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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第4章】サイプレスを封じた青年
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5-反撃に向けた潜入捜査

 資宝館の本社は、フェンスの中に十階は超える高さの建造物を何棟も抱えており、フェンスが面する通りには、信号が三つはありそうなほどの敷地面積を持っていた。


 中に入っても、並木道やテラス席が広がり、建物の中央には吹き抜けがあり、天窓から陽光が差し込んでいる。

 ひとつの街並みを、ビジネス用にお洒落に描き直したような空間が広がっていた。


 業界ナンバーワンを誇るだけの迫力がある。


 誠人とあさひが案内されたオフィスは、スモークガラスになっている個室だった。柔らかな曲線美のあるテーブルに、椅子も北欧風のゆるやかなカーブのある形。ブルー、グリーン、オレンジとカラフルだ。


「お待たせしました」

 入って来たのは壮年の男性と、ターゲットの榊原太一。美咲から送られてきた写真で確認した顔と一致している。


 二人とも体躯に合わせたピシッとしたスーツで、いかにも大手化粧品メーカーらしい堂々とした佇まいだ。


(香水。ついけているんだな)


 誠人の鼻は精油の香りは嗅ぎ分けられても、市販されている香水はわからない。大手美容メーカーらしいな、というのが、最初に感じた何のひねりもない感想だった。

 壮年の男性はスモーキーな深い香水が馴染んでいて、榊原は柔らかく軽やかな香水をまとっていた。


 ただ、それを差し引いても、榊原本人からは、ごてごてと表面を取り繕ったような不調和な香りが漂っている気がした。


(本性を覆い隠しているみたいだ)


 名刺交換をしたところ、壮年の男性は総務部の倉本徳人という名前だった。軽い雑談を交わして、誠人は営業トークに入る前に、あさひに目配せをした。


 あさひは一つ頷いてから尋ねる。


「もしお差支えなければ、議事録と今後の品質向上のために文字起こしアプリで録音させていただいてもよろしいでしょうか?」


 倉本も榊原も目を丸くしたが、すぐに倉本は柔和に顔をほころばせた。


「えぇ。構いませんよ。最近はリモートなんかで録画も増えましたからね」

「ありがとうございます」


 にっこり微笑んだあさひはボタンを押し、日付と許可をもらって録音していることを吹き込んだ。


 そこから、誠人の営業トークにバトンタッチだ。

 資宝館の状況を聞きながら、落としどころを探っていく。


「ふむ。悪いお話ではなさそうですね。一度この試用期間は導入して、本決定はそのあとに検討してみましょう」

「はい。短期間お試しいただいて、食堂との併用でコストダウンになるかどうかも、ご判断いただければと」

「ええ。この人数となると、コスト面は大きいですからね」

 倉本は終始おおらかだった。短期契約の成約が決まり、次回の来訪時期の目途を調整して終盤を迎えた。


 営業としての誠人は、大手との成約に頭の片隅で小さくガッツポーズを取っているが、調香師としての仕事はここからだ。再度、あさひに目配せをする。


 あさひが口を切った。

「あの、御社から出る三種のバーム、とても話題になってますね」

 録音は、続いたままだ。

「おお。ありがとうございます!」

 榊原は言って、得意げに胸を膨らませた。


 あさひが口にしたのは、美咲から伝えられたセリフだ。自尊心を刺激すれば、榊原はボロを出すとのことだった。


「あれは、わたしの発案なんですよ」

「あぁ。そうだったね」

 口が軽くなる榊原に、倉本が誇らしげに語る。

「榊原は転職組なんですけどね、応募のときに企画書を添えてくれたんですよ。

 これは面白いと思って面接に呼んで、それで、うちとやり取りのあるインフルエンサーに打診して、一緒に取り組むことになったんです」


 言質は取った。やはり彼が漏洩元だ。


「そうなんですね。尾花さんも、隠れアロマ男子ですよね」

「ちょ、板野さん、初対面でいきなり……」

 これは打ち合わせになかった。素に戻ってしまう誠人だが、アロマの話は振るつもりだったので、軽く咳払いをして取り繕う。


「ほう。いまは男性でもアロマ人気が高まっているんですね。

 次は男性向け商品なんてのもありなのかな?」


 倉本は感心したように言って榊原に水を向けるが、誠人が否定した。


「いえ。わたしの場合は、姉がアロマ愛好家だったので、身近だったのですが、まだまだ男性でアロマは……」

 苦笑しながら、榊原に視線を送る。

「オープンにするのは、なかなか抵抗がありますよね?」


「そ、そうですね……」

 口元に笑みを浮かべる誠人の目は笑っていない。その様子に、榊原はたじろいで言い淀む。

「それでも、レシピをいろいろ考えるのは楽しいものです」

 言って、目尻を下げた。瞳はあいかわらず、榊原を見据えたままで。


 会話に窮した榊原を尻目に、誠人はあえてチラリと榊原の名刺を見やった。


「榊原さんは、企画営業部なんですね。

 わたしの知人に、非常に製品にこだわりのあるサロンオーナーがいるんですよ」

 その瞬間、榊原はたじろいでいた態度を翻して、前のめりに目を光らせた。

「そうなんですね。どんなサロンですか?」

「クチコミだけの会員制サロンなんですけど…もう、オーナーが……呆れるくらいこだわりが強いんです」

 後半は、本音がもろにあふれてしまった。

「俺みたいな平凡な男に、ヘアアイロンの使い方を覚えろ覚えろってしつこくて。

 十分カットで済ませていたら、真顔で『嘆かわしい』って」

 声のトーンを落として、忍の真似をして見せた。


 とたんに室内の空気がゆるむ。

「ははは。面白いオーナーさんですね。

 もしお差支えなければ、ご紹介いただけませんか?

 サロンでもお取り扱いいただければと思っているんです」


 餌にかかった。


「もちろん。追ってメールしますね」

「ありがとうございます」

 退室の準備の中で、あさひはさりげなく録音を切った。


 本社をあとにすると、誠人はふっと立ち止まり、その巨大な敵をしかと見据えた。

 あさひも、その横で誠人に倣ってそびえ立つ建造物を見やる。


 びゅうと、強いビル風が吹き抜けた。


 確証は取れた。

 敵は大きい。


 だけど、さあ、反撃の開始だ――

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