14-メンソールの季節へと
百円ショップのウェットティッシュに垂らして浸透させたティートゥリーとレモングラス、ペパーミント。
清涼感のある香りとメンソールが、ほてった頭と肌を冷やしてくれる。
営業先からの帰りがけ、電車を待ちながら誠人は一息ついた。
「お前も使うか?」
「ありがとうございます」
ペットボトルで水分補給する翼に差し出すと、小さく会釈して受け取った。
「お。これ気持ちいいっすね。さすがです」
高い声を上げる翼を横目に、誠人も温くなったお茶をがぶがぶと飲み干した。
到着した電車に乗り込んでも、最近はエコなのかなんなのか、冷房が弱い。生ぬるい湿った空気が籠っていて不快感に見舞われる。
太陽が攻撃的なまでの威力を発揮する時期、外回りの営業活動は体力勝負。移動だけでも厳しくなる。
それでも、誠人のチームは好調な成績を保っていた。
翼が吹っ切れたように饒舌なトークを繰り出し始め、幼いながらも精悍な顔で、さらりと身の上話も差し挟むと、次々と先方の心を鷲掴みにしていったからだ。
実を言うと、誠人はこうなるだろうと予想していた。
二股や恋愛詐欺を働いた手前、相手の懐に入り込み、心を引き出し、さらに切り込んでいくのは得意とするはず。
恋愛上手は営業上手ともいわれるが、「向いている」と思わなければ、いくらなんでも入社なんて温情はかけられなかった。
最近は「山本を連れて行くと成約率が上がる」なんてジンクスが広まり、別のチームのヘルプにも駆り出されるほどだ。
少しはいいものを食べるようになったのか、肉付きもよくなり、忍のおさがりのオーダースーツもピシリと決まるようになった。
「そうだ。母さんの退院、決まりました」
「おお、よかったじゃないか!」
「はい。今度の土曜日に迎えに行きます。
けど、すぐにでも働くって聞かないんですよ」
「それは心配だな……。お母さんの仕事って?」
「看護師です」
なるほど、と、誠人は心の中で頷いた。
女手一つで子育てする人には、看護師が多いと聞いたことがある。
ただ、不規則な生活や急な呼び出しなんかで、過労で倒れる人も少なくないのだとか。
「まさか、佐々木総合病院の勤務じゃないよな?」
「もっと小さいクリニックですよ。
けど、夜勤もあるし、あんまり無理してほしくないんですよね」
「……」
誠人は半眼になってジーッとその顔を見つめた。
「な、なんすか?」
「お前って、ほんとに根っこだけはいい奴なんだよな」
「……っす」
「褒めていいかわからないけど」
「尾花さんのおかげで、ちゃんと更生しましたって」
ガタンと電車が大きく揺れ、誠人はパッと吊り革に手を伸ばす。地下鉄に入って、音がごうごうと社内に反響する。
天井からの冷気が肌に触れた。ようやく冷房を入れてくれたのかもしれない。
「で……日に……連れて……かなって……」
翼の声が、反響音に混ざってうまく聞き取れない。
「え、なに?」
誠人は耳を近づけた。
「だから、退院日に、芽衣ちゃんを連れて行こうかなって」
その耳に向かって、翼は声を張る。
「うるさ! さすがに声がでかい。周りにも迷惑」
開いた片手で背中をバシンと叩いてやる。
「でも、思い切ったじゃないか。病院行ったら、芽衣さんのお母さんと会うかもしれないぞ?」
「それも話し合いました。
前々から、オレの母さんの見舞いには行きたいけど、病院には近寄りたくないって言ってたんですけど」
芽衣にしたら、親戚一族が経営する病院だ。ある意味で鬼門なのかもしれない。
「ふぅん。ちゃんとしてるじゃん」
「うっす」
反射的な翼の反応に、誠人は再度目を細めた。
「お前さ…俺ならいいけど、いい加減その学生みたいな受け答えも気をつけろよ」
「あ、はい。スミマセン」
「よろしい」
電車がスピードを落とし、停車駅に止まる。スーツ姿の二、三人が入れ替わっただけで、また電車は走り出した。
「土曜日…か」
誠人はぼんやりと呟いた。翼が「ん?」と顔を向ける。
「迎えって何時?」
「十時ですけど……何か?」
「いや。ちょっとな」
誠人はスマホを取り出し、一通のメッセージを送信した。
それから十分、会社の最寄り駅に着く手前で、ポケットの中が振動した。
内容を確認すると、笑みがこぼれる。
「どうしました?」
「その日、八時半にGarden Therapy -SHINOBU-に来い。
ちゃんとスーツも着てこいよ」
「……え?」




