10-蕾を紐解く推理
「へぇ。面白いことになっているじゃない」
施術を受ける美咲に事の顛末を話したら、彼女は軽快にそう言ってのけた。
「悩める若者たちって感じで、甘酸っぱいわね~」
肩をすくめて笑う美咲の頭を、忍が黙って押し戻す。
「あの、こっちは気が気じゃないんですけど」
「ハイティーンの恋愛でしょう。なるようにしかならないわよ」
あっけらかんと言う美咲の、“ハイティーン”という表現が、妙に誠人の耳についた。
忍の「yanks」というイギリスのスラング、ミミというニックネーム、昔馴染み。それに、美咲のややオーバーな仕草……。
誠人の中で、パズルのピースがぴたりとハマった気がした。
「あの、二人って、イギリスの帰国子女ですよね?
向こうで同じ学校だったとか?」
ハサミと櫛を持った忍の手が、ピタリと止まった。
美咲は「ひゅ~」と口笛を吹きならす。
「すごい。よくわかったわね! さすが忍ちゃんが見込んだだけあるわ」
ケープの下でパチパチと手を叩く美咲に対し、忍は鏡越しにじっとりと湿った目を向けていた。
「いや、前から思ってましたけど、『yanks』って言ったときから。
英国ミステリーを『邦題』って言ったり、タイトルって言ったら、それは忍さんにとって本家の英語版に当たるからですよね」
「…………」
忍は押し黙って、ハサミをペン回しのようにくるくると回している。
「ははは。忍ちゃん怒ってる~」
「えぇ!? 俺、何か怒らせるようなこと言いました?」
「忍ちゃんって、イギリス帰りだって知られるの嫌がるのよ。別に隠すことでもないのにね~」
「いろいろと面倒くさいんです。ハーフなのか、本当に日本人なのか、とも聞かれますからね」
「どこからどう見てもアジアンの顔なのにね。美形は国境を超えるから」
「ミミ。斜めに切ってほしいようですね。それともアジアンらしく、前髪を下ろしましょうか」
「お~こわ」
美咲はケープの中でハンズアップする。
そういう仕草が、誠人に欧米仕込みを感じさせるのだ。
それにしては……。
「忍さんは、クールというか、あまりオーバーアクションしないですよね」
その言い方に、美咲は目を丸くし、
「あなた、本当によくわかってるみたいね」
感心したように口を開けた。
「イギリス人だって日本人と比べたら騒がしいんだけど、日本人は紳士的なイメージ持ちすぎよね。そんなの古き良き映画の中のステレオタイプでしかないのに。
私もどうしてもその癖が抜けないの。
忍ちゃんは単に性格の問題よ。
まあ日本人も抑えてるだけで、一杯ひっかけたら騒がしくなるのは、イギリス人より質が悪いかもね」
「ああ、姉が海外かぶれだったので。いろいろと土産話を聞かされました」
「そうなのね。じゃあ、忍ちゃんが日本で美容師になった理由も知ってる?」
「ミミ!」
忍はとっさに声を荒らげる。
その滅多にない反応に、誠人の中には、ソワソワした好奇心がうずいてきた。
「隠すことでもないのに~」
「どうでもいいことです」
「じゃあ、誠人くんに推理してもらいましょうよ」
美咲はパチンと指を鳴らした。後ろで刃物を持った男が、刃先を中空でシャキシャキ鳴らしているというのに、この人はずいぶん肝が据わっている。
誠人は、このまま続けていいのだろうか、と躊躇いつつも、なかなか明かされない忍の過去には興味があった。
ソファに座りながら、自ずと体が前のめりになる。
鏡越しに、美咲はニンマリといたずらっぽい笑みをたたえた。
「そうね。手がかりってことにしておきましょうか。
手がかりその一。
欧米は、日本と違って美容師は国家資格じゃない」
「資格の問題……」
誠人は聞きもらさないように、小声で復唱する。
「手がかりその二。
う~ん……」
美咲は、人差し指を唇に当てた。何から話すか迷っているようだ。
「これがよさそうね。
イギリスってね、地域や学校によるけど、服装指導を含めたマナーなんかのレクチャーがあるの」
「へぇ。そうなんですね」
これは初耳だ。さすがに学校文化なんてローカルなものには、姉も触れる機会がなかったからだろう。
「どう? ここまででわかりそう?」
「え、ヒントってこれだけですか?」
拍子抜けして、誠人は聞き返した。
「じゃあ、特別にもう一つ。
手がかりその三。忍ちゃんっていうニックネーム、かな。ぐぇ」
急に鳥が絞め殺されるような声が上がった。忍が髪を引っ張ったらしい。
「酷いわねぇ、日本の美容師のホスピタリティは世界ナンバーワンなんじゃないの?」
「髪をギシギシの黄色にしてほしくなかったら、そろそろ黙ってください」
「もう……」
誠人は騒がしいやり取りを尻目に、出された三つの手がかりについて、思考を巡らせた。
日本の美容師のスキルが高いことは、小耳に挟んだことがある。
逆にいえば、イギリスは日本と比べて相対的にスキルが低いということだ。
服装指導にマナー。美意識にうるさい忍なら、日本の美容師に憧れを抱くのも頷ける。
だが、最後の「忍ちゃん」……。
このニックネームの意図するところがわからない。
「俺から質問はいいですか?」
「答えられる範囲ならね」
「お二人は、何歳から何歳くらいまで現地にいたんですか?」
美咲は、「おお!」と顔をほころばせた。
「私は八歳から十八歳で日本の大学に入るまで。
忍ちゃんは、もっと小さい頃からだったわよね。帰国したのは同じ時期よ」
「ということは、美咲さんのほうが小さい頃は日本の文化に長かったわけですね」
「そういうことになるわね」
うんうん、と大きく頷いた。
このローズオットー級の美形を持つ男が、幼い頃に「忍ちゃん」と呼ばれたとなると、理由は一つしかないのではないだろうか。
「あの……」
誠人は鏡越しに忍を盗み見た。この先の仮定を口にするのは、少し怖い。
「えーっと、おそらくなんですが……忍さんって、小さい頃は、とても、可愛らしい子……だった…のでは?」
つっかえつっかえそう言うと、忍は鼻からフンッと荒っぽい息を漏らした。
「もしかして、なんですが……」
「曖昧表現が続くわね。ハッキリ言っていいのよ」
そうは言うが、忍に後で頭を角刈りにされないだろうか。いや、忍に限って角刈りはないが、ヘアアイロンの使い方をミッチリ叩き込まれるかもしれない。
でも、もう答えはこれしかないだろう。なんというか、あまりにも子どもっぽい気はするが……。
「小さい頃の忍さんを女の子と間違えて、美咲さんが『忍ちゃん』と呼び始めた。なんで間違えたかというと、髪が長かったから。
で、髪が長かったのは、現地の美容師がイヤで、日本に帰国するときしか髪を切らなかった。そのうえで、自分が美容師になると思った……とか?」
「…………」
「…………」
二人は鏡越しではなく、体を捻って、まじまじと誠人を見つめた。
誠人はごくりと喉を鳴らす。
沈黙がいたたまれないので、早く答え合わせをしてほしい。
「Excellent!! よくわかったわね!」
「えぇぇ、まさか本当にそのとおりだったりします?」
「…………」
大はしゃぎな美咲の反応に、誠人は脱力してしまう。忍は黙ってシャカシャカと薬剤を混ぜ始めた。
「もうね。忍ちゃんったら、そりゃあ小さい頃は妖精のように可愛かったのよぉ。
髪も天然でゆるいウェーブが掛かってるから、振り向くとふわぁっとしてね!
何回も一緒に髪の毛結いっこしたもんね~」
「ミミ……」
陶磁器のように整った顔は辛うじて保っているが、「もう止めてくれ」とありありと書かれていた。
「……なんか、当時の忍さんの写真、見たいかも」
「あるわよ! あとでスマホに送ってあげる!」
「ミミ!」
「いいじゃない。二人ともとっても可愛かったのよ。
忍ちゃんはユニセックスなキューティーボーイ。私はアジアンビューティーガールって感じで」
「はぁ、もう……」
いつもオーラで圧倒されてしまう忍が困り果てている。そんな姿に、誠人はしのび笑いを漏らした。
忍はバツが悪そうに咳払いをした。
「服装指導があるにもかかわらず、理髪師のスキルが低いのは理解に苦しみます」
あくまで淡々とではあるが、誠人には苦しまぎれの言い訳のように聞こえた。
「だからって、子どもの頃から美意識の高すぎじゃ……」
「あなたは気を遣わなすぎです」
「平均的な日本人男子なんてこんなもんですよ」
「嘆かわしい」
お決まりのセリフも、いまに限っては恥ずかしさを隠しているように聞こえる。
「忍さんも、俺がアロマ男子バレするの嫌だって気持ちが、ちょっとはわかったんじゃないですか?」
「…………」
美咲の髪にカラー剤を塗りながら、忍は目顔で答えた。「わかった」と。
誠人は胸がすくような心地で、ソファにどっかりと座り直した。
忍は、ふぅ~と深くため息を吐き、一度ゆっくりと目を閉じると、
「それで美咲に、調べてもらいたいことがあります。佐々木総合病院について」
いつものテノールボイスで、そう言った。
「…………」
美咲は楽しそうに、頬をほころばせた。




