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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第1章】ローズオットー級の美形
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7-香り越しの素顔

 「あら。新人さんがいるの?」

十五時ちょうどに、黒髪の女性、市川みずほは来店した。


 さらりとした草木色のチュニックに、細身のターコイズブルーのデニムを合わせた清潔感のある女性。きれいに化粧をしているけれど、話に聞いたとおり、少し顔色がくすんでいるみたいだ。目の周りも青白い。


 誠人は忍に目配せすると、一歩、進み出た。


「はじめまして。お荷物お預かりしますね」

営業部で鍛えた外向け用スマイルで、小さなポシェットを荷物入れに収め、席まで案内する。


「新卒さんじゃなさそうね。ここって個人店だと思ってたけど」

頑張ってるわねえ、と世間話をしながら、市川は席へ着く。


「わたしは、本日だけこちらにお邪魔しております。市川さまがお疲れとのことで、よろしければアロマを焚かせていただきたいなと。

 いくつかサンプルをお出ししますので、試していただけますか?」


その言葉に驚き、市川はパッと忍を振り返る。


「いつもご贔屓にしていただいておりますので、たまには何もお気になさらず、ごゆっくりなさってください」

極上の美形が口元をゆるめると、市川の頬がポポポと花が色づくよくよう赤くなった。


 テノールボイスでしっとりと告げるそのエレガントな佇まいは、本当に薔薇のようだ。

 そのうえ、周りを自分の世界に染めていく。何をもってしても揺るぐことのない、必ず主役として君臨するローズオットーそのものだ。


 誠人も思わず見とれてしまう。

 だが、すぐにハッと気を取り直して、手元の作業に集中した。説明を続ける。


「へぇ。香りを混ぜてくれるの?」

「はい。お一つでもコレというものがあれば、それを用意しますし、気になるものが複数あれば、この場で調香いたします」


「すごい。そういうの、やってくれるお店ないわよね。お休みオイルとか、リフレッシュオイルとか、もうブレンドされてるものはあるけど」

市川はアロマになじみのある人のようだ。


 確かにアロマショップに行けば、ラベンダーやオレンジスイートといった精油単体だけでなく、用途別に既製品のブレンドオイルが用意されている。


 だが、その場で配合できるかというと、話は別。


 化粧品と同じように、法律なんかの兼ね合いで、調香する場所……つまりは製造工場そのものに許可が必要になる。いちスタッフの判断で、店内で即席ブレンドの販売はできない。


「普段はどのようなものがお好みなんですか?」

「最近はぜんぜん……」


 あ。そうだった。

 誠人は市川に寄り添うように、くしゃりとした笑顔を浮かべた。


「小さなお子さまがいらっしゃると、使えない精油もありますもんね」


これも、アロマを使ううえで気をつけなければいけないこと。誠人自身は気にしたことはないが、どんな解説書にも載っているから、自ずと覚えてしまった。


「……あら。これって、こんな香りだったかしら」

顔をしかめて香りを遠ざける市川に、ピクっと、誠人のセンサーが刺激された。


「以前は、華やかな香りがお好みだったのですね」

「そうね。でも……ちょっと今はキツイなぁ」


言われて、誠人は違う香りを差し出す。ああでもない、こうでもない、これはいいかも。なんて試しているあいだに、香りは決まった。


【本日の調香:クラリセージ、ベルガモット、ローズウッド】

 落ち着きつつもスッとスパイシーさのある香りと、柔らかな柑橘系、そしてローズに似ているといわれる中でも樹木系で中性的なチョイス。


 そして、ここから導き出されるのは……。


 ドリンクのオーダーと合わせて、スタッフルームへと戻った。


 「おそらく、不安症と緊張感が高まっています。香りの傾向からすると、癒されたり、伸び伸びしたいというのはありますが、どちらかというと、気分を盛り上げたい、次の一歩を踏み出したいという感じでしょうか。

 いまはグッタリしていても、もとは華やかで、芯の強い方なんですね」


 市川の心中を思うと、眉根が下がる。

 どんなに強い人だって、辛いことや理不尽なことが続けば、心が折れる。そんな気持ちに寄り添ってくれるのが、香りなのだ。


 だから実家にはいろんな精油があったし、姉も「今日はどんな香りがいい?」と聞いてくれた。


 その香りで、その日に何があったのかバレバレだったのだから、当時は姉のことを占い師か超能力者かとキラキラした気持ちで見上げていた。


 いま思うと、本当に幼くて無邪気な子どもだった。


「…………」

琥珀色のアーモンドアイが、そんな誠人を真っ直ぐに捉える。

「何ですか?」


「いえ。仰るとおりです。市川さまはもともと明るく、前向きで、女性的な軽やかさもありながら芯の強い方だと感じていました。

 ……香りのカウンセリングだけで、そこまでわかるものなんですね?」


「香りは嘘をつきません」

実体験から、そう断言できる。


「……ほう」

だけど忍は、スッと目を細めた。香りについては自信があるものの、値踏みされているようで、誠人はついと視線を逸らす。


「まあ、不安症や緊張感といっても、人によって捉え方は違いますし、単に性格の問題かもしれませんが。何より……なんていうのかな……」

誠人はうまく表現できない解説を、なんとか捻り出そうと唸る。


「その人の、雰囲気って、あるじゃないですか」

結局、言えたのはそれだけだった。


「……ふむ。面白い」


(面白いって、スミマセンね。営業なのに雄弁じゃなくて)


自分の至らなさに、思わずがっくりと頭を落としてしまう。


「わかりました。詳しいお話は私が聞きますので、ディフューザーを炊いたらソファに腰かけていてください。ドリンクもご自由に」

「座ってていいんですか?」

「十分カットと違って一時間以上かかりますよ」


誠人は唖然として口をぽかんと開けた。


「座っていてください」

「ありがたく、そうさせていただきます」


(女性って、本当に大変だ……)

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