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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第4章】サイプレスを封じた青年
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2-洩れたレシピの追跡開始

 「尾花が新規営業なんて珍しいじゃないか。頑張ってこいよ」

 課長に背中を叩かれて送り出され、やって来たのは株式会社トラストリー。美咲の勤務先だ。

 化粧品部門に行くということで、女性社員のあさひも同行することになった。


 ビル一棟の大きな会社で、エントランスを入ると正面にはロゴの看板。ロビーにはテーブルセットもあり、壁には主力商品や芸能人がイメージモデルを務めるポスターが飾られている。


「あ。あれ、私使ってます」

 と目を輝かせるあさひを尻目に、誠人がインターフォンで到着を伝えると、数分してカツカツとヒールを響かせる音が聞こえてきた。


「いらっしゃい。誠人くん、あさひちゃん」

「美咲さん、本日はよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたします」

 誠人が会釈をすると、あさひもそれに倣った。

 美咲は小さく肩をすくめる。

「私たちは友人なんだから、そんなかしこまらないで。

 会議室に案内するわ」


 小さな会議室に案内されると、誠人が投げやりに口火を切った。


「あ~もう、なんか勢いで来ちゃいましたけど、まさかホントに企業に潜入捜査するなんて思わなかったですよ」

 初めてレシピが盗まれたと知ったときは、目の前が真っ暗になって冷静さを失ってしまった。それでも、日常生活に戻れば、日々の雑事で気は紛れていくものだ。潜入捜査なんてスパイみたいな真似事をしている自分に、改めて呆れてしまう。


「忍ちゃん、しつこいからね~。

 誠人くんのレシピを守ろうと必死なのよ」

 ケラケラと笑う美咲に、誠人はじっとりとした目線をぶつける。

 誠人だって守りたいのは同じだ。それでも、業務時間中に隠密行動というのは、職業倫理として複雑なのだ。


「言っときますけど、うちも営業時間中なので商品説明はさせてもらいますよ」

「もちろんよ。ハンコは押すから安心して」

「説明を聞いてからにしてください」


 営業マンとしての意地を張る誠人の横で、あさひはクスリと笑みをこぼした。


 とはいえ、既に営業内容については段取りを取っていた。


 誠人の会社で営業代行をしている商品についてツラツラと説明すると、美咲は「宅配ケータリング!ちょうどいいわ。うちってお菓子はあるけどお弁当はないのよ。

 特に研究員たちって没頭してご飯なんてお菓子や栄養バーで済ませちゃう人も多いから喜ぶと思うわ」と、契約は取れたようなものだった。


 今日は料金形態などの説明をして、発注数を決めてもらうだけだ。


「で。本題ね」

 美咲は誠人に渡された資料をデスクの上でトントンと揃えると、自分のパソコンとプロジェクターを接続した。

 表示されたのは、資宝館の三種のアロマバームセットの資料だ。

「わぁ。可愛い!」

 あさひは思わず声をあげてしまい、慌てて両手で口を押えた。

「ご、ごめんなさい」

 ひょこっと首をすくめるあさひに、誠人は女の子らしい反応だなと思って苦笑を漏らす。


 それからプロジェクターの映写画面を見て、

「よくこんなに調べましたね」

 と感心した。

「どれもプレスリリースやサイト上に載ってた情報よ。

 忍ちゃんにはもう送ってある。あとで二人にも送るわね」


 それにしても……。

「本当にパクられてるな……」

 誠人は眉間にしわを寄せて呟いた。


 商品名もさることながら、アロマのブレンド……調香レシピもほとんどそのままだ。


「そうなのよね。まあ、主力ブランドじゃないし、インフルエンサーとの期間限定コラボとして出すみたいだから、試験的ってことだと思うけど……」

「そのインフルエンサーがパクったってことですか?」


 誠人が聞くと、美咲は首を振った。


「そういうコラボって、たしかにインフルエンサー側から持ち込まれることもあるわ。

 けど、基本的にはメーカー側が打診して話が進むものなの」

「あぁ、『案件』『PR』とか、そういうやつですね」


 あさひは視聴しているSNSを思い出しながら頷いた。


「そういうこと」

「でも、これじゃあ本当にどこから漏れたのかわかりませんね」


 緊張感のない女性二人の側で、誠人だけはずっと渋い顔をしていた。


「そうなのよね~」

 美咲は眉をハの字に下げて頬杖をついた。

「あの、忍さんじゃないですけど、本当にハッキングされたとか、そういうのじゃないんですよね?」

「システム部にも確認したわ。

 サーバー攻撃なんてしょっちゅうだけど、全部撃退してる」

「しょっちゅう!?」


 誠人は前のめりになって声を上げた。あさひも恐々と身を縮こませる。


「あら。案外そんなもんなのよ。

 製薬に限らず、株価に影響したり、機密情報が多かったりなんてすると、海外からもしょっちゅう」


 営業代行会社なんて、昭和の名残が大きいからその辺ガバガバなんじゃないだろうか。誠人は背中にヒヤリと冷たいものを覚えた。


「なんにせよ、私はエンジニアでもないし、調べられたのはネットに出てる情報だけ。頭打ちよ」

「……忍さんは納得しないでしょうね」

 自分もだけど、とは付け加えなかった。


「それが一番の難関だわ」

 美咲は困り果てたように深くため息をついた。


 忍の計画は、サロンオーナーとしてレシピの著作権侵害を警告すること。そして、漏洩元本人への制裁だ。

 製品の取り下げは、トラストリー、資宝館をはじめとする関係各位、そしてGarden Therapy -SHINOBU-にとってもイメージを悪化させかねない。それは避けるべきだと判断した。


「あの子を納得させる方法があったら知りたい」

 掻き消えそうなほど小さく漏れた呟きには、長年の付き合いの中で、ありとあらゆる積年の鬱憤が溜まっていそうだった。


 美咲は長い指でキーをパチパチと打ち、画面に違うウィンドウを表示させた。

 それを見て、誠人は慌てて目を逸らす。


「板野さんも見ないように」

 やや強い語気で言うと、あさひも視線を画面から美咲に移した。

「美咲さん、メール画面なんて超機密情報を外部の人間に見せないでくださいよ。責任取れません」

「だからうちに来てもらったんじゃない」


 平然と言ってのける美咲に、誠人はめまいを覚える。それと合わせて、ここ数カ月で慣れ親しんでしまった苛立ちが込み上げてきた。


「美咲さんも忍さんも、同類決定」

 低いぼやきに、美咲は弾かれたように声を上げる。

「やめてよ。忍ちゃんほど倫理観いっちゃってないわ」


「いやいやいやいや」

 誠人はぶんぶんと大げさに首を横に振る。


「まあ、内容じゃなくて見てほしいのはここよ」


 美咲はまた手元を操作して、メール本文を隠してアドレスだけを拡大表示させた。

 誠人は、余計なものが目に入りませんように、と心の中で祈りながら、糸のように細く目を開けて画面に向けた。


「ドメインを見てほしいの。

 忍ちゃんは、宛先を間違えたんじゃないかって言ってたけど、うちのドメインしか入ってないでしょ」


 言われて、誠人は順を追って確認していく。

 その横で、あさひも手元に置いた美咲の名刺と画面を交互に見ていく。


「たしかに、どれも美咲さんのメールアドレスと同じですね」

「……あの、この人たちの行動もチェックしたんですよね?」


 誠人に問われて、美咲は首肯した。


「あ、居酒屋で話しちゃったとか、ないですか?」

「それはないわね」

「でも……」


 美咲は即座に否定するが、あさひは食い下がった。といっても、その自説を押しつけるわけではなく、あくまで可能性として本当にないのかという疑いのほうが大きいだろう。


「板野さん、Garden Therapyで芽衣さんたちと一緒に話したとき、俺がなんて名前の精油使ったか覚えてる?」


 誠人の言葉に、あさひは思い出すように視線を遠くに向けて、「ペパーミントくらいしか……」と納得した。


 そう。ペパーミントやラベンダーみたいに有名な名称はわかりやすいが、親しみのない人にとってカタカナだらけの精油は耳慣れないものばかりだ。

 誠人はこめかみに人差し指を当てて、いったい何の可能性があるのかと思考を巡らせた。ふいに、一つの可能性が浮上してくる。


「……あとは退職した人とか?」


 ポツリと漏れた誠人の言葉に、美咲はゆっくり、ゆっくり……スローモーションのように顔を上げた。

 弛緩した空気が一変し、一瞬のあいだにプロジェクター画面を消すと、超絶技巧のように長い指を動かした。小さな部屋にキーを叩く音が木霊する。


 美咲の目が左右へと忙しなく走り、瞳に画面が反射して鈍く光った。

 その変貌に、誠人とあさひは息を呑んで顔を見合わせる。


「……いる」

「え?」

「退職者よ」


 言って、先ほどのアドレス画面を表示させ、メールアドレスにポインターを合わせる。それは、“labo1@……”といった研究室の代表メールを示すものだった。


「これは研究室だけど、関係部署の代表メールも入ってるの」


 誠人にも、美咲の言わんとすることがわかった。


「じゃあ、その研究室や、部署に在籍していた人なら、この企画は見られた……ってことですよね」

 言葉にするのが恐ろしくて、誠人の声は上擦ってしまう。


 あまりにもアナログだ。それなら、セキュリティーなんて関係ない。


「……ええ。そういうことね」

 普段のおおらかな雰囲気はなく、強張った声で、美咲は頷いた。

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