4-真と香りは紙ひと重
それからは、洗いざらい話をさせられた。これが昭和の刑事ドラマだったら、カツ丼でも出してほしいところだ。
ちなみに、なんで誠人の名前を知っていたかというと、答えは単純。「救急隊員とのやり取りを聞いていたから」だったらしい。
そのときに大怪我ではなく、酔っ払いだということもモロバレだった。
これでも社会人二年目なのに……穴があったら入りたい気分だ。
「つまり、歳の離れたお姉さまの影響で、知らないうちにアロマに囲まれた生活になっていたと」
サクサクサク、とハサミを滑らせながら、男は会話を転がす。
「はい。姉はいま、趣味が高じて海外でアロマ関係の仕事に就いています」
「素晴らしいですね」
「でも中学時代に散々周りにいじられましたからね!
男のくせに匂いつきのワックス使ってるって。
それで、初めて姉に詰め寄ったんです」
「そうしたらなんと?」
「お前の髪も肌もきれいなのは、私のおかげなんだから、感謝しなさいって」
「いいお姉さまじゃないですか」
柔和な笑みを浮かべて、男は相槌を打った。
確かに周りの男子と比べても、思春期ニキビとやらには悩まされずに済んだ。だが、美形に言われても嫌味にしか思えない。
「それでも、アロマを嫌いになったわけではないんですね」
「そうですね。なんだかんだと奥深いんですよ。
薬機法の関係で“利く”とは言っちゃいけないんですが、実際に古くから療法や美容として長い歴史を持ってますし、そのときの気分や状態によって好みが分かれるのも面白いです」
「気分や状態によって?」
問われて返答に困った。自分にとっては当たり前の感覚なのだが、なんと説明したものだろうか。
「たとえば、俺は普段ウッディ系が好きなんですが、やっぱりリラックスしたいときは、無難なラベンダーに返りますし、暑くなって来たら系統に限らずシャープな香りがほしくなります。
相手の雰囲気とか見てると、この人なんの香りっぽいかな~って思ったり……」
「ほう…」
話を促すように、静かな相槌だけが返ってくる。
「昔の姉は、ラベンダーみたいな優しくて包容力のある人だと思ってたんですけど、働き出してキリッとした輪郭が出て、ローズマリーになったな、とか。
あと怒ってたり、塞ぎ込んでる人を見ると、あの調香が合うんじゃないかな~とか」
「人間観察に長けているのですね」
男の言葉に、誠人はハッと息を呑む。語りすぎてしまっただろうか。
「ス、スミマセン。俺こんなこと人に話したことないから、つい……」
男は少し首を傾げた。
「なぜ謝るのですか?関心していたのですよ」
「はぁ……」
鏡越しに琥珀のような瞳で真っ直ぐ見つめられ、萎縮してしまう。
程よい相槌は押しつけがましくなく、こちらはどんどん話をしてしまうのに、本人自身は表情の変化に乏しいから、よくわからない人だ。
「私の印象は、どんな香りですか?」
「……」
――「ローズオットー」。
超高級品で本物を買ったことはないが、店頭で香りを試したことがある。
ぶわりと広がる芳醇な香りは、何層にも重なる薔薇の花弁をそのまま体現したような奥深さがあり、それでいて他に類のない、寄せ付けない気高さと孤高感。
姉はうっとりし、誠人は一歩後ずさった。
この男は、あの香りに似ている。
一目見たときからそう思っていた。
けど、男性を「薔薇」に例えるのも、なんだか失礼な気がする。
「考えておきます」
「わかりました。次回ご来店のときに教えてください」
「え?」
「当店の会員証をお渡ししておきますね」
すごい営業テクニックだ。何の迷いもなくリピーター獲得に進んだぞ。
営業部に在籍している誠人は、ついその会話の流れを観察してしまう。
サービスとして提供されたお冷の隣、全面ほぼ真っ黒な地に、小さなシルバーの明朝体が掘られた会員証が並ぶ。遠目に見たら、富裕層しか持てないクレジットのブラックカードのようだ。
《|Garden Therapy-SHINOBU-》
「美容院じゃないんですか?」
「美容院ですよ。髪を整えることは心のケアにも繋がります」
ケープを外し、襟足周りの髪を払いながら男は言った。
「これだと、何のお店かわかりませんよ。入口もあんな横道だし。
あぁでも、予約サイトとかだと別に店名とか関係ないか」
誠人が独り言ちると、男は嘆かわしいとでも言うように、首を横に振った。
「当店はすべてご紹介のみ。いわゆるクチコミというやつです」
「え?」
プルルル――
突然、奥のほうから電話の着信音が聞こえた。
「失礼。少々お待ちくださいませ」
男は小さく頭を下げてスタッフルームに引っ込んでしまったが、もう帰ってもいいタイミングではなかろうか……。
長身のスタイリストに合わせて座高が上がったままだが、別にわざわざ下ろすのを待つまでもないような。
チラリと時計に目をやる。
大きな古時計を模したデジタル時計は、味わいとシャープさが混ざり合っている。
もうすぐ十二時。
突然の休日だったが、いい時間潰しになったようにも思う。
なにより、無料で散髪してもらえたのはラッキーだ。
……いや。昨日の飲み会、火事、ゴミ箱行きのスーツ、検査入院とその費用。不運続きの足しにもならない。
「お待たせしました」
男が戻ってきて椅子を下げようとし、寸でのところで手を止めた。ゆるく握った手を顎に当てる。この男の癖だろうか。なにか、考えているようだ。
「尾花誠人さん」
「は、はい!」
鏡越しに目が合って、思わず背筋が伸びた。
「本日の午後は空いていらっしゃいますか?」
「え、ええ。まあ……」
今日は有給ということになっている。
「では、当店でアルバイトをしませんか?」




