45. (俺のことを馬鹿にした報いを受けさせてやる)
東都中央本部の防衛隊詰め所にて。
仕事を終えた華は門を出ようとしたところで呼び止められた。
「華ちゃん、久しぶり」
声の主は修介。華は露骨に顔を曇らせた。
婚約破棄を告げてから、修介と会わないように、南部から中央詰め所へ配属を変えてもらったというのに。
(――何の、用かしら)
「お久しぶりです」
訝し気な気持ちを作り笑いでごまかす。
「ったく、綾子も華ちゃんも何なんだよ、その反応。俺がせっかく自分から来てやってるのに」
修介は露骨に悪態をついた。華は身構える。
(何で藤宮 綾子の名前?)
修介としては、
(ったく、綾子も華ちゃんも、『何で来た』みたいな反応しやがって)
ということなのだが、華は修介が綾子を訪ねた経緯など知る由もない。
「ちょっと話そうぜ」
修介は華の手を強く引っ張ると、横道へと連れ込んだ。
「――修介さん、困ります。私、もう、修介さんとの婚約は破棄したんですから」
手を振りほどこうと身をよじる華を修介は抑え込んだ。
小柄な華に抵抗されて、ますます苛立ちがつのる。
(こんな小娘のくせに、生意気だな)
誰も俺のことを正当に評価しない。
修介の頭の中はその思考で占拠されていた。
華の手首をぐっとひねると、家紋の力を発動させた。
身体に電撃が走り、華の身体はびくっと一瞬跳ねた。
痛みと衝撃で呆然とした華は力を失って修介にぶら下がるように地面にずり落ちた。
はぁ、はぁと息を吐きながら修介は舌打ちした。
(つい、やりすぎちまった。大丈夫、怪我はない程度のはず)
使用人に試すくらいの出力で発動したはずなので、大怪我はないはずだ。
「私に、家紋の力を使いました……?」
呆然と自分を見上げる華に、修介はまくし立てた。
「――誰も見てないんだ。証明できないだろ? 怪我してるか?」
家紋の力を人間に不用意に使用した場合、規則により罰則対象となるが。
(そうだ、他に誰もいないんだから、大丈夫だ)
修介は苛立ちをぶつけるように、激しい口調で言葉を続けた。
「華ちゃんさぁ、綾子のこと、すごい気にしてたろ? お姉さんのことと関係あったから?」
びくっと反応を示した華を煽るように修介は続けた。
「間宮 早矢――なんとなく思い出したわ。男みたいに髪刈り上げてた色気の無ぇ女。華ちゃんと似ても似つかないから思い出せなかったけど。あれだろ、討伐優先命令が出てたのに、勝手に救助勝手に優先して死んだんだよな――小柄な女のくせに、前線で出しゃばって自己判断で死んで馬鹿みたいだよな。華ちゃんみたいに支援部隊にでもいれば良かったのに」
華は拳を握りしめた。
(そう、お姉さまは馬鹿みたい。勝手に出しゃばって勝手に死んで。でもそれを)
――人に言われると、どうして怒りが湧いてくるのだろう。
華は唇を震わせて呟いた。
「――お姉さまを、馬鹿にしないで」
厳しい口調になった華を見下ろして、修介は眉をひそめた。
「何怒ってんの? 華ちゃんだってさんざんお姉さんのこと『馬鹿みたい』とか言ってたくせに?」
「それはっ、私は、だって、私は」
華は涙目になりながら、ぐずった。
「修介さんなんかっ! お姉さまのこと何にも知らない人が好き勝手言わないで!」
修介は表情を引きつらせた。
「何怒ってんの? お前さ、――お姉さんが綾子のこと可愛がってたから、綾子が気に食わなかったとか? 俺に言い寄ってきたのも、俺が綾子の婚約者だったから?」
言葉に詰まった華を見て、修介は大げさにため息を吐いた。
「ショックだなぁ。まんまと騙されたよ。俺、華ちゃんのこと、素直で可愛い理想の女の子だと思ってたのに」
ずい、と顔を近づけると凄んだ。
「実際はただの嫉妬深いシスコンの尻軽女だったわけだ」
「しっ、私、尻軽なんかじゃ、ないもん……」
華は顔を真っ赤にした。
(わ、私は、ちょうど良い相手と結婚して、防衛隊なんかやめて、家庭に入って、子どもを産んで、幸せになって)
ぎりりと唇を噛んで体を震わす。
(勝手に死んだ、お姉さまなんか、間違ってたって、証明してやるって)
「――尻軽じゃねぇか。俺に身体とかさんざん触らせて? 好きでもないのに?」
修介は嘲笑するようにそう言うと、自分に手を掴まれ、ぶらさがったように床に座る華の身体を、手をぐいっと上に引っ張り持ち上げた。
そのまま自分に引き寄せると、着物の合わせに手を押し入れた。小さく声を上げた華を睨みつけて言う。
「そのくせ、最後までヤらせないし。純情ぶってんじゃねぇよ。お前、学生時代から男のいる遊び場行きまくってたって噂じゃねぇか。信じてなかったけどさ」
(俺のことを馬鹿にした報いを受けさせてやる)
修介は理性のタガが外れていた。思うとおりにならない苛々を全て華にぶつけていた。
息を荒くし、着物の合わせを押し広げながら、通路の端の物置へと華の身体を引きずった。
(――私のことを好きにできると思ってるの? あんたみたいな、『調度良い』だけの男が?)
身をよじりながら、華は怒りで体が沸騰するような感覚を覚えた。
熱が体中に満ちて、細胞がふつふつと沸き立つ。
「あぐ、あああああああ」
唸るような、咆哮のような声が華の口から洩れた。
「うるせぇよ! 黙ってろ!」
修介は華の口を押えつけた。――瞬間、血しぶきが飛び散った。
「――?」
訳が分からず、修介は目を見張る。
華の口には、修介の指が咥えられていた。
そこから、血が飛び散っている。
「――痛―――ああああ」
遅れて激しい痛みが手先を襲った。
そのまま修介は地面に倒れこむ。
華の口には修介の指が2本ぶら下がっていた。
歯が指に食い込んでいる。――華の口が修介の指を食いちぎったのだった。
修介は腕をまくると、家紋の力を発動させた。経験から瞬時に華が妖に憑かれていることを察知した。周囲にごろごろと雷鳴が轟く。
「――妖め!!!!」
そう叫んで、雷撃を放とうとした修介の動きが止まった。
いつの間にか背後に現れた九十九が、修介の頭をつかんでいた。
「――全く、醜い男だ」
ため息を吐くと、頭をつかんだまま華に差し出す。
「私が動きを止めている間に、喰らいなさい」
その時、指先から、修介の思考が九十九の中に流れ込んできた。
――ふざけるな全員、鈴原彰吾には絶対何かある、綾子にも、人事情報見れば、ふざけるな、俺のことをなめやがって、畜生、本部の管理室は入れない、無理やり?いや、無理か、華ちゃんもふざけんなよ――
「君、少し待っててくれるか?」
九十九は歯を剥いて鬼の形相で修介に飛びかかろうとする華を制止すると、「ふむ」と頷いた。修介の思考を読み取ることに集中する。
どうやらこの男は、この防衛隊本拠地の『管理室』というところで『人事情報』が見たいと考えているようだ。
(その人事情報とやら、欲しいな……)
九十九は唸った。
自分を討伐しようと襲ってくる、天敵である防衛隊員の素性やそれぞれの家紋の力を知ることができれば、今後の対策がとれるだろう。
10年前、瀕死の状態を負った時だって、あの娘の父親が炎の家紋使いだと知っていれば、例えば娘を鬼化する前に、先に父親を襲うなどやりようがあったはずだ。
華は歯を剥いたまま血走った眼で修介を睨みながら「ぐるるるる」と低い獣のような唸り声を漏らした。
「この男を喰らいたいだろうが、申し訳ない。――こいつは私がもらおう」
九十九は修介の頭から手を離す。床に転がった修介は「痛い! 痛い!」と指を押さえながら転げまわった。
その様子を見下しながら、九十九は深いため息をついた。
「こんな男に入り込むのは、気が進まないのだが」
修介の頭を掴むと、華にそうしたように妖力を注ぎ込んだ。
それと同時に修介の思考が流れ込んでくる。
俺が家で一番、何で親父は俺を認めない、綾子俺のことを邪険にしやがって、鈴原彰吾俺のことを馬鹿にしやがって許さん、華ちゃんも何様だ、俺が一番――
九十九は顔をしかめた。
(ああ、醜い――この思考に染まるのは嫌だな――)
とはいっても、その情報とやらがある場所へ円滑に向かうには、この男の身体を乗っ取って動くのが一番だろう。九十九の姿は、修介の頭の中へ腕からするすると吸い込まれていった。その度白目を向いた修介の身体が、何度もびくびくと跳ねた。
すっかり九十九の姿が消えた後には、床に膝をついたままの華と横たわる修介が残された。やがて、修介はむくりと起き上がった。
「――ふむ、まあ身体能力は悪くないか」
手を握ったり開いたりしながら、修介は――修介の身体の中に入り込んだ九十九は呟いた。
「行くよ、“華ちゃん”」
華の頬に手を当てると、そう優し気に呟いた。
焦点が定まっていなかった華の目は修介をとらえる。
ぱちぱちと何度か瞬きをし、
「あ――修介さん? 私、今何をしていたのかしら――」
先ほどまでの獣のような表情は消え去り、いつもの華の姿に戻っていた。
「何でもない、行くよ」
九十九にぽんと頭を叩かれた華は、恍惚の表情で頷いた。
「はい」




