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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章前編】イランイランを厭う女たち
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6-花びら二枚目めくられて

「どうしてこうなった……」を、誠人は昨日の仕事帰りから千回以上、心の中で繰り返していた。


 仕事終わりの翼に声を掛けたところ、

「実は、明日芽衣ちゃんとデートで……」

とひそひそ声で聞かされ、グーパンしたくなった。

 こらえたのは、よくやったと思う。社会人二年目にして、パワハラ先輩にはなりたくない。


 そのことで忍に連絡を入れたら、自分も出向くと申し出てきて誠人は却下した。

 デート場所は天下の原宿、竹下通り。

 道を歩けば人が避ける、そんなローズオットー級の美貌を持つ御仁が歩いたら、芸能人かなにかと間違われて尾行も何もできないではないか。


「1人で竹下通りとか、さもしすぎる……」

 亀のごときノロノロとした進み、何度も人と肩がぶつかりながら、誠人は翼と芽衣を見失わないよう後を追った。


 二人が入ったお店が、脇道にあるカジュアルなカフェだったのは安心した。一人でカップル向けのお店はメンタル的にきつい。

 帽子のツバを深く下ろし、近づきすぎないよう席を取る。


「見て。バイト先の制服、似合ってるでしょ?」

「へぇ。やっぱり芽衣ちゃんは何着ても可愛いな。すごい似合ってる」

 芽衣は高い声を上げながら、スマホ画面を翼に、当の翼も鼻の下を伸ばしている。


 (おい。別れる気ないのかよ)


「えへへ。覚えることが多くて大変なんだけど、でも楽しい!

 翼くんは新しい仕事どう?」

「あーしごかれてるよ」

 翼は苦笑して返した。きっと脳裏にはあさひのことが浮かんでいるのだろう。

「……やっぱり社会人って、大変だよねえ」

 芽衣はふっと笑みを引っ込め、視線を揺らしながら、ストローを咥えた。

「芽衣ちゃんはまだ二年生だろ。考えるの早いんじゃない?」

「でも、翼くんも同い年で働いてるでしょ」

「……俺の場合は、まあ」

 言い淀み、翼もドリンクを啜った。

 二人の間ににわかに沈黙が下りる。


 誠人はテーブルに頬杖をついた。

 渋谷で二人と対面したときと、ずいぶん雰囲気が違う。

 メロドラマみたいなバカップルぶりを見せつけることもなく、お互いにどこか気づまりというか、話しづらそうな雰囲気が漂っている。


 誠人から見て、変化が大きいのは芽衣のほうだ。

 翼は戸惑いつつも芽衣の好意を受け止めているといった具合だが、芽衣から発せられた「社会人」という言葉には、重みを感じた。


 恵の「卒業したら専業主婦」という言葉とは、どうしたってかみ合わない。

 渦のような疑念が生じてくる。勝手な憶測ならいくらでもできる。だが、事実はわからない。

 

 カップの結露を、紙ナプキンで拭いているときだった。

「あれ。尾花さんですか?」

 じゅわっと明るい果実のような声で、思考の海から引き上げられた。と、同時に、頭の奥で危険信号が点滅する。

「ば、板野さん……」

「こんなところで一人なんて珍しいですね。待ち合わせですか?」

 ここのところ職場では見せてくれなくなった、生来の眩しさで微笑みかけてくれる。


 嬉しい。素直に嬉しいが、いまはそれどこではない。


「あ、ちょっとこの辺に用事があって、休んでたところ。

 板野さんは?」

「表参道の美容院に行って、その帰りです」


 ああ、どおりで。髪が天使の輪のように輝いている。いや、いまはそんな呑気なことを考えている場合ではない。


「相席いいですか?」

と座ろうとするのに対し、

「あ、あのさ。この辺くわしい? ちょっと小腹が空いちゃってさ、ほかのお店あったら一緒に行かない?」

 誠人は慌てて立ち上がった。


 その瞬間、ガタン! と店内に音を響かせて、椅子が倒れた。

 店内の視線が、一斉に誠人に集まる。

 もちろん、芽衣も、翼もこっちを向いている。

 

 (やってしまった……)


 芽衣は素直に驚いたようで、目を丸くしている。

 翼はというと、顔面蒼白で、金魚のように口をパクパクさせながらあさひを凝視していた。


 店内の注目はすぐに霧散したが、あさひだけは目くじらを立て、周囲にまとう温度もどんどん上がっていっている。

 誠人の静止も待たず、ツカツカと二人のテーブルに進んでいく。


「山本さん!」

 ドンッと天板を叩く。

「は、はい!」

「なんで芽衣ちゃんと一緒にいるの!」


 (うわぁ。修羅場の始まりだぁ)


 誠人は帽子を脱ぎ捨て、ぐしゃぐしゃと頭を掻いた。



「芽衣は別れる気、ないもん」

 怒られた子犬のように、芽衣は縮こまってしまった。一人称が“芽衣”に変わっている。

 あさひはあさひで、母親が子どもの悪戯を叱るようなモードだ。

 翼も萎縮してしまい、二股をかけていたときの手練れ感も、迫力も一切ない。丸裸にされた少年そのもの。

 なぜか同席させられた誠人まで、アイスレモンティーの氷が音を立てるのを見守るしかなかった。身の置き場がない。


「翼くんだけだもん」

「何が?」

「翼くんだけが、ちゃんと芽衣にホントのこと自分で話してくれたもん。

 いままで、そんな人いなかった。いつも勝手に引き離されて、芽衣と向き合ってくれた人いなかった。

 だから、いまは翼くん、芽衣のこと好きじゃないかもしれないけど、好きになってもらえるように頑張ろうって思ったんだもん」

 俯いてしまった芽衣に、翼は横目で様子をうかがった。誠人も少しだけ顔を上げる。


「何言ってるの。頑張って更生しなきゃいけないのは、山本さんのほうでしょ」

 ビシッと指差され、翼はまたビクリと全身を震わせた。


「してるじゃん! 翼くん、いま一生懸命働いてるじゃん!」

 かばおうとしたのか、芽衣は机に手をついて声を立てる。


 また店内の視線が一瞬こちらに集まった。

「ま、まあまあ、板野さんも芽衣さんも落ち着いて」

 誠人が両手を前に出して、制御にかかる。


 (こんなおしゃれなカフェで話し合うことじゃないよな…)


 心の中で周りに詫びながら、誠人は早くこの時間が終われと祈った。

 芽衣は怒り心頭のあさひを前に、たどたどしい言葉しか出てきていない。このままでは、平行線のまま時間が過ぎていくだけだ。


 芽衣は膝に置いたポシェットをぎゅっと握りしめた。

 その鞄は、どこかチープな合革製で、ブランドものではなかった。


「……私は、ちゃんと好きな人と同じ目線で頑張りたいの」


 ふいに、誠人の鼻腔の奥が反応した。

 あの、アンバランスな香りがしない。

 そこにいるのは、実直でひたむきな女の子だ。


 誠人は自分のボディバッグを開く。

 時間があれば読もうと思って入れていた成分表と、手書きラベルの貼られたバームが数種。その一つの蓋を開け、芽衣に渡した。


 不思議そうに見つめるあさひの視線が痛い。


「この香り、どう思う?」

 芽衣はスンッと鼻を鳴らした。


「あれ。これ……」

 そう。芽衣がGarden Therapyに来店したときに調香した、アンバランスな恋のレシピ。


「なんだろう、あんまり好きじゃないかも」

 その言葉に、誠人は唇に指を当てた。


 (どうしようか。ここから連れて行けるアロマショップはある)


 唇に指を当てて考え込んだ。

 いまの本心を推し量るには、アロマを試してもらうのが、誠人にとってベストな選択だ。表参道まで歩けばアロマショップは点在している。

 それでも……。


 誠人は、訝し気に食い入るあさひを横目で捉え、胸の中でため息を押し殺した。

 

「山本、芽衣さん、このあとGarden Therapyに来れる?」

 二人は困惑したように誠人を見てから、お互いの様子をうかがった。

「尾花さん、ガーデンセラピーって?」

 あさひが聞いてくる。


 (そりゃあ、聞いてくるよなぁ)


「ごめん。いまはちょっと。ただ、二人のことをよく知ってる大人の人がいるんだ」

「……私は行っちゃいけないんですか?

 私だって芽衣ちゃんのことは、昔から知ってます」

 あさひの主張はもっともだ。妹のように可愛がっているのだから、放っておけないだろう。

「…………」

「尾花さん!」


 アロマが趣味で副業調香師をしているなんて、やはり知られたくはない。

 そこはどうしても踏み越えてほしくない一線だった。


 だが、あさひの顔は「納得いかない」と如実に物語っている。


 はらり。と、心の中で何かが一枚捲られる気がした。


「うん。板野さんも一緒に行こう」

 安心したように、あさひの顔がほころんだ。

「ほら、山本、行くぞ」

「は、はい!」

 忠犬のごとき翼の返事。おそるおそるといった具合に、芽衣の手を引いて、ちゃんと誠人のあとをついてきた。


 (本当に、どうしてこうなってしまったかなぁ)


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