47. 「この娘より、君の方が良いかもしれないな」
騒ぎが起きた時、綾子は詰め所で九十九についての書類をまとめていた。
参番隊の隊員は六名いるが、彰吾を含む二名は非番、三名は市内の見回り、綾子のみが詰め所に残っていた。
(あの女学生、その後のお見合いをされそうになった女性のあとは、気配がないわね)
近隣の行方不明者の情報や、妖がらみと見られる事件の帳簿を突き合わせながら綾子は唸った。
(また、誰か女性を物色しているのかしら)
自分が襲われた当時の状況を思い出す。
九十九は、『いつか、私が愛せる妖になってくれる娘に出会えると信じている』などと言っていた。
(人間の女性を妖に変えて、愛し合いたい――それが九十九の目的?)
「意味が、わからないわ」
綾子は身震いした。
隊員になってから、いくつもの妖を討伐したが、どの妖も知能の差はあれ『喰らいたい』という本能のままに人間を襲う、いわば獣だった。
しかし、九十九は。
(行動原理が他の妖と違うわ)
だからこそ、行動が読めず、なかなか尻尾をつかむことができない。
(鬼にした女性たちを放置しているのは)
『皆つまらないただの鬼になってしまう。』
また九十九の言葉を思い出す。
(彼女たちは九十九の望む妖になれず、『ただの鬼』になってしまった。だから興味を失って、そのまま放置して姿を消した?)
「意味が、わからないわ」
また先ほどと同じ言葉を呟いた。
九十九という妖は何をしたいのだろうか。
人間の女を自分の望む妖にできるまで、同じことを続けるのだろうか。
(本気で、人間を自分を愛する妖に変えられると思っているの?)
知能があり、言葉を操る妖には何度も遭遇したことはあるが、彼らはその言葉を人間を喰らうためだけに使用する。人間に取り憑き鬼へ変えるのは、自分の手駒として、さらに多くの人間を喰らうための手段としてだ。妖には家族や友人、恋人など存在しない。
(それを九十九は求めている……)
その動機を突き詰めることが九十九を仕留めるための鍵のような気がする。
カァカァカァ!!!!
けたたましく伝書烏が緊急事態を告げたのは、そんな時だった。
「妖!?」
綾子は立ち上がると思わず叫んだ。
この烏の鳴き方は「緊急事態」であることを告げている。妖が近くにいる、全員集合の意味だ。
(現場では遭遇したことがあるけれど、施設内で?)
妖討伐のために現場で広範囲を山狩りした際に、この伝書烏の「総動員」の指示を受けたことがあるが。防衛隊本部で聞くのは例がない。
綾子は慌てて廊下に飛び出た。
けたたましく烏が鳴く方向へ向かう。
そちらは、重要情報などを保管する管理室がある管理棟がある方向だった。
慌てて向かった先には。
ゆらゆらと幽霊のように徘徊する隊員の姿があった。
彼らは綾子に気がつくと、くるりとこちらを向き、大声で叫んだ。
「妖ぃ!」
各々が体に刻まれた家紋を光らせ、紋章術を発動させようとする。
(私のことが妖に見えている? ――幻覚に、かかっている)
瞬時に判断した綾子は【焔】の力を発動させた。
物理的な出力を抑え、妖気だけを焼き払う家紋術の炎を生み出す。
幻覚にとらわれた隊員たちの術が綾子に向かって飛んで来た。
ぼおっ!
爆発音とともに、綾子の炎が爆発した。
青い炎が隊員たちの術もろとも飲み込んだ。
紋章術の力は妖の妖気と同じものだ。綾子を攻撃するために飛んで術は全て炎で焼き尽くされて消滅した。
同時に隊員たちにかかっていた幻術の妖気も炎でかき消される。
幻術が切れた隊員たちは糸が切れた人形のようにその場に倒れた。
はぁ、と息を吐き、綾子は周囲を見回した。
この近くに、忍び込んだ妖がいるはずだ。
これだけの集団に幻覚術をかけたとなると、強力な妖に違いない。
緊張しながら目を凝らした綾子は、視線の先に見つけた人物を認識して細めた目を大きく見開いた。そこにいた、小柄な人影と大柄な人影は。
「華さん……、と修介さん!?」
(どうして、この二人がここに……)
(それに)と綾子は眉間に皺を寄せた。
(華さんの姿――あれは)
目を血走らせ、血管の浮き出た異様な身体。華奢だったはずの手足は、膨張して太くなっている。そして振り乱した長くうねる白髪の髪。
(鬼にされている。鬼にしたのは――)
「九十九!」
綾子は因縁の相手の名前を叫んだ。
自分の中にいまだに残る、九十九の妖力が反応しているのを感じる。――相手は、この場にいる。
華の後ろでこちらを物珍しそうな瞳で見つめる修介を睨んだ。
「あなた――修介さんではないわね」
綾子は修介の姿をした敵に向かって、手をかざした。
相手が反応するより早く、家紋の力を放つ。先ほどと同じ、出力を抑えた青い炎。
九十九は横に飛びのいてその炎を避けると、嬉しそうに手を叩いて笑った。
「綾子、綾子だ! 思い出したぞ、綾子! あの時の少女だ!」
九十九は嬉しそうに手を叩いた。
「お前の身体には私が入り込んだ名残がまだ残っている! 懐かしい! 元気にしていたのか! 久しいな!」
綾子はぎりっと唇を噛んだ。
ずっと憎んでいた父親と母親の仇。
対面したらどんな反応を示すかを考えたことはなかったが、この反応は予想外だった。
(私を見て喜んでいるですって――?)
「――相変わらず――頭がおかしいわ」
綾子は再び家紋の力を発動した。
相手は妖だ。人を喰らう化け物。その反応にいちいち心を乱されている場合ではない。
自分のすべきこと。それは。
(一刻もはやく、この妖を討伐する!)
綾子の放った青い炎を九十九はひょいとかわす。
「――この男に傷を負わせないように、火力を抑えているようだね」
九十九は感嘆したように呟いた。
「この男は君を傷つけるようなことをしたのでは?」
九十九は修介の身体を支配するとともに、その記憶を読み取っていた。
綾子に対して修介が言い放った言葉も、その時の修介の考えも全て知っていた。
「君は、優しく思いやりがある女性になったのだね。素晴らしい」
九十九は何度も深く頷くと、華と綾子を見比べた。
「この娘より、綾子、君の方が良いかもしれないな」
「――ふざけないで」
綾子は吐き捨ていると、腕の家紋に力を集めた。
修介の身体を傷つけずに、九十九の妖力のみを焼き切ろうとしたが、それでは相手を捕捉できそうにない。
(――傷つけても、仕方がないわ)
その時――、背後から攻撃の気配を感じて、綾子は身体を低くした。
しゅっという音とともに、刃物のような爪が綾子の髪の一部をかすめた。
振り返ると、半分鬼と化した華が息を荒げながら綾子に向かって獣のように構えていた。
爪が変形し、異様に長くナイフのように尖っている。
「相手は私1人ではないよ」
九十九はそう言って笑った。




