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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章後編】イランイランを厭う女たち
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14-メンソールの季節へと

 百円ショップのウェットティッシュに垂らして浸透させたティートゥリーとレモングラス、ペパーミント。

 清涼感のある香りとメンソールが、ほてった頭と肌を冷やしてくれる。

 営業先からの帰りがけ、電車を待ちながら誠人は一息ついた。


「お前も使うか?」

「ありがとうございます」

 ペットボトルで水分補給する翼に差し出すと、小さく会釈して受け取った。

「お。これ気持ちいいっすね。さすがです」

 高い声を上げる翼を横目に、誠人も温くなったお茶をがぶがぶと飲み干した。


 到着した電車に乗り込んでも、最近はエコなのかなんなのか、冷房が弱い。生ぬるい湿った空気が籠っていて不快感に見舞われる。


 太陽が攻撃的なまでの威力を発揮する時期、外回りの営業活動は体力勝負。移動だけでも厳しくなる。

 それでも、誠人のチームは好調な成績を保っていた。

 翼が吹っ切れたように饒舌なトークを繰り出し始め、幼いながらも精悍な顔で、さらりと身の上話も差し挟むと、次々と先方の心を鷲掴みにしていったからだ。


 実を言うと、誠人はこうなるだろうと予想していた。

 二股や恋愛詐欺を働いた手前、相手の懐に入り込み、心を引き出し、さらに切り込んでいくのは得意とするはず。

 恋愛上手は営業上手ともいわれるが、「向いている」と思わなければ、いくらなんでも入社なんて温情はかけられなかった。


 最近は「山本を連れて行くと成約率が上がる」なんてジンクスが広まり、別のチームのヘルプにも駆り出されるほどだ。


 少しはいいものを食べるようになったのか、肉付きもよくなり、忍のおさがりのオーダースーツもピシリと決まるようになった。


「そうだ。母さんの退院、決まりました」

「おお、よかったじゃないか!」

「はい。今度の土曜日に迎えに行きます。

 けど、すぐにでも働くって聞かないんですよ」

「それは心配だな……。お母さんの仕事って?」

「看護師です」

 

 なるほど、と、誠人は心の中で頷いた。

 女手一つで子育てする人には、看護師が多いと聞いたことがある。

 ただ、不規則な生活や急な呼び出しなんかで、過労で倒れる人も少なくないのだとか。


「まさか、佐々木総合病院の勤務じゃないよな?」

「もっと小さいクリニックですよ。

 けど、夜勤もあるし、あんまり無理してほしくないんですよね」

「……」

 誠人は半眼になってジーッとその顔を見つめた。

「な、なんすか?」

「お前って、ほんとに根っこだけはいい奴なんだよな」

「……っす」

「褒めていいかわからないけど」

「尾花さんのおかげで、ちゃんと更生しましたって」


 ガタンと電車が大きく揺れ、誠人はパッと吊り革に手を伸ばす。地下鉄に入って、音がごうごうと社内に反響する。

 天井からの冷気が肌に触れた。ようやく冷房を入れてくれたのかもしれない。


「で……日に……連れて……かなって……」

 翼の声が、反響音に混ざってうまく聞き取れない。

「え、なに?」

 誠人は耳を近づけた。

「だから、退院日に、芽衣ちゃんを連れて行こうかなって」

 その耳に向かって、翼は声を張る。

「うるさ! さすがに声がでかい。周りにも迷惑」

 開いた片手で背中をバシンと叩いてやる。

「でも、思い切ったじゃないか。病院行ったら、芽衣さんのお母さんと会うかもしれないぞ?」

「それも話し合いました。

 前々から、オレの母さんの見舞いには行きたいけど、病院には近寄りたくないって言ってたんですけど」

 芽衣にしたら、親戚一族が経営する病院だ。ある意味で鬼門なのかもしれない。

「ふぅん。ちゃんとしてるじゃん」

「うっす」

 反射的な翼の反応に、誠人は再度目を細めた。

「お前さ…俺ならいいけど、いい加減その学生みたいな受け答えも気をつけろよ」

「あ、はい。スミマセン」

「よろしい」


 電車がスピードを落とし、停車駅に止まる。スーツ姿の二、三人が入れ替わっただけで、また電車は走り出した。


「土曜日…か」

 誠人はぼんやりと呟いた。翼が「ん?」と顔を向ける。

「迎えって何時?」

「十時ですけど……何か?」

「いや。ちょっとな」

 誠人はスマホを取り出し、一通のメッセージを送信した。

 それから十分、会社の最寄り駅に着く手前で、ポケットの中が振動した。

 内容を確認すると、笑みがこぼれる。

「どうしました?」

「その日、八時半にGarden Therapy -SHINOBU-に来い。

 ちゃんとスーツも着てこいよ」

「……え?」


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