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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章前編】イランイランを厭う女たち
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7-変わりゆく調香レシピ

「ですから、前触れなくやって来るのは控えていただけませんか」

 隠れ家ソファにドリンクを出しながら、忍は小言を漏らした。

「いつも前触れなく連絡してくるのは忍さんのほうじゃん」


 さて。メンバーに忍が加わったわけだが、相変わらず翼も芽衣も、いたたまれなさそうだ。浅くソファに座っていた。

 広いソファには三人横並びになってもゆとりがあるものの、翼とあさひに囲まれた芽衣は、ひと際小さくなっている。

 誠人は一人、スタッフルームに向かった。


 それがきっかけとなったのか、芽衣が忍に話し出した。


「翼くんから聞きました。忍さんとスタッフさんが、翼くんのこといろいろ調べたって。

 私は、別にそんなこと気にしてなかったのに」

「……」

 翼は伏せていた顔を、さらに深く沈める。


「それは、芽衣さんは大学を卒業したら結婚すると決まっているからですか?」

 忍は単刀直入に尋ねると、翼は知らなかったのか、「え?」と喉の奥で呟いた。

 あさひも目を丸くして俯き加減の芽衣の様子をうかがっている。

 芽衣の顔が、いままでの幼い様子とは一変し、嘲笑するように、唇の片端を歪めた。


「知ってたんですね。ママの髪、きれいになってたから、忍さんのところ行ったんだなぁとは思ってたんですけど……」

「先日、初めてお聞きしました」

 忍は事もなげに告げて、コーヒーカップに口をつける。


「でも私、ママの選んだ人とは結婚しません」

「……そうですか」

 忍が相槌を打つと、みんな、次の言葉を失ってしまった。

 ドライフラワーで囲まれた秘密基地に、沈黙が下りる。


 その空間に、カチャリカチャリと、小瓶がぶつかる音が差し込んだ。

 誠人が、トレイにアロマの小瓶をセットして持って来たのだ。


「ねえ、芽衣さん……」

 床に膝をついて誠人が声をかけると、芽衣はゆっくりと顔を上げた。

「さっき、前に作ったブレンドは好きじゃないって言ったよね。

 アロマのことあまり知らないってことだったけど、そのときの気持ちや感情に、すごく反応するって聞いたことない?」

「なんとなく……でもそれって、リラックスしたいとか、そういうのなんじゃ……」

 誠人はゆるゆると首を振った。


「アロマテラピーのオイルと、香りを真似した芳香剤や香水の大きな違いは、その成分なんだ。

 天然の植物から抽出されたものを精油やエッセンシャルオイルといって、それぞれのオイルに特有の有効成分が入っているから、心身に影響するといわれているんだ。

 歴史的に見ても長く愛用されてきたし、海外では薬として使われることもあるんだよ」


 話の意図がわからないのだろう。芽衣は困惑した顔のまま、誠人から目を離さなかった。


「ほら、頭痛薬でも、体質によってよく効くのと、なかなか効かないのってあるよね。そういう感じかな。

 リラックス効果があるといわれる精油でも、感じ方はその人の嗜好もあるけど、そのときの気分や体調にも左右されるんだよ。

 要は、香水はただ香りを楽しむものだけど、アロマは薬と一緒で、体に作用する成分が入っているってこと」


 長く続く講釈に、芽衣は焦れているのか、口をヘの字に曲げた。


「君がイヤだなって思ったのは、この香りなんじゃないかな」

 ムエットを差し出す。

 芽衣は鼻に近づけ、その瞬間パッと離した。

「……」

「やっぱり」

 そう言って、誠人は微笑んだ。

「どういうことですか?」

 芽衣の問いに、先を続ける。

「イランイラン。好き嫌いが分かれるんだ。

 恋を盛り上げるためには、とても有効なんだけどね、いまの君は……」

 誠人はそこで言葉を切った。


 翼は膝の上でぎゅっと拳を握って、固唾を呑んで見守った。

 前にすべて誠人に暴かれたからこそ、誠人の言には真実味があるのを知っているのだろう。

 誠人は、持って来た小瓶をいくつか、取っては戻し、取っては戻しをして、一つの精油をムエットに落とした。

「たとえば、こういうのはどうかな?」

「……こっちのほうが、いいかな」

 差し出したのは、ジュニパーベリー。スッキリとしつつ、地に足のついた香りだ。


 だけど、芽衣にはしっくり来ていない。

 もしかしたら、好きな方向性が違うのかもしれない。


 そのあともいくつか香りを試してみたが、どうにもピタリとハマるものがないようだ。

 それでも、気分が落ち着いてきたのが見て取れる。

 これが純度百パーセントの精油が持つ力だ。


「甘い香りのほうが好き?」

「……そうかもしれません」


 誠人は目を瞑って、しばし脳内図鑑をゆっくりと捲りつつ、付箋を貼っていった。


 (スッキリしつつ、甘い香り。ブレンドしたほうがいいのかもしれない)


誠人はムエットに、思い切って「ペパーミント」を前回のゼラニウムとレモンに混ぜて落とした。


「これ、試してみようか」


 ムエットを鼻に近づけた瞬間、ぱあっと、芽衣の顔が気色ばみ、明るくなった。

 驚いたように、誠人に視線を送る。

 翼も気になったのか、芽衣の手にあるムエットに顔を近づける。そのあと、あさひもムエットを手に取って鼻に近づけた。


 【本日の調香:ゼラニウム、レモン、ペパーミント】

 女性らしさのある柔らかなゼラニウム、フレッシュな明るいレモンが中和する、強くスッとしたペパーミント。


 そこから導き出されるのは――


「ペパーミントって、歯磨き粉みたいな印象を持たれがちなんだけど、ちゃんと精油同士でブレンドすると、いい香りになるんだ。

 この香り、自立したい女性にはぴったりだ」


 そう。芽衣は、変わろうとしている――


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