13-期限付きの依頼保留
「それで、調査のほうは?」
「もう、忍ちゃんも開口一番それなんだから……」
「ミミ……」
緊張感のない美咲に、忍は絶対零度の視線を送る。
「ひゅ~こわ。
あのね。佐々木先生、芽衣のママだけどね、派閥の軍配は悪いみたい」
「は、はばつ?」
突然の不穏な言葉に、誠人は思わず聞き返した。
忍は視線だけを、ついと、芽衣と原のほうに送る。
「彼は、ずいぶん芽衣さんのことを気に入っているようですね」
「えぇ。彼が芽衣のお婿さん第一候補」
「え?」
誠人が頭ごと振り返ろうとしたのを、ぐいと忍に押し止められた。
不承不承、横目だけを送って……
「歳、離れすぎてません?」
と、小声で不服を漏らした。
「まぁ、ひと回り以上だからねぇ。
でも、悪い人じゃないわよ。むしろとってもジェントルマン。
外科部長の息子で、親子二代で佐々木総合病院に勤めてる。
けどねぇ……」
美咲は下唇を突き出して唸った。
「けど?」
「彼のパパが、芽衣のおじと仲悪いみたいなのよ」
「やはり弟がいましたか」
忍はそう言うと、顎をしゃくって続きを促す。
「佐々木総合病院の院長の子どもは、芽衣ママと、その弟。弟は事務長を勤めていて……」
聞き慣れない単語に顔をしかめる誠人に、美咲は説明を付け加える。
「事務長っていうのは、院長とスタッフのあいだに立つ重要な役割って思ってもらえばいいかしら。
いわゆる理事、お偉いさんの一人ね。で、二人とも違うシンパがいるのよ。
芽衣ママは女医として有能で、若手や看護師から尊敬されてる。だけど、剛直な女性ね。
弟は弟で、現場上がりでスタッフに気遣いができて、人当たりもいいから人望が厚い。
それぞれ時期院長に推すメンバーは違うのよね」
「……あの、急に昼ドラみたいなことになってませんか」
「あははは。面白いこと言うわね」
急な情報量にげんなりする誠人とは裏腹、美咲は凛とした声で快活に笑ってのけた。
「まあ、早々に現場から離れて幹部になった弟に、芽衣ママも、原パパもいい気がしていないのよ。
それで、ドクター原ジュニアと芽衣を結婚させて、現役医師で理事会を固めたいってところね」
まったく知らない世界の話に、目を白黒させる誠人の横で、忍は納得したように何度か小さく頷いた。
「なるほど。そんなところだと思っていました」
誠人は、一人で理解を進める忍に、恨めし気に視線を送る。
「つまり、後継者は芽衣さん一人ではないということです」
「あ……!」
病院事情はよくわからないが、忍の話だけは誠人にもわかった。
「だったら芽衣さんが誰と結婚したって、病院には影響ないじゃないですか」
思わず大きな声が出てしまって、慌てて手で口を塞ぐが、よく考えたら、周りの住人たちのほうがずっと声がでかく庭に響き渡っている。
そっと手を外して、誠人は続けた。
「そりゃあ、どっちが継ぐかによって、内情は違うのかもしれませんけど……。
けど、芽衣さん、もっと自由を謳歌していいんじゃないですか!」
「……果たしてそうでしょうか」
熱を帯びてきた誠人に対し、忍が冷静にストップをかける。
「え、なんでですか?」
忍は怪しまれないように気を配りながら、そっと翼と芽衣、原たちのほうに体の向きを変えた。
誠人と美咲もそれに倣う。
「医療関係者の結婚式に出たことはありますか?」
「いや、ないですけど」
「そうですか」
忍は言って、口を閉ざしてしまった。
代わりに美咲が話し始める。
「私も忍ちゃんも取引先として披露宴に出たことがあるんだけど、もう、完全なる縦社会。
スピーチは友達とかじゃなく、部長のものだし、堅苦しかった覚えがあるわ」
「そうなんですね……ん?」
誠人は、美咲と忍の顔を順に見た。そして、忍を指差す。
「美咲さんはわかりますけど、忍さんが取引先って?」
「あれ。それも教えてないの?
パートナーの扱い酷いんじゃない?」
忍はあからさまに視線を逸らした。
「忍ちゃんは、元同僚で、同じ大学の薬学部出身よ」
パチン、と頭の奥で何かが弾けた気がした。
今日一番の衝撃ニュースかもしれない。
「待って待って。マジで待って。
幼少期からイギリス育ちで帰国子女、それで薬学部卒メーカー勤務の美容師!?
あんた、人生何周したらそんなことできるだよ! ていうか何歳!?」
「輪廻転生の話ですか? 私としては人生一度切りだと思っていますが」
「ソウジャナイ!」
誠人は自分で自分の額をピシャリと叩いた。
「あははは! わかる~誠人くんの気持ちわかる~。でも歳は聞かないでね」
美咲は手を叩いて上体を反らした。
「この子ね。メーカーの研究室所属中に通信制で美容師の資格取ったの。
ま~まとめて通学しなきゃいけない期間があるとかで、繁忙期でもガッツリ有給取ってくれたけどね!」
「それは権利です。
言ったじゃないですか。人生一度切り。時は有限です」
真顔で言ってくれるが、誠人にとってそれは限られた人にしかできない所業である。
「だったらもう、この活動休止でお願いします」
誠人の投げやりなその言葉に、忍はバッと素早く振り返った。珍しく狼狽しているらしい。
「何が逆鱗に触れたのですか?」
「いやぁ……なんていうか……」
誠人はぐしゃりと頭を掻いた。
「生きてる次元が違うんですよ」
「なぜ? 私たちが生きているのは同じ次元ですよ」
(うん。これは通じない。世の中一パーセントの人間に、その他の有象無象の人間が何を言っても通じない)
「あのねぇ、忍ちゃん。
誰もがあなたみたいに、なんでも器用にできるわけじゃないし、神経も図太くないのよ」
「あ。美咲さんはわかってくれるんですね」
「わかるわよ。長年の付き合いだからね」
じっとりと湿度の高い目を細める美咲には、いろいろと思うところ……恨みつらみもあるのかもしれない。
誠人は「ハァ……」と小さくため息を漏らして、話を戻すことにした。
「で? 結婚式が格式ばってるってことはわかりましたけど?」
「結婚は家と家がするもの、というのはよく言われますよね。
佐々木さまは、家の格、または相手のステータスを気にすると思いますね」
「うわぁ、出た出た、旧式の考え……」
「コメントが雑になってきましたね」
「だって、お母さんの考えと、本人たちの恋愛とは関係ないじゃないですか」
「ふむ……」
忍はゆるりと拳を顎に当てた。何かを考えるときのいつもの仕草だ。
それを尻目に、翼と芽衣たちのほうに視線を送った。
芽衣は翼に腕を絡ませながら、住人たちとの談笑を楽しんでいるが、翼は完全にしゃちほこばって、ドリンクばかり飲んでいる。
誠人は漫然と眺めながら、胸の奥に鈍色の痛みを感じた。
ふいに、翼と目が合った。
翼は芽衣に声をかけ、腕からすり抜けてこちらへやって来る。
肩から力が抜けたのか、背中が丸まっていた。
三人に顔を突き合わせる頃には、翼の周りにはどんよりとした臭気が漂い始めていた。
「どうした?」
誠人が声をかけると、翼は組んだ指先をもぞもぞと動かした。
「なんか、すごいっすね。
病院の娘とか、色んな国の人が集まる家とか、生きてる世界が違い過ぎて……」
芝生に視線を落とし、ぽつりぽつりと紡がれる言葉の真意が、誠人にはわかる気がした。
「オレなんて、高卒で、ボロアパートと母親と二人暮らしで、ろくでもないことして。
やっぱ、オレじゃ釣り合わねえっすよ……」
誠人はそっとまぶたを落とした。
どんな言葉を掛けてやればいいのだろう。
「何言ってるのよ!」
明るく芯のある声が、誠人の耳を叩いた。目を開けると、あさひが腰に手を当てて頬を紅潮させていた。
「山本さん、卑屈になるのもいい加減にしてよね。
自分のことばかりで、芽衣ちゃんの幸せって考えたことある?」
「芽衣ちゃんの、幸せ?」
翼は目をぱちくりさせている。
「そうよ。芽衣ちゃんハッキリ言ってたじゃない。親の決めた人とは結婚しないって」
「……ていうか、いきなり結婚とか。母さんのことだってあるのに」
そりゃあ、十代の肩にいきなり圧し掛かるには重すぎる。
「そうね。君は、まだ若い」
美咲は、包み込むような凛とした声で言うと、ぽんと肩に手を乗せた。
「私も忍ちゃんも、ここにいるみんなも、自由気ままにやってるわ。忍ちゃんなんて自由すぎるくらい。
だから、あんまり思い悩まないで、まずは自分がどうしたいかを考えてみればいいんじゃない?」
「…………」
翼はゆっくりと顔を上げて、芽衣のほうを見つめた。
切なげに揺れる瞳に、誠人はぐっと口元に力を入れ、それからそっと口を開いた。
「忍さん……」
「はい」
「今回の依頼解決、少しだけ待ってください」
“依頼”という言葉に、あさひと翼が首を傾げる。
「というと?」
だが、気にせず忍は続ける。
「芽衣さんの卒業までです」
誠人は翼のほうに向き直ると、キッと睨め上げ、その胸に拳を当てた。
「それまでに、一人前になるぞ。俺も、お前も……!」
「……」
翼は大きく息を呑む。だが、真っ直ぐに見つめる誠人から、目を離すことはない。
数秒、数十秒、翼は時が止まったように固まっていたが、ゆっくりと頷いた。




