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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章後編】イランイランを厭う女たち
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9-海にたゆたうマンダリン

 腕を組みながら出て行く翼と芽衣を見送ったあと、あさひだけは残って、ソファにちょこんと座っていた。

 しばらく名残惜しそうに扉を見つめていたが、やがてぐるりとサロン内を見回した。

 おもむろに、口を開く。

「尾花さんがこんな活動してるなんて、意外でした」

 色のないドライフラワーの中に溶け込んだ声には、どこかスッキリとしていた。

 心の中で、整理がついたのかもしれない。


「会社の人には内緒にしてね」

 誠人は眉根を下げ、困ったように苦笑する。

「え。カッコいいじゃないですか」

 驚いたように身を乗り出す。

「……アロマ男子なんて、引かない?」

「そんなことないです。ひとの気持ちをズバズバ当てちゃって、占いみたいでびっくりしました。なんで隠すんですか?」

「それは…昔からの癖というか……」


 香りに他者を当てはめて見てしまうなんて、言われた本人からしたら、気持ち悪くないのだろうか。

 しどろもどろに言い淀む誠人に、あさひは心から不思議だと言わんばかりに首を傾げた。


「まあ、ちょっと恥ずかしい昔話だけど……」

 そう前置きして、誠人は中学時代にクラスメイトにからかわれた話を持ち出した。


 それを聞いたあさひは、

「ぷっ」

と小さく吹き出した。


「ほら笑った。だから話したくなかったんだよ」

「すみません。やだ、尾花さん、顔真っ赤ですよ」

 キラキラと眩しくまつ毛を揺らすあさひから、誠人は思わず顔を背けた。

 あさひは、改めてドライフラワーの海を眺めたあと、ふーっと呼吸を吐き出し、笑みを収めた。

「……で。尾花さんの香り診断としては、山本さんはオッケーだったから採用したんですね」

 声音もにわかに真剣なものになるが、視線はあいかわらず海の中を漂ったままだ。

 誠人は、スッと背筋を伸ばす。

「……うん。なんだかんだ、香りは嘘をつかないからね。

 山本はまだガキ。やったことは、正直許されることじゃないけど、穏便に済ませて、お母さんの治療費をなんとかさせるには、これしかないかなって」

「そっかぁ……」

 あさひは「うーん」と唸りながら、思考を巡らせている。

「感情的には、まだ折り合いがつきません。ぜんっぜんつきません。

けど、芽衣ちゃんがしっかりしようと頑張ってくれるなら、それはいいことなのかな…っても、思います」

 誠人は、体が膨らむほど大きく息を呑んだ。

「ん~でも、正直な気持ち言うと、山本さんじゃなくてもいいじゃんって」

「うん。それは俺も思う」

 あさひの葛藤に、誠人は即同意した。


「――本人も目を背けたかったのかもしれませんよ」

 そんな二人のあいだに、テノールボイスが割って入った。あさひはふっと顔を上げる。


 忍が、淹れたてのコーヒーをトレイに乗せて立っていた。

 今さら忍の存在を認識したのか、あさひは「うわ、イケメン」と呟いた。

 話し合いの最中は緊張感に包まれていたから、それどころではなかったのかもしれない。


 あさひは、ぺこりと会釈をして、カップを両手で手に取った。


「芽衣さん自身、山本氏に対しては恋愛感情ではなく、まだ熱に浮かされるだけかもしれません」

「そう…ですよね。

 それに、結婚の話とかぜんぜん知りませんでした。

 ……なんか秘密があったってことも、ショックだなぁ」

「……」

忍は黙って、とつとつと零れるあさひの言葉を受け止める。


「芽衣ちゃん、逃げたいのかも。

 あ、逃げって言っちゃダメか。自立したいってことですもんね。

 はぁ~私なんて、大学二年のときなんて、まだ何も考えてなかったなぁ」

「それが一般的ではないでしょうか」

 忍もカップを口に運ぶ。

「そんなもんですよね。芽衣ちゃんの家って、やっぱり特殊だから、私と芽衣ちゃんは仲良くても、家のことなんて何も知らないんですよね」

「そうなんですね」


 適度な相槌に、あさひの言葉も熱を帯びてくる。


「そんな家なら逃避行しちゃえばいいのよ」

 誠人は思わずくすりと笑みをこぼした。

「けど、あの二人が付き合い続けるなら、お母さんが大騒ぎだよなぁ」

 先日の佐々木恵を思い出して、誠人は頭が痛くなる気がした。

「ですよねぇ」

 軽口を交わす二人に、忍はゆるりと握った拳を顎に当てた。

「……ふっ」

 そして、口角を吊り上げる。上質な薔薇を思わせる意味深な微笑みに、誠人もあさひも、吸い寄せられるように息を呑んで言葉を失った。


 「誠人くんには折り入って話があります」と、忍があさひを送り出したあと、誠人はふてくされたようにぐったりとソファで寝そべった。

 誠人だって帰りたかった。

 尾行に調香に、なによりもあさひへのアロマ男子バレ。今日一日でいろいろあって疲れたというのに……。

 向かいにどっしりと座りながら、忍は氷のような冷たい半眼で睨めつけている。


「……で、ホームズさん」

 呻くような誠人の声に、

「なんですか、ポアロさん」

と、忍は軽く返した。

「いえ。ポアロはそんなだらしない恰好はしませんね。彼は美意識に長けた紳士です」

「だったら、忍さんがホームズもポアロもやればいいじゃないですか」

 誠人は口の中でチッと舌打ちし、言い返しながら、のそりと起き上がった。


 飲み頃を過ぎて酸っぱくなったコーヒーをすすると、膝で頬杖を突きながら、翼と芽衣、そしてあさひが出て行った扉を見つめた。

「佐々木さまの相談、どうすりゃいいんでしょうね……?」

「見事に、相談者の悩みの種を増やしてくれましたね」

「スミマセンね!」

 忍の言葉に、誠人は投げやりに背もたれにもたれかかった。


「……佐々木さまの意向に沿うなら、そして社会的正義としては、山本氏を引き離すことが正しいでしょう。

 ですが、あさひさんの言うように、芽衣さんの心の成長に、彼が起因していることも事実だと、私も捉えています」

 誠人としても同意見だったので、黙って頷き、カップを口へ運ぶ。

「それもそうですね。

 というか、結婚なんて出されると一足飛びな感じですけど、付き合ってみて初めてわかるというか、付き合ってみないとわからないこともありますよね」

「ほう。経験があるようですね」

「ブッ――!」

 口に含んだコーヒーが、テーブル越しに忍に直撃した。

 ウォールナットの天板にも点々と染みが散っている。

 底抜けに冷たい視線が、誠人を射貫いた。琥珀色の瞳が真っ暗だ。

「し、忍さんが変なこと言うから!」

 オタオタする誠人を無視して、忍は静かにお手拭きで拭いていく。

「忍さんこそどうなんですか? こないだの美咲さんとか、すごくカッコいい女性ですよね!」

 少し反論してやろうと思って口に出したところで、今度はピシリと固まった。

「ミミが……」

 今までにないほどに、表情筋が、いや全身が強張っている。

「ミミ?」

「失礼。彼女のニックネームです」

 それを聞いて、誠人はにんまりと口角を上げた。

「へぇ~ニックネームで呼び合うほどの仲なんですね~仕事だけだとそうはなりませんよねぇ」

「ハァ……」

 忍はうんざりといった様子で短く息を吐き捨てた。

「彼女は…いわゆる昔馴染というところでしょうか。ただ、あなたが勘繰るような関係ではありません。えぇ、決して――」

 “決して”に、えらく力が籠っている。このローズオットー級の美形が頑なになる相手に、誠人は妙に興味が湧いた。

「今度、美咲さんにいろいろ聞かせてもらお~」

 ケラケラと笑ってみせる誠人に、忍は湿った目線で一瞥をくれた。本当に嫌がっているらしい。

「まあいいでしょう。

 さて。佐々木母娘の件ですが……」

「……」

「たしか佐々木さまには、弟がいたはずです。

 なので、その美咲に、ちょっと手伝ってもらいましょう」

「……はい?」


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