11-揺れるオレンジスイート
忍から『芽衣さんが家出したらしい』と連絡が入ったのと、翼から「芽衣ちゃんがうちのボロアパートに転がり込んでる」と聞かされたのは、ほぼ同時だった。
職場の男子トイレ前の壁にもたれ、誠人は頭を抱え込む。
「あのさ、お前のアパート、結構年季入ってるって言ってなかった?
女の子連れ込むとか、大丈夫なのかよ」
「オレも帰るよう説得してますよ」
翼はしゃがみ込んでしまい、長い腕を頭にかけていた。
「てか、芽衣さんもなんでそこまでするのかな……」
「母親と線を引きたいって」
「……」
誠人は、Garden Therapyに来店した恵に思いを巡らせる。
たしかに強烈だったし、こんな令和の時代に、ずいぶん旧式な考えを持つ人だとも感じた。
「なあ、芽衣さんって母親から逃げられるなら、マジでお前じゃなくて誰でも良かったんじゃないの?」
責めにならないように、誠人は囁くように問いかけた。口を真一文字に引き結んでから、もう一つ、続ける。
「お前、今までの芽衣さんの男運の悪さ聞いたことある?」
「……はい」
しんとした廊下に溶け込むような、か細い声が返ってきた。
意外に思って、誠人は目を見開く。
なあなあに流されているだけでなく、自ら誠意を見せようとしているではないか。
「オレでいいのかってことも、これまでの恋愛遍歴も。
なんかそれ聞いて、オレ、マジで悪いことしたなって……」
翼は両手で顔を覆った。
長身の男なのに、蹲った影はやけに小さい。
表情が見えなくても、どんな痛みを感じているのか、誠人にはわかるような気がした。
相手の背景を思わず、自分のエゴで動いてしまった後悔。
知ってしまった後に押し寄せる、どう果たせばいいかわからない責任感。
身動きの取れない、やるせなさ。
そう。反省しているのはわかる。
だが、だからこそ、誠人にはこの関係が、一つの単語に集約される気がしてならなかった。
「“共依存”」
「……?」
ボソリと呟いた誠人を、翼はぽかんとして仰ぎ見る。
「聞いたことないか。
いろんなパターンはあるけど……」
誠人は、どう説明しようかと逡巡したのち、ストレートな言い方を選んだ。
「お前たちの場合は、片方が過剰に依存して、もう片方がそれを受け入れてるっていうケースかな。
で、傷つけ合ったり、傷のなめ合いしたりして、ダメなほうに進んでいく関係」
「……尾花さんに言われると、何も言えないっす」
ぎゅっと膝を抱え直した姿を見るに、自覚はあるのかもしれない。
翼だって、片親で病気の母親を支えている。十代なのに心の拠り所がないのは芽衣と一緒なのだ。
「とりあえず忍さんには報告するからな」
翼が頷く前に、誠人は送信ボタンを押していた。
すぐにメッセージが返ってくる。
「ふっ……」
その内容に、誠人は思わず笑ってしまった。
「なんすか?」
何も言わずに、画面を見せた。
『山本氏の自宅はセキュリティが低くプライバシーの保護もないアパートなのでは? そんなところに女の子が居続けるのは危険です。すぐに対応しましょう』
「尾花さんと忍さんって、似てないようでソックリですよね」
「悪かったな、あんなイケメンじゃなくて」
そういうことじゃなくて…とぼやく翼をよそに、誠人は忍とのやり取りを続ける。
「お母さんには、ちゃんと就職のこととか話したのか?」
「はい。ちょっと話はごまかしましたけど……」
廊下のタイルに向かって、翼は答える。
「……」
そんな翼のつむじを、誠人は睨みつけた。その気配に気づいたのか、翼は口を割った。
「実は友達に借りたぶんがあるけど、知り合いの口利きで正社員になれたから、ちゃんと返していくって。今後の治療費も心配しなくて大丈夫だって」
「……まあ、妥当か」
「さすがにホントのことは言えないっすよ」
萎んでしまいそうなほど、深くか細いため息をつく翼を尻目に、誠人は廊下の先にある窓の外を見やった。
青空の下には、数えきれないほどのビルがひしめき合っていて、その中にはきっとたくさんの人が何かを背負って、歩いて、話して、手を動かしている。
当たり前に回っていく、時間の連鎖。
社会に出て、働いて、そのうち結婚して子どもを育てて……。
そんなよくあるストーリーラインの中には、人それぞれの事情や悩みがある。
最近は、本来の台本どおりに物事が進まない。関わらなくていいはずの出来事が次々にやってくる。
じりじりと、目頭に力が入る。視界が、狭くなってくる。
「なあ、一人前って、なんなんだろうな……」
誠人から、ぽつりとそんな考えが零れ落ちた。
「え?」
翼は小さく呟いた。
思考の渦におぼれかけたとき、誠人のスマホが震えてメッセージの受信を告げた。
『芽衣さんはしばらく美咲の家で保護します。連れてきてください』




