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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第3章前編】イランイランを厭う女たち
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2-複雑怪奇なアロマの行方

「尾花さんって、なんであの美容院でバイトしてるんすか?」

 午前の業務が一区切りつき、誠人と共に牛丼屋に入った翼はそう問いかけた。

「なんでって……なりゆき?」

 牛丼をかき込みながら、誠人は短く答える。

「え~羨ましい。俺ももっと稼ぎたいっす」

 別に稼ぎたくてやっているわけではない。本当になりゆきなのだ。

「ちゃんとした言葉遣いができるようになったら、新規営業のチームに打診してやるから。そっちのほうがインセンティブは多いし、たぶん向いてるよ」


 恋愛上手は営業もうまいといわれる。翼の場合は、若干の不安要素はあるものの、相手の懐に飛び込むことはできるだろう。


「ホントっすか!?」

「……言葉遣い」

 目を輝かせる翼に、誠人はじろりと睨みつけた。

「すみません。本当ですか?」

「よろしい。まったく、よくそんなんで女の子からお金巻き上げてたね」

「あーそこはあれです。相手選ぶんっいってぇえええ」

しれっと恐ろしいことを言ってくれる。テーブルの下で脛を蹴ってやった。


 誠人は漬物をポリポリと頬張りながら言った。

「女の子たちとはちゃんと話し合いできたの?」

「あー、それが……」

 言いづらそうに視線を泳がせる翼に、誠人は目顔で続きを促した。

「ビンタされた子のほうは、顔も見たくないから、お金まとまったら一括で振り込んでって言われて別れたんですけど……芽衣ちゃんは……」

 言い淀んで、翼は割り箸を宙で揺らした。

「別れたくないって言われて……」

「……は?」

「いや、俺もちゃんと謝って、説明もして、でも嫌だって言われて、訳わかんねえんすよ」

 翼は机にもたれこんで、長い腕で頭を抱えた。

「それは……わからないね」

「っすよね!」

 今度はガバッと頭を上げて、誠人に救いを求めるような目を向けてくる。

「尾花さんのおかげで、ちゃんとまともな給料もらえる見込み立ったし、そう思ったら、これまでのこと、すげぇ反省してて……」

 またしゅんとして、頭を抱えてしまった。

 誠人はこれまでの芽衣の恋愛遍歴を振り返った。

 ダメ男というか…あえて言葉を選ばず言うなら犯罪まがいのクズ男を引き寄せる体質が強すぎる。

 二股だって翼で二回目だし、なんならお金も貸している。それも、芽衣の実家の太さに付け込んだ愚劣な理由で。


(恋愛相談なんて、自分の範疇じゃないんだけどな)


「そもそも付き合ってたって言えるの?」

「言えない…と思います」

「だよねえ」


 翼はみそ汁の残りをすすりながら、さっき届いたメッセージを改めてチェックした。


 『本日の夜、来てください。明日のお客様の情報はその際にお渡しします』

 相手の予定も確認せずに、人を呼び出す傍若無人ぶりに相変わらず画面に向かってツッコミたくなる。

 先日の共同開発を断った手前、正直なところ顔を出すのは気が引ける。

 だけど、こんなときにGarden Therapy -SHINOBU-に立ち寄るのもちょうどいいかもしれない。


 (忍さんにも、報告しといたほうがいいだろうしな)



「……それはまた…複雑怪奇なことになっていますね」

 ドライフラワーの密集するサロンにて、忍はそう言った。

「俺としては、いきなり鏡の前に座らされて、忍さんがヘアアイロン持ってるほうが複雑怪奇ですけどね」

「被験者として誠人くんが一番適任でしたので」

「言い方が物騒!」

「このあとシャンプーもしてあげますから」

「結構です!」

 滑るような手さばきで誠人の髪をいじったあと、忍はラベルのない容器を手に取った。

 容器から少量すくい、手に馴染ませてから、ヘアセットを施していく。

 ふわんと、慣れた香りがした。

「あれ……」

「気づきましたか」

「ラベンダーとマージョラム、レモングラスに、柑橘系は無難なオレンジスイートってところですかね」

「さすがです」

 すべて当たっていたようだ。

「ちょっと変わった組み合わせですね。甘さに寄せたいのか、爽やかさに寄せたいのか。そもそも、この配合では香りは長続きしませんよ」


 精油にはすぐに香りを発して消えてしまうものから、長時間にわたって持続するものまである。

 それぞれ順に、トップ、ミドル、ベースノートと呼ばれていて、香水もこの時間差を意識して作られる。だが、このバームの配合には土台となるベースノートがない。


「そういう意見が欲しいんですよ」

「……」


 もしかしてこれは、例の共同開発に無理やり参加させようとしているのではないか……。

 とはいえ、この組み合わせには物申したいことがいくつかあり、ウズウズしていた。


「一応、あくまでいち個人としての感想をお伝えしますと、オレンジスイートは調和が取れるから香りとしては良いと思いますけど、光毒性ひかりどくせいがあるので塗布用には向かないかと。光毒性って知ってます?」

 太陽光に当たると刺激を受けて肌が赤くなったり、色素沈着をもたらしたりする作用だ。


「……」

 鏡越しに、琥珀色の瞳がじっと見つめていた。何か含みがある。

「……もしかして、わざと作りましたか?」

「はい。誠人くんなら指摘してくれるかと思いまして」

 誠人は「やってられない」とばかりに盛大にため息をついた。忍の手のひらの上で転がされている。


「レモングラスも皮膚刺激を感じる人はいるので、万人受けではないかと思います。

というか、安全性の高い精油だけで作るとなると、香りの幅は限られるんじゃないですか?

 ローズマリーだって、ハンガリーの女王に愛された歴史があって、“若返りの秘薬”みたいなキャッチフレーズがついたり、美容効果があると思われがちなんですが、肌には刺激が強いものもあるんですよ。かの有名なクレオパトラは、ローズマリーの葉を枕元に置いていただけらしいです」


「ほう。やはり興味深いですね」

「……」


 (やってしまった。どうしてもオタク知識を語ってしまう……いや、この程度はアロマ愛好家なら序の口なのだが……)


「あくまで“個人の感想”は以上です。共同開発はしませんからね!」

 それともう一つ。

「何より、個人が精油を使って作ったアイテムは人に使っちゃいけないって、前に俺言いましたよね?」

「はい。なので私が契約しているメーカーに試作を依頼しました」

「メーカー?」


 誠人が聞き返したそのときだった。Closedの札が掛かっているはずの扉が開き、

「忍ちゃんお待たせー!」

 凛とした、深みのある声の女性が入って来たのは。


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