13. 「……よく知っていますね」
「わぁ」
目の前の皿に置かれた、ふっくらと二段積み重なった厚みのあるホットケーキを前に、綾子は思わず感嘆した。
彰吾が昼ご飯に、と連れてきてくれたのは、中央公園近くの有名な喫茶店だった。
「隊長、甘いものがお好きですよね」
「……よく知っていますね」
「『さくら』でも、よく夜のメニューにない饅頭を注文して食べていらっしゃいましたから……」
「……よく知っていますね」
(そんなところ、いつの間に見られていたのかしら)
綾子は恥ずかしくなって頬を押えた。
「さくら」で食事をして帰る際は、佳世への土産として、喫茶時間限定の饅頭を持って帰るのだが、自分も帰る前にいくつか頬張って帰っていた。
「いえいえ、たまたま、食べてらっしゃる姿を何度か見たのが印象的で……、詰め所でも休憩時間によくお菓子を摘まんでいらっしゃいますし……」
「……よく知っていますね」
甘いものはよく食べる方だ。家紋の力を使うと腹がすぐ減ってしまう。
家で食べていると、祖母に「はしたない」としかられてばかりいたので、防衛隊員になり、融通がきくようになってからつい食べ過ぎてしまうようになった。
(……もう少し、お洒落してくるべきでしたでしょうか……)
隊服の袴を見て、ため息を吐いた。
どんな服を着ていくべきか、朝、小一時間悩んだのだ。
持っている華やかな着物といえば、母親の形見だけ。
どれも修介と会う時に着ていた記憶のあるものばかりで、あの日、着物に染みこんでいった珈琲を思い出すような気がして、何だか気が引けた。
――それに。
(あまり普段と違う感じも……違和感があるかもしれませんね……)
彰吾が自分のことを女性として好意的に思っているということが信じられなかった。
変に気合を入れて、「何かが違う」と思われるのも嫌だった。
(普段……どおりで……)
と考えた結果、さすがに休日に上下黒の隊服で行くのはあまりに目立つので、上の着物のみ紺色の普段着用のものにし、下は隊服の袴を履くことにしたのだった。
(隊服姿しか見たことがなかったけれど、鈴原くんは、お洒落ね……)
彰吾はシンプルな白いシャツに濃紺のジャケットを羽織った洋装だった。
派手さはなく簡素だが、生地の質や仕立てが良いのは綾子の目から見てもわかった。
洋装を着ている者はまだ珍しく、派手でごてごてした印象の者が多いのに比べると、彰吾の格好は清潔感があり際立って見える。一緒に連れ立って店に入って席に座るまでの間に、通りすがった女性がちらりと彰吾の姿を横目で見るのに気づいていた。
「はぁ」と綾子は無意識にため息を吐いた。
本当に彼ならば、見合いの話など事欠かないだろうに、と思う。
どうして自分に婚約の話を振ったのか、まだ合点がいかない。
「隊長……、どうかされましたか?」
「え?」と首を傾げると、彰吾は絶望したような表情になっていた。
「いえ、お口に合わなかったかな、と」
「いえいえ、そんなことないです! 何なら、もう一つ注文してもいいくらいです」
綾子はぶんぶんと顔を振ると、皿の上のホットケーキを一気に口に入れて飲み込んで、むせた。
「すいません……」
水を飲んで息を整えてから、彰吾に向き直った。
素直に事実を話さないと、変な誤解で落ち込ませてしまいそうだ。
「……ただ、こんな格好で来てしまって恥ずかしいな、と思ってしまって」
「そんなことないですよ! 隊長は隊服でも素敵です!」
彰吾は立ち上がりそうな勢いで言った。
「そ、そうですか?」
「この後、行きたいところはありますか?」
「中央駅前の百貨店に行っても良いですか?」
「お買い物ですか? 良いですね」
「妹の着物を見ようと思って」
佳世の習っている琴の発表会が近い。以前一緒に百貨店に行った際に、佳世がじっと見ていた生地があった。綾子に遠慮してか欲しがらなかったが、あの生地で着物を仕立ててあげれば喜ぶだろう。最近一緒に過ごすことができない罪滅ぼしのような気持ちもあった。
「妹さんのですか……」
彰吾は何か言いたげに言葉を切ったが、何も言わなかった。
喫茶店を出た綾子と彰吾は、駅前の百貨店へ向かった。
***
「藤宮様、いらっしゃいませ」
1階にある呉服店に入ると、綾子の顔を見た馴染みの店員が挨拶した。
「ここのお店、よく妹を連れて来るんです」
綾子は店内を見回すと壁際に飾られた淡い桃色の桜の柄の生地に手を伸ばした。
「これ、あの子がこの前熱心に見ていたんですよね……」
明るい色地はきっと佳世に似合うだろう。
「すいません、この生地で妹の着物を作ってもらいたいのですが」
そう店員に声をかける。
彰吾が少し言いにくそうに声をかけた。
「――ご自分のものは見ないんですか?」
綾子は首を振る。
「私のは別に……」
「そうですか」
彰吾は残念そうに言うと、藍色の色地の着物を手に取った。
「隊長にはこういうはっきりとした……凛とした色が似あうと思うんですよね。いや、むしろ、洋装も……」
「『隊長』……?」
店員の女性が不思議そうな顔で首を傾げた。
「あ、鈴原くん。『隊長』はちょっと……」
綾子はあたふたとした様子で彰吾を見上げた。
対妖防衛隊の隊員だということは、店員には伝えていない。家紋を持つ家柄の人間であることはわかるだろうが、あえて言う必要もないと思っていたからだ。
家紋を持つ家でも全員が――特に女子は防衛隊に入るわけではない。
防衛隊員は家紋を持つ人々のなかでも、さらに特殊な位置づけなので、『違った目』で見られる。そういった特別扱いが綾子は苦手だった。
(――そうか、外で『隊長』はないよなあ)
「すいません……無神経で」
彰吾は詫びると、ふとひらめいたように顔を上げた。
「……すいません、では、あの」
彰吾は少しの沈黙の後、照れたように呟いた。
「綾子さん」
「はい!」
名前を呼ばれて、つい勢いよく返事をして綾子は押し黙った。
「……」
顔が熱くなり、思わず頬を両手で押さえた。
(……一気に距離が近くなった感じがするわね……)
「隊長」と呼ばれている間は、何だか仕事中のような感覚だったが、名前で呼ばれると一気に仕事から離れた場で会っているという実感が湧いてくる。
「……すいません、他の呼び方の方が……」
「いえ、それでお願いします……」
「――あの、藤宮様、佳世様のお着物をお仕立てでよろしいですか?」
店員に声をかけられて、綾子はあたふたと「お願いします」と依頼した。