37.「 ……許さないからな……」
神宮司邸では怒鳴り声が響いていた。
「修介! いったいどういうことだ! 謹慎を解いた途端――全裸で街を徘徊した挙句、警察署に連行されるとは!!!」
修介の父親はわなわなと体を震わせると、どんっと机を叩いた。
――あの後、どうにか家に帰ろうとした修介だったが、夜回り中の警官に見つかり、そのまま連行され、家に連絡が入り父親が迎えに来た次第だった。
「――俺のせいじゃない! 鈴原 彰吾にやられたんだよ!」
怒鳴り声で返事をした息子に、父親は呆れ果てた声を返した。
「そもそも、綾子さんを待ち伏せして、何をしようとしてたんだお前は!!!」
事の経緯は息子から聞き出していた。
――曰く、綾子と話をしに行ったところ、綾子の現在の婚約者である彰吾に家紋の力を使われ、衣服を失ったと。
「あいつ、人に対して家紋を使ったんだぜ? 規約違反だろ!」
「はぁ」と父親は深いため息を吐いた。
「――お前は、傷1つついていないじゃないか」
ぐ、と修介は言葉を飲み込んだ。
家紋の力を人に対して使用することは、隊の規約で禁忌とされている。
――が、厳密には禁止されているのは「その力で人を傷つけること」だ。
器物の損壊などは条項には入っていない。
「――それは、そうだ……けど」
「それに、お前だって家紋の力を使っただろう。駐在の方は、雷鳴の音が聞こえて現場に行ったらお前がいたと言っていたぞ」
「――」
返す言葉もない修介はぎりりと唇を嚙みしめた。
「――全く、度重なる婚約の破談に加え、今回の破廉恥騒ぎ……! お前はどれだけ神宮司家の名に泥を塗るつもりだ! 真面目に任務に勤しむ兄たちを見習えないのか!」
「軟弱な兄貴たちと俺を比べるんじゃねえ!」
修介は父親を睨みつけた。
修介としては、地方赴任の兄たちに比べて、東都で防衛隊員を務める自分が一番優秀であるという自負がある。
そのため『兄たちを見習えないのか』のいう今の父親の言葉は聞き捨てならなかった。
「俺が一番、神宮司家で家紋を使いこなせるんだ! 防衛隊での俺の活躍は親父も知ってるだろ!?」
食って掛かってくる息子の手を掴んで、負けずと父親は怒鳴った。
「それとこれとは話が別だ!!!!」
周囲にごろごろと低い雷鳴がこだました。父親の着物の袖の側から家紋の光が漏れる。修介はぐっと言葉を飲み込んだ。父親が家紋を発動させようとしている。――怒りが頂点にまで至っている証拠だ。
「――親父に、恥をかかせて、悪かったと思ってる……」
渋々といった様子で修介は詫びた。
雷鳴が少しずつ鎮まった。
父親は大きく息を吐くと、修介の肩を叩いた。
「……ひと月は謹慎してもらう」
「ひとっ?」
「本当はもう二度とお前を家の外に出したくない気分なんだがな」
不満そうに眉をひそめた修介だったが、父親の剣幕に言葉を飲み込み、吐き捨てた。
「わかったよ!」
そのままどすどすと足音を上げて自室に戻る。
カチッ、カチッとライターを鳴らして、煙草を吸い続けた。
吸っては灰皿へ押しつけ、また吸っては灰皿へ押し付ける。
「ちくしょう……綾子、鈴原 彰吾……許さないからな……」
修介は山になった吸殻を見つめながら、何度も何度も呟いた。
***
「――お疲れ様です」
東都防衛隊、南部詰め所で勤務を終えた華は、一言だけ残しそそくさと荷物をまとめた。
「ねえ、華さん、今夜、中央のお役人の方とお食事会があるのだけど、行かない?」
同僚の女性が帰宅を急ぐ華の袖を引っ張って引き留める。
「――行かないわ。お誘いありがとう」
華は素っ気なくそう言うと、ぺこりと頭を下げて家へと帰って行った。
「華さん……最近どうしたのかしら」
「ほら、いろいろあったみたいだから、そっとしておいてあげた方がいいわよ」
「もともと参番隊の藤宮隊長の婚約者を寝取ったんでしょう、あの子」
「ねと……はしたないわよ!」
「絶対そうよ。だってあの子、女学生時代から男性をとっかえひっかえしているって、知り合いが言っていたもの」
「――そうなの?」
「そんな感じは――していたけれど」
後ろから同僚たちのそんな噂話が追いかけてくる。
華は自嘲気味に笑った。
(好きに噂すればいいわ。みんな人のことを好き勝手言って、暇なのね。その間に結婚相手でも探せばいいのに)
「ただいま」
「お帰り」
男の声だった。家に帰るといつもなら使用人が出迎えるはずなので、華は驚いて顔を上げた。
「伯父さま」
そこにいたのは、母親の兄だった。
「――お母さまはお元気?」
あの日、家を追い出した母は、実家にいるようだ。
「ああ」と伯父は頷くと、困ったように言った。
「憔悴しているよ。――こちらに戻らせたいのだが」
「――嫌よ。言い合いになるもの。疲れるもの。私の気持ちは変わらないわ! そんなことを言いに何度も来ないで!」
華はぶんぶんと首を振った。
伯父がこの件で家に来るのはもう何度目かだった。
(都合の悪いことは人任せで、自分から来ようともしないなんて!)
首を横に振り続ける華を見て、伯父は深くため息を吐いた。
「お前は昔から頑固だものなあ。早矢と違って……」
「お姉さまの名前は出さないで!」
華の剣幕に、伯父はまたため息を吐くと首を振った。
しばらく気まずい沈黙が流れる。
その様子を見かねた使用人が「お嬢様、お茶をお持ちしましょうか」と声をかけた。
無言でお茶をすすっていると、伯父は「ふう」と息を吐いてから華を見た。
「華……、鈴原家の奥様から、私の妻経由で、お前がどうしているかという問い合わせがあったぞ」
その話に華は首を傾げた。
「鈴原家が? 何で?」
鈴原の家と華は特につながりがない。自分の状況を聞いてくる理由がわからない。
「ご子息がお前の事を聞きたがっているとか言ってたかな」
伯父は首を傾げた。
「まぁ元気に仕事には行っていて問題ないと伝えておいたが、それで良かったか」
(鈴原家……、鈴原 彰吾が私について、聞いてきた?)
鈴原 彰吾。綾子と一緒に披露宴会場に来ていた男。――今の綾子の婚約者。
(……)
華はふふっと口元に笑みを漏らした。
伯父は怪訝そうな顔をする。
「華……、大丈夫か?」
姪の表情は異様だった。口角は上がっているが、目は笑っていない、引きつったような表情。
華の内心は、
(今度は、鈴原 彰吾をもらってやるんだから!)
綾子から婚約者を奪って、自分が幸せになること。
そうすることが、周囲がもてはやす早矢の殉職を「馬鹿みたいなこと」と証明する手段。
その考えがが華を突き動かしていた。




