4-柑橘系チームのローラー作戦
「お~ばな~。お前、最近やる気出してるな」
ガシッと肩を組んできた営業エースの先輩に、誠人は心を無にして笑顔を向けた。
「部長から聞いたぞ~。若手営業チーム立ち上げるんだってな」
「先輩はあいかわらず耳が早いですね」
「じゃなきゃ、チーム掛け持ちはやってられないよ。俺も負けないようにしないとな」
言うだけ言って去って行った。宣戦布告のつもりだろうか。
その背中を見送る誠人は、営業成績のことは頭の片隅に入れつつも、意識の大部分をレシピ漏洩元の捜査に比重を割いていた。
美咲が奮闘しているなか、誠人が動いたのは資宝館の連絡先入手だけではない。
社内で資宝館の連絡先ばかり集めようとしても、悪目立ちしてしまう。
そこで、美咲の勤めるトラストリーとの契約をネタに、「研究室がある会社への営業」というお題目を立てて、チーム編成を提案したのだ。
木を隠すなら森の中。複数企業の営業先リストを作ったうえで、資宝館を紛れ込ませることにした。
だが、成績がものをいうのが営業の現場。既にやり取りのある担当者からは「自分の顧客を取る気か」という不満の声も上がった。
課長も渋い顔をしたが、部長が「若手がやる気を出しているなら任せてみよう」と後押ししてくれて実現したのだ。
巻き込んだチームメンバーは、あさひと翼のほか、数名。
だが、主力メンバーはこの二人だ。翼にも事情は説明してある。
マンダリンのあさひ、オレンジスイートの翼を編成したことで、誠人は心の中ではひそかに「柑橘系チーム」と呼んでいる。
誠人は、あさひと翼と顔を突き合わせて、小声で指示をした。
「いいか。二人に送ったリストの人たちが、資宝館に勤めているとは限らない。
だけど、まずはその人が在籍していることを前提に電話するんだ」
あさひも翼も、この数カ月でずいぶんと慣れたものだ。
ほかの営業リストの中に、適度に資宝館への連絡を紛れ込ませてテレアポを続けたので、同僚たちから怪しまれることはなかった。
それでも資宝館の部署は細分化されていて、「うちには、そのような者は在籍しておりませんが……」と怪訝そうに返されるばかりだった。
一日、二日……なかなか成果は現れない。
(ターゲットを絞りすぎたのか。それとも漏洩元は退職者ではなかったのか……)
そんな疑念が首をもたげ、誠人の神経をすり減らしていった。
テレアポ営業は、この職種の最初の関門。入社当時に、何度も心が折れそうになった記憶がまざまざとよみがえってくる。
それでも、この一年でメンタルも鍛えられた。
営業の鉄則……「もうダメだと思ったときに営業の神様は降りてくる」。
その言葉を口の中で復唱して、次の番号をプッシュしようとしたときだった。
「榊原さんでいらっしゃいますね!」
あさひのじゅわっと弾けるような声が、鼓膜の奥に飛び込んできて、視界が明るくなるのを感じた。
プッシュボタンに手をかざしたまま制止し、会話に聞き耳を立てる。
目は美咲から送られてきたリストを追った。
――企画営業部 榊原太一 三三歳 一身上の都合により退職
翼も二人の空気に気づいたのか、横目で様子をうかがっている。
「はい…はい。では、明後日の午後三時、十五時におうかがいいたします」
あさひは二言、三言あいさつを交わして、通話を切った。
フーッとやり切った感のある長い息を吐くと、回転椅子をぐるりと回して誠人に体を向ける。
ほんのり顎が反らされ、オレンジ色に染まった頬も唇も、痙攣しそうなほどに吊り上がっていた。
誠人は、せりあがってくる心拍数を押さえこもうと息をひそめた。一拍おいてから、ごくりと唾を飲み込む。
あさひは、両手の親指を立てた。
それを受けて誠人は、
「よっし!」
と、ガッツポーズを取った。
「俺、ちょっと美咲さんに連絡してくる。
板野さんも、山本も、そのままテレアポ続けてて」
「はい!」
「了解です!」
あさひも翼も勢いよく返事をするが、立ち上がった誠人は横目でジロリと翼を睨んだ。
「山本、了解じゃない。かしこまりました、または承知しました」
「あ。スミマセン。かしこまりました」
素直に謝る山本に肩をすくめ、誠人は廊下に出た。
◇
オフィス入口から離れた窓の外、空には地平線まで塞ぐような入道雲が降りてきていた。遠い空は灰色がかっている。ひと雨くるかもしれない。
そんなことを思いながら、誠人は私用携帯をポケットから取り出す。美咲はワンコールで通話に出た。
「……榊原だったのね」
「美咲さんの予想的中ですか?」
美咲の硬い物言いに、誠人は問い質した。
「えぇ。何度か会議や飲み会で一緒になったことがある。私はいろんな部署を掛け持ちしてるし、顔も出してるパイプ役みたいなところがあるの」
「……なんか、大変そうですね」
率直な感想が口を突いて出た。
「まあね。でも、自分で舵を切れるぶん、忍ちゃんの無茶ぶりよりは気楽だけど」
「あーそれは……」
同情せざるを得ない。
「それで、榊原ってどんな人ですか?」
「そうね……。一言でいうと、イマドキ珍しく出世欲の強い人間だったわ。もちろんうちもそれなりに大きいから出世欲がない人のほうが少ないわ。けど、彼はちょっと強欲で……」
言い淀んで、言葉を切った。入道雲の中で稲光が走る。
「あんまり人望はなかったわね。
前々から人のアイデアや共同企画を自分のモノみたいにプレゼンすることもあったみたい」
「……嫌な人ですね」
「誠人くんみたいに誠実なタイプとは対照的なタイプね。
それで、営業行くんでしょ?」
「はい」
誠人は即答した。
「なら、こう言ってみて――」
ぽつり、ぽつりと雨が窓を叩き始める音を聞きながら、美咲の言葉を、誠人は頭の中にメモをした。




