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16. 「あなたは悪くない」

『何を言っているの! 綾子を離しなさいっ!』


 静江は【清流】の家紋を浮き上がらせながら、九十九につかみかかった。

 美しい男の姿をした妖は、綾子の頭を掴んでいる手とは逆の手でそれを軽々と払いのける。静江の身体は勢いよく吹き飛び、壁に当たった。


『申し訳ないが、私が妖にしたいのはこの娘なんだ。君にはこの娘の餌になってもらいたい。人を喰らう業を背負って、この娘は妖になってくれるだろう』


 『うぇぇぇ』と物音で目覚めた佳世が泣き出した。

 静江は『佳世』と名を呼び、手を伸ばす。

 九十九は悲し気な表情でその光景をじっと見つめた。


『『愛』を感じることができる君たち人間が、私は羨ましい。何人喰らって、力を得ても、私にはそれがわからない』


 目を白黒させる綾子の顔を見つめながら、九十九は呟いた。


『私は――美しい娘が好きだ。美しいものは美しいと感じる。でも人のままでは駄目だ。私の気持ちを理解してくれなければ。だから妖にする』


 それから、残念そうな表情で呟いた。


『――今まで、私の望む妖になってくれた娘はいないのだけれどね。皆ただの、知性も分別もない、つまらない鬼になってしまう。でもいつか―――いつか、私が愛せる妖になってくれる娘に出会えると信じている。君はどうかな』


 九十九は持ち上げた綾子の顔を見つめて、期待をこめるように瞳を輝かせた。

 綾子は頭の中だけではなく、体中がぐちゃぐちゃになるのを感じた。

 何度も子どもに壊されは組み立てられる積み木になったような感覚。


『綾子を――そんなことのために』


 静江はわなわなと体を震わすと、泣き続ける佳世をいったん強く抱きしめ、背後の布団に寝かせて立ち上がった。腕をめくり、家紋を光らせる。綾子の身体を浄化の水が包み込んだ。綾子はぐちゃぐちゃバラバラになった肉体が温かな水で包まれるような気がした。


『そんなことだと? 君は『愛』を知っている。恵まれているから、私の気持ちなどわからないだろう』


 九十九は嘆くように言うと『でも』と言葉を続けた。


『――君は本当にこの娘を愛しているんだね。……我が子を思う母親の『愛』は美しい。素晴らしいものを見せてくれたお礼に、君も妖にしてあげよう。みんなで家族になれたらいいな。人間は愛した相手と『結婚』すると、その相手の母親は『お義母さん』と呼ぶのだろう? 私も君を『お義母さん』と呼ばせてもらおうかな。年は私の方が大分上だからおかしいだろうか……』


 独り言のように呟きながら、九十九は綾子を床に降ろし、静江の方へと歩みを進めた。


『狂ってる……』


『おかしなことを言っているだろうか? 私は妖だから、よくわからないんだ』


 軽く小首を傾げながら、九十九はいともたやすく、後ずさる静江の頭を掴んだ。


『なるほど。君は――愛する夫が仕事で死んでしまわないか不安なんだね。――なるほど、だから裕福な実家に戻ったのだね。――お金には困らないのだから、夫には危険な仕事を止めて欲しい……が、彼は話を聞いてくれない――『市民を妖から守る使命がある』と』

 

 綾子は何とか動かせる瞳を母親の方に向けた。


(お母さまは、お父さまの仕事を誇っていると思っていた)

 

 実家に戻ったのは、父に仕事を辞めさせたかったということは聞いたことがなかった。

 妖は人の考えを覗く。母親がそう思っているのは本当なのだろう。 

 九十九はふむふむと頷きながら、静江の耳に囁きかけた。


『――君の旦那様は家族より――名前も知らない人の方が大事なんだね。――彼は君の感じている心の痛みを知るべきだ』


 ぐきぐきぐき、と音を立てて母親の身体が変形していくのを、綾子は自由のきかない体で見つめていた。


「あ……あや……こ、い……まのうちに……」


 静江はそれでも必死に綾子に向かって手を伸ばすが、――やがてその手は一度ぐりんっと大きく回転し、皺皺の老婆のような手に変わってしまった。いつも綺麗に結われていた長い黒髪が白髪に変わり、ばさばさっと広がった。


『静江! 綾子! 佳世!』


 その時。血相を変えた父親が飛び込んできて――変わり果てた母親が父親に襲い掛かかったのも、母親と九十九を父親が紅蓮の炎で燃やしたのも、ひたすらに響く妹の泣き声も、綾子は全部見つめていた。


 父親の家紋による炎に包まれた九十九は黒い煙になって、窓から外へ流れて行った。妖の去った部屋に残されたのは――黒焦げになった母の骨と、泣き叫ぶ佳世、母によって致命的な傷を負って血だまりに倒れる父親、そして動かない身体でそれを見つめる綾子。


 父親はその数日後に息を引き取った。


『私の心の弱さのせいで、母も父も死んでしまったんです。――妖は人の心の隙に入り込み、その人間を鬼に変える。私の心の弱さがなければ』


 父母が死んでから。祖母の幸は毎日のように言った。


『お前なんて生まずに、私の決めた相手と結婚していれば』


 その通りだ、と綾子は言われるたびに思った。

 自分のふがいなさが原因で、佳世から父母を奪ってしまった。


 うつむいて拳を握った綾子の手に、温かな大きい手のひらが重ねられた。

 驚いて顔を上げると、彰吾の真剣な眼差しが向けられていた。


「――綾子さんのせいじゃ、ないです」


 子どもに言い聞かせるように彰吾は繰り返した。


「あなたは悪くない」


「――――――」


 綾子は黙って彰吾の瞳を見つめた。

 ――安心感に心が包まれた。ずっと誰かに言ってほしかった言葉を言ってもらえた気がした綾子は、その気持ちに浸るように、しばらくそうしていた。


 しばらく沈黙が続いたが。急にばたばたばたと近くにいた鳩がいっせいに飛び立った。

 子どもの笑い声。小さい男の子が鳩を追いかけたようだった。


「あ」


彰吾は小さく呟いて、はっと手を離した。


「すすいません!」


「いえいえいえ! ……ありがとうございます」


 綾子も同様にはっとして、首を振る。それから彰吾におずおずと聞いた。


「鈴原くんは、どうしてそんなに私を気にかけてくれるんですか」


「綾子さんは、俺の恩人ですから!」


 彰吾は即答する。


「覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、先ほどの言葉は、綾子さんが、俺がここで鬼になりかけた時に、かけてくださった言葉です。その言葉で俺がどれだけ救われたか」


 自分自身にも言い聞かせるように彰吾はぐっと手を握った。


「俺も悪くないし、綾子さんも悪くない。悪いのは妖ですよ」


 綾子の瞳を見つめて、微笑む。


「綾子さんが困っていることがあれば、何でも言ってください! 今度は俺が助けますから!」


(ああ、また)


 綾子はまた胸の奥が温かくなるような気持ちを感じた。


「ありがとうございます」


 一呼吸置いて、名前を呼ぶ。


「――彰吾くん」


「いえいえ、そんなって――え?」


 彰吾はふと立ち止まって、顔を赤らめた。


「あの、名前で呼んでいただけるんですか?」


「いえ、私だけ名前で呼ばれるのも変かな……と。婚約……?したんですし……『お試し』ですが……」


「とても嬉しいです!!!!」


 彰吾は首がもげそうな勢いでうなずいた。


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