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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章後編】イランイランを厭う女たち
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10-蕾を紐解く推理

「へぇ。面白いことになっているじゃない」

 施術を受ける美咲に事の顛末を話したら、彼女は軽快にそう言ってのけた。

「悩める若者たちって感じで、甘酸っぱいわね~」

 肩をすくめて笑う美咲の頭を、忍が黙って押し戻す。

「あの、こっちは気が気じゃないんですけど」

「ハイティーンの恋愛でしょう。なるようにしかならないわよ」


 あっけらかんと言う美咲の、“ハイティーン”という表現が、妙に誠人の耳についた。

 忍の「yanks(アメリカのヤンキー)」というイギリスのスラング、ミミというニックネーム、昔馴染み。それに、美咲のややオーバーな仕草……。

 誠人の中で、パズルのピースがぴたりとハマった気がした。


「あの、二人って、イギリスの帰国子女ですよね?

 向こうで同じ学校だったとか?」

 ハサミと櫛を持った忍の手が、ピタリと止まった。

 美咲は「ひゅ~」と口笛を吹きならす。


「すごい。よくわかったわね! さすが忍ちゃんが見込んだだけあるわ」

 ケープの下でパチパチと手を叩く美咲に対し、忍は鏡越しにじっとりと湿った目を向けていた。

「いや、前から思ってましたけど、『yanks』って言ったときから。

 英国ミステリーを『邦題』って言ったり、タイトルって言ったら、それは忍さんにとって本家の英語版に当たるからですよね」

「…………」

 忍は押し黙って、ハサミをペン回しのようにくるくると回している。

「ははは。忍ちゃん怒ってる~」

「えぇ!? 俺、何か怒らせるようなこと言いました?」

「忍ちゃんって、イギリス帰りだって知られるの嫌がるのよ。別に隠すことでもないのにね~」

「いろいろと面倒くさいんです。ハーフなのか、本当に日本人なのか、とも聞かれますからね」

「どこからどう見てもアジアンの顔なのにね。美形は国境を超えるから」

「ミミ。斜めに切ってほしいようですね。それともアジアンらしく、前髪を下ろしましょうか」

「お~こわ」


 美咲はケープの中でハンズアップする。

 そういう仕草が、誠人に欧米仕込みを感じさせるのだ。

 それにしては……。


「忍さんは、クールというか、あまりオーバーアクションしないですよね」

 その言い方に、美咲は目を丸くし、

「あなた、本当によくわかってるみたいね」

 感心したように口を開けた。

「イギリス人だって日本人と比べたら騒がしいんだけど、日本人は紳士的なイメージ持ちすぎよね。そんなの古き良き映画の中のステレオタイプでしかないのに。

 私もどうしてもその癖が抜けないの。

 忍ちゃんは単に性格の問題よ。

 まあ日本人も抑えてるだけで、一杯ひっかけたら騒がしくなるのは、イギリス人より質が悪いかもね」

「ああ、姉が海外かぶれだったので。いろいろと土産話を聞かされました」

「そうなのね。じゃあ、忍ちゃんが日本で美容師になった理由も知ってる?」

「ミミ!」


 忍はとっさに声を荒らげる。

 その滅多にない反応に、誠人の中には、ソワソワした好奇心がうずいてきた。


「隠すことでもないのに~」

「どうでもいいことです」

「じゃあ、誠人くんに推理してもらいましょうよ」

 美咲はパチンと指を鳴らした。後ろで刃物を持った男が、刃先を中空でシャキシャキ鳴らしているというのに、この人はずいぶん肝が据わっている。

 誠人は、このまま続けていいのだろうか、と躊躇いつつも、なかなか明かされない忍の過去には興味があった。

 ソファに座りながら、自ずと体が前のめりになる。

 鏡越しに、美咲はニンマリといたずらっぽい笑みをたたえた。


「そうね。手がかりってことにしておきましょうか。

 手がかりその一。

 欧米は、日本と違って美容師は国家資格じゃない」

「資格の問題……」

 誠人は聞きもらさないように、小声で復唱する。

「手がかりその二。

 う~ん……」

 美咲は、人差し指を唇に当てた。何から話すか迷っているようだ。

「これがよさそうね。

 イギリスってね、地域や学校によるけど、服装指導を含めたマナーなんかのレクチャーがあるの」

「へぇ。そうなんですね」

 これは初耳だ。さすがに学校文化なんてローカルなものには、姉も触れる機会がなかったからだろう。

「どう? ここまででわかりそう?」

「え、ヒントってこれだけですか?」

 拍子抜けして、誠人は聞き返した。

「じゃあ、特別にもう一つ。

 手がかりその三。忍ちゃんっていうニックネーム、かな。ぐぇ」

 急に鳥が絞め殺されるような声が上がった。忍が髪を引っ張ったらしい。

「酷いわねぇ、日本の美容師のホスピタリティは世界ナンバーワンなんじゃないの?」

「髪をギシギシの黄色にしてほしくなかったら、そろそろ黙ってください」

「もう……」


 誠人は騒がしいやり取りを尻目に、出された三つの手がかりについて、思考を巡らせた。

 日本の美容師のスキルが高いことは、小耳に挟んだことがある。

 逆にいえば、イギリスは日本と比べて相対的にスキルが低いということだ。

 服装指導にマナー。美意識にうるさい忍なら、日本の美容師に憧れを抱くのも頷ける。

 だが、最後の「忍ちゃん」……。

 このニックネームの意図するところがわからない。


「俺から質問はいいですか?」

「答えられる範囲ならね」

「お二人は、何歳から何歳くらいまで現地にいたんですか?」

美咲は、「おお!」と顔をほころばせた。

「私は八歳から十八歳で日本の大学に入るまで。

 忍ちゃんは、もっと小さい頃からだったわよね。帰国したのは同じ時期よ」

「ということは、美咲さんのほうが小さい頃は日本の文化に長かったわけですね」

「そういうことになるわね」

 うんうん、と大きく頷いた。


 このローズオットー級の美形を持つ男が、幼い頃に「忍ちゃん」と呼ばれたとなると、理由は一つしかないのではないだろうか。


「あの……」

 誠人は鏡越しに忍を盗み見た。この先の仮定を口にするのは、少し怖い。

「えーっと、おそらくなんですが……忍さんって、小さい頃は、とても、可愛らしい子……だった…のでは?」

 つっかえつっかえそう言うと、忍は鼻からフンッと荒っぽい息を漏らした。

「もしかして、なんですが……」

「曖昧表現が続くわね。ハッキリ言っていいのよ」

 そうは言うが、忍に後で頭を角刈りにされないだろうか。いや、忍に限って角刈りはないが、ヘアアイロンの使い方をミッチリ叩き込まれるかもしれない。

 でも、もう答えはこれしかないだろう。なんというか、あまりにも子どもっぽい気はするが……。

「小さい頃の忍さんを女の子と間違えて、美咲さんが『忍ちゃん』と呼び始めた。なんで間違えたかというと、髪が長かったから。

 で、髪が長かったのは、現地の美容師がイヤで、日本に帰国するときしか髪を切らなかった。そのうえで、自分が美容師になると思った……とか?」

「…………」

「…………」

 二人は鏡越しではなく、体を捻って、まじまじと誠人を見つめた。

 誠人はごくりと喉を鳴らす。

 沈黙がいたたまれないので、早く答え合わせをしてほしい。


「Excellent!! よくわかったわね!」

「えぇぇ、まさか本当にそのとおりだったりします?」

「…………」

 大はしゃぎな美咲の反応に、誠人は脱力してしまう。忍は黙ってシャカシャカと薬剤を混ぜ始めた。

「もうね。忍ちゃんったら、そりゃあ小さい頃は妖精のように可愛かったのよぉ。

 髪も天然でゆるいウェーブが掛かってるから、振り向くとふわぁっとしてね!

 何回も一緒に髪の毛結いっこしたもんね~」

「ミミ……」

 陶磁器のように整った顔は辛うじて保っているが、「もう止めてくれ」とありありと書かれていた。

「……なんか、当時の忍さんの写真、見たいかも」

「あるわよ! あとでスマホに送ってあげる!」

「ミミ!」

「いいじゃない。二人ともとっても可愛かったのよ。

 忍ちゃんはユニセックスなキューティーボーイ。私はアジアンビューティーガールって感じで」

「はぁ、もう……」

 いつもオーラで圧倒されてしまう忍が困り果てている。そんな姿に、誠人はしのび笑いを漏らした。

 忍はバツが悪そうに咳払いをした。

「服装指導があるにもかかわらず、理髪師のスキルが低いのは理解に苦しみます」

 あくまで淡々とではあるが、誠人には苦しまぎれの言い訳のように聞こえた。

「だからって、子どもの頃から美意識の高すぎじゃ……」

「あなたは気を遣わなすぎです」

「平均的な日本人男子なんてこんなもんですよ」

「嘆かわしい」

 お決まりのセリフも、いまに限っては恥ずかしさを隠しているように聞こえる。


「忍さんも、俺がアロマ男子バレするの嫌だって気持ちが、ちょっとはわかったんじゃないですか?」

「…………」

 美咲の髪にカラー剤を塗りながら、忍は目顔で答えた。「わかった」と。

 誠人は胸がすくような心地で、ソファにどっかりと座り直した。


 忍は、ふぅ~と深くため息を吐き、一度ゆっくりと目を閉じると、

「それで美咲に、調べてもらいたいことがあります。佐々木総合病院について」

 いつものテノールボイスで、そう言った。

「…………」

 美咲は楽しそうに、頬をほころばせた。


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