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10. 「あぁ良かった……間に合いましたね」

(隊長と一緒に出かけられるなんて)


 綾子と外出の約束をした休日、彰吾は待ち合わせ場所の東都中央公園の噴水前に立っていた。公園を見回すと、2年前綾子に初めて会った日を思い出した。


 毎日が白黒に感じていたあの頃。

いつもと同じような、虚無感ばかりに包まれた夕暮れ時だった。

 その日も彰吾はこの噴水前に立っていた。その時はただぼんやりとじゃあじゃあと落ちる水を見つめていた。

  

 彰吾の実母の美和は、「最強の家紋」である【超越家紋(ちょうえつかもん)】を持つとされる名門の菊紋家の跡取りの、幾人もいる妾の一人だった。彼女に望まれたのは、菊門の持つ、規格外の家紋の力を継ぐ子を産むことだけ。しかし、生まれた彰吾は、鈴原家の持つ標準的な家紋【疾風】を持っているだけだった。菊門家の欲する【超越家紋】を持つ子どもは、別の妾が生んだ。父親である菊門家跡取り、菊門 正蔵は彰吾が生まれた日に、【超越家紋】があるかどうかだけを確認し、ないと知るとそれ以降、美和の居室を訪れることはなかったそうだ。


 そのことにより心を病んでしまった美和は、あろうことか、菊門家の家紋を継いだ子どもと、恋敵であるその母親に危害を加えようとし、彰吾とともに実家に帰された。


 「父親に似ている」「見ると父親を思い出す」と言って彰吾の面倒を見ることを拒んだ母は、生まれたばかりの彼を自分の父母――彰吾にとっては祖父母の養子として置いて、別の家に嫁がされてしまった。美和の不祥事を隠すために祖父母が画策したことだった。その結果、彰吾が美和の子どもだということは隠され、世間的には家紋を持つどこかの孤児を養子にしたということにされた。 


 ――誰にも結局は自分という存在は望まれていないのではないか、そんな風にいつも心のどこかで感じていた。「誰かに望まれたい」飢えるようなその気持ちから、彰吾は自分のことを好きだと言ってくる女性たちと誘われるままに遊んだ。そのことを祖父は咎めた。


『そのだらしなさは菊門の馬鹿息子から来ている。鈴原の血ではない』


 祖父からすれば、娘の心を壊した、彰吾の父親――菊門の跡継ぎである菊門正蔵は、悪役だった。


『そう思うなら俺を放り出したらいいんじゃないですか、養父(とう)さん』


 彰吾はいつも悪態で返した。


 『あなたは俺を放り出せないでしょう、どうせ。あなたに大事なのは『世間体』だけですもんね。鈴原の血は『世間体ばかり』なんでしょう。だから俺は『世間体は気にしない』んです。鈴原の子じゃないんですもんね』


 祖父と一触即発の空気になるのはいつもだった。

 その度、祖母の砂羽が間に入って二人をいさめた。


『彰吾! 言いすぎですよ。 あなたはうちの子です! あなたもそんな言い方しないでください』


 頭の中では、祖父も祖母も悪い人間ではないことはわかっていた。

 衣食住や教育は華族の子どもとして十分に提供してもらってはいたし、祖父からも平素から父親のことについてとやかく言われるわけではない。


 ――それでも、彰吾は二人を実の両親の代わりとは思えず、家の中で疎外感を感じていた。


 彰吾は『家紋』自体を憎んでいた。

 妖と戦える特別な力だか何だか知らないが、『家紋』を継ぐ子どもを産むためだけに母親は妾にされ、求められる『家紋』を継がなかった自分は捨てられた。


 ――『家紋』なんてこの世になければいいのに。


 『家紋』というものがなければ自分は両親と一緒に普通の家庭で暮らしていただろうか。


 こんな――いつ死んでも本当に悲しんでくれる人はいないのではないかという空虚感に心を支配されずに済んだだろうか。その日も、流れ落ちる噴水を見ながらそう思っていた。

 

 そんな時に、横目にたたたっと駆けていく小さな男の子の姿が見えた。


『走らないでね』

 

そう母親に呼びかけられて、その子どもは、彰吾の横あたりで、くるりと後ろを振り返った。

 

『ねえ、お母さん、今日の夕食は何?』

『今日はねえ、お魚を焼こうと思っているわ』

『えええ、僕、お魚嫌いだよう』

『好き嫌いしちゃ駄目よ。もうすぐお兄さんになるんだから』


 男の子に追いついた母親は、彼と手をつないだ。もう片方の手で大きなお腹を愛し気に撫でながら。


 ざわと心が揺れた。


(どうして、俺ばかり)


 ――そう、どうしてお前ばかり。


 誰かが頭の中で語り掛けてくる。


 ――あれが、『普通』なんだ。

 ――母親は子どもを愛するものだ。

 ――お前が腹の中にいた時に、お前の母親はどうだっただろうな?


(母さんは……あんな風にしてくれたことはなかっただろうな)


 そう考えた瞬間。

 頭の中にふつふつと、形容するならどす黒い、どろどろしたものが沸き上がった。

 自分が自分でなくなるような感覚。

  

(あの子どもが死んだら、あの母親はどんな声で嘆き、叫ぶだろうか)


 その考えに頭が支配される。

 

 ――その嘆きの悲鳴は、――きっと、美味いだろうナア。


 『じゅるり」


 舌なめずりの音が響く。

 それが自分の口元からした音だと気づいたときには、身体が勝手に動いていた。


『きゃああああ」


 あの母親が、男の子を自分の背に隠した。

 それを押しのけ、子どもの首を掴もうとした、その瞬間。誰かが自分の前に立ちはだかった。


『どけぇ!』


 彰吾は叫ぶと、その相手の肩に齧りつこうとしたが、その人は、彰吾をぎゅっと抱きしめた。


(――温かい?)


 自分の身体全体が青い炎に包まれていることに気付いた。

 ゆらゆら揺れる炎ではあるが、熱さや痛みは感じず、まるで炬燵に入っているような居心地のいい温かさを感じた。 


『そこに、いるわね』


 彼女はそう呟くと、彰吾の背後に向かって手のひらを向けた。

 ぼんっという音と共に、背中のすぐ後ろで赤い炎が爆ぜる。


 ――ギャアああアアあ!!!


 頭の中で何かが叫んだ。

 それと共に、靄が晴れるような感じがして、手足の、身体の感覚が戻ってきた。


 黒い袴姿のすらりとした背の高い女性が心配そうに自分を見つめている。


『……俺?』


 彰吾はそう呟いて、自分の手を見つめた。

 彼女は彰吾の手を握ると、微笑んだ。


『あぁ良かった……間に合いましたね』


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