
「隊長とお前の婚約祝いをまだしていないだろう。企画はしていたんだよ、実は」
彰吾ははっと顔をあげた。
「準備を無駄にされたら困るからな。隊長を元気に連れ戻さないといけない」
「まったく」と波左間は彰吾を小突いた。
「お前が隊長のことをずっと熱心に見つめていたのには気づいていたが、まさか婚約までこぎつけるとは思わなかったな」
「き、気づいていたんですか」
彰吾は動揺してどもった。波左間は微笑むとその肩をたたいた。
「気づいてなかったのは隊長自身くらいだろう。あの人はほら、自分のことをすぐ卑下するから。俺たちをすっ飛ばして隊長に任命されるだけですごいのに」
波左間は綾子が隊長になる前から参番隊で副隊長を務めていた。
前隊長が引退して、次の隊長は順当に彼だろうと言われていた。
ぬっと宮後が会話に入ってくる。
「最近、隊長が明るくなって良かったと皆言っていたのだ。新入りのお前と婚約というのは、なかなか経緯が理解しがたかったが」
波左間は「宮後さん、言い方」と苦笑してから、傍らの武蔵の頭を撫でた。
「武蔵、頼むぞ」
波そう言うと、武蔵の頭に手を乗せて、【獣】の家紋を発動させた。




