18. 「驚いた――まだ言っていないの?」
桜はちらっと綾子を見た。彰吾の話でもしたいのかもしれないが、綾子は肩をすくめた。
彼のことはまだ家族には話していない。
桜は少し驚いた顔をして、綾子の袖を引っ張って耳打ちした。
「驚いた――まだ言っていないの? 鈴原くんのこと」
綾子は頷いた。
「佳世ちゃんとあなたのことだもの。何でも話していると思っていたわ」
「たいていのことは何でも話すけど……」
綾子はうつむいた。
「彰吾くんのことは、まだちょっと話辛くて」
「――何で?」
「――何で、かしら」
綾子は自問自答した。
「佳世は黙っていられないだろうし、お祖母さまの耳に入るでしょうから」
「耳に入っちゃ悪いの? あなたのお祖母さま、あなたに結婚してほしいのでしょう?」
「それは、そうなんだけれどね」
綾子は視線を沈めた。
「お祖母さまは、私が自分で決めたことは嫌がると思うの。――反対されたら、嫌なんだと思う」
桜は表情を険しくした。
「放っておけばいいじゃない。あなたはもう大人なのだし、藤宮の今の家長はあなたでしょう。何でも自分で決められるのだから、そんなことを気にする必要はないと思うわよ」
綾子は首を振ってうつむく。
「そうね。桜の言う通りなのだけど――」
桜は綾子の肩を両手で掴んで顔を覗き込むと、語調を強めた。
「私、幸さんのこと、嫌いよ――こんな言い方して悪いけれど」
桜は綾子の家に遊びに行った時のことを思い出していた。
学生時代綾子は桜の家に遊びに来ることはたまにあったが、桜を家に招いてくれることがなかった。綾子の家に遊びに行ってみたいと思った桜は、旅行の土産を渡すのを口実に藤宮家の門をたたいた。
『まぁ、綾子にもお友達がいたのね』
桜を客間に通した幸は本心から驚いたようにそう言った。
そう言われた綾子は居心地悪そうに少し背を丸くしていて、学校で見る姿とはまるで違っていて、桜は驚いた。
『――綾子さんは、友達です!』
桜は思わず語気を強めてしまった。
『いつもいろいろ助けてくれて……』
そう言うと、幸はばつが悪そうに肩をすくめた。
『そうなんですか。それは良かったわ。この子は家だと何も話さないのだもの。学校でもだんまりなのかと思ったわ』
『すいません、お祖母様』
老婆に『すいません』と繰り返す綾子の姿を見ているのが辛くなって、桜はお茶を飲み終わるとすぐに帰宅した。それ以来、前よりも頻繁に綾子を自宅に呼ぶようになった。 桜はすっと伸びた綾子の背筋が好きなのに、自宅にいる綾子の背は丸まっている気がしたのだった。
「綾子に縁談を持ってきたと思ったら、神宮司さんとのお話だったでしょう。綾子ならもっといい人がいるでしょうにとあなたの話を聞いていて思っていたのよ、本当はね」
桜はため息交じりに言った。
婚約破棄云々の話の前からもともと神宮司 修介に対しての印象は悪かったのだ。
桜は修介と直接会ったことはなかった。――実は会う予定があったのだが、綾子が桜の店に修介を連れてくるという話になって準備をしていたのに、直前に『俺の知り合いの店の方が良い』と断られたのだ。それもあって『神宮司という男は綾子の事を大事にしていない』と桜は常々思っていた。
「鈴原くん、あなたのことを尊敬して大事に思っているの伝わってくるもの。公にしても良いんじゃないの?」
あれから綾子は彰吾とたびたび桜の店を訪れていた。
彰吾といる時の綾子は、桜が知っているいつもの飾らない綾子で、桜はその様子を見て安心していた。
「――お祖母さまに話すわ」
綾子は頷いた。いつまでも自分の弱い部分から逃げているわけにはいかない。
それから、いつも自分を気にかけてくれる友人を見つめた。
「桜、いつも有難う」
「何が?」
桜は大げさに首を傾げた。
「お礼なんて言われることはしてないけど。今度、あなたのところの隊員さん連れてきて宴会でもしてちょうだい」
綾子は「みんなに聞いてみるわね」と笑った。