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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第1章】ローズオットー級の美形
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3-香りが洩れるとき

 気まぐれに火事現場に足を向けたのは、牛丼屋の定食で腹ごしらえを済ませてからだった。


 上司から聞かされたとおり、大事になっている。建物の一角は中身がむき出し、隣の外壁にも黒い焦げ跡を残していた。燃えたのは可燃物だけではない。それらが混ざり合って、鼻を曲げるような匂いが、立ち込めていた。


 周りには立ち入り禁止のゲートが張られ、マスコミ関係者、その向こうには消防や刑事らしき人たちの姿がある。


(本格的に、巻き込まれなくてよかった)


 スマホを向ける野次馬たちを尻目に、踵を返した。

 そこで、くっきりとした輪郭を持つ人物が、目に留まった。

 昨日のローズオットーの男だ。


 向こうも気づいたらしく、無表情のままこちらを見据え、スイスイと近づいてくる。その男が歩みを進めると、やはり周りの人が自然と避けていく。


(なんか、怖い。逃げよう……)


 ざり。と地面を踏んだところで、テノールボイスに声を掛けられた。


「尾花誠人さん」


(なんで名前知ってるんだ!?)


思わず顔を上げてしまった。


 太陽の下では、その肌はいっそう透き通り、髪も瞳も淡い茶色がゆらりとして見えた。背も高い。一八五センチは超えているのではないだろうか。

 光沢のある黒いワイシャツのボタンを二つ開け、細身の黒いパンツを合わせているだけなのに、全身から燐光を放っているようだ。


「大怪我にならなかったようですね」

「あ、はい。昨日は……ありがとう、ございました」

そうだ。一応お礼を言っておかないと失礼だろう。


 男は値踏みするように一瞥をくれると、焦げた外壁のほうに視線を移した。


「私の店が、そこの三階なんですよ。

 火事と聞いて出てきたら、ふらふら歩きのあなたの姿が見えたので、煙を吸ったのかと心配になりました」

「そうだったんですか」

「ただの酔っ払いだったようですね。うちの前に汚いものを残されなくて安心しました」

「…………」


仰るとおり…なのだが、初対面でなんだその言いぐさは。誠人はギリッと男を睨みつける。


 男は、軽く握った拳を顎に当て、誠人を見据える目を細めた。

「髪、焦げてますね」

カッと羞恥心で顔が熱くなる。思わず左手で側頭部を押さえるが、今度はその手を取られてしまった。


 スンッと、鼻をひくつかせた気がした。


 「炎症、そこまで酷くなくてよかったですね」


 なんだろう。すごくマイペースというか、上から目線というか、正直ムカつく。友達にはなれないタイプだ。


「はい。お気遣いありがとうございます」

手を振り払おうとしたが、逆にぐいと掴まれてしまう。

そのまま、「ちょっと来てください」と昨日の横道に連れ込まれる。


「え、ちょ……なんですか?」

「髪、そのままではお仕事に差し支えますよね?」


だからなんだと言うのだ。関係ないではないか。


 連れて行かれた先にあったのは、ドライフラワーの海だった。

 大小さまざまな花束が観葉植物代わりに置かれ、壁にも天井にも花束が吊るされている。

 照明は絞られ、おしゃれを絵に描いたような美容院。施術台は一つしかない。


 「店の前はあの状態ですからね。本日のお客様にはキャンセルのお願いをしたんです」

「えっと俺、持ち合わせが……」


財布なんて持ってきていない。スマホ決済できたとしても、お高そうだ。


「サービスです」

「え、いいんですか?」


 鏡越しに茶色い目に問いかけると、男は表情を変えないまま頷いた。


「その代わり」

「はい」

「あなたのヘアバームと、手に塗っている軟膏のメーカーを教えてください」

「え?」

「とても上質な香りがします。私は商品開発もしているので、いろいろなサンプルを取り寄せるのですが、あなたが使っているものには不純物の雑味がありません」

「――」


 また、顔が火照ってくる。きゅっと肩がすくんだ。


「どうしました?」

「…いえ。あの……」

言い淀む誠人を追い詰めるかのよう、男は、きれいなアーモンドアイをキュッとすぼめた。

「俺の……手作り……です」

「…………ほう」


鏡の向こう側で、少しだけ、男の口角が上がった。

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