エピローグ-合成香料は爆弾庫へと
男の身分証を確認すると、山本翼は本名であることが判明した。年齢もやはり十九歳。
サロンにあるプリンタで即席の『念書』を印刷し、そこにサインをさせた。
内容は、女性へきちんと返済すること、二股も金品の受け取りもしないこと。
本来なら警察へ突き出すべきかもしれないが、被害額が大きくなければ相手にされないだろう。女性側も民事に持ち込んだところで、その費用のほうが高くつく。
世の中のグレーゾーンだ。
この『念書』だって、どこまで法的効力があるかは疑わしい。
それでも、何も知らないと“子ども”だからと、精神的な圧を掛けるために逆手に取っているのだから、ズルい大人だと思う。
ようやく誠人と忍は店内の清掃に取り掛かった。
ハサミを入れられ、床に散らばった過去の残骸。傷んだ毛先をゴミ箱に収めながら、誠人は躊躇いがちに言った。
「芽衣さんのことは、まだ何も解決できてないんですよね」
「……」
答えないが、忍も同じ気持ちなのだろう。
「アイツの悪癖は、俺が面倒みます。俺の部署より稼げるチームもあるし、適性があればそっちも交渉できるかと」
あのエースの先輩なら、面白がって可愛がってくれそうだ。
「でも芽衣さん自身の不運体質とかに関しては、どうしたらいいものか……」
「そうですね……」
「お母さんとうまくいってないって、結構根深いですよね」
「……」
鏡を拭く忍の手が止まった。
「あ。スミマセン。お母さんもここのお客さまなんでしたっけ」
「はい。決して、母娘関係が悪いわけではないと思うのですが……」
珍しく、きちんと説明したうえで言い淀んでいる。
「少々、歪みを感じますね」
大手病院の一人娘。離婚して母子家庭。
それだけでも偏愛を想像してしまう。
もちろん、実態は人それぞれ。家庭に寄るのだろうけれど。
誠人は集積場に出すゴミ袋を持って、扉に手を掛けた。
「ところで、あなたの職場に採用して良かったのですか?」
「はい。手綱は俺が握ります」
「そうではなく、芽衣さんの幼馴染がいるのでは?」
「―――!!」
ドサリ。ゴミ袋が手から床に落ちる。
頭に血が上って、すっかり忘れていた。
「ど、どどどどどうしよう、忍さん?」
「私は彼がその幼馴染に刺されたって構いませんよ」
「物騒なこと言わないでください。だいたい死んだら返済させられません」
しどろもどろになるが、誠人の現実志向は健在だった。
「職場のことは関与できませんので、なんとかなさってください」
「そんなー!」
あさひとの人間関係もさることながら、アロマ男子バレや副業バレの可能性だってある。
なんという爆弾を抱えてしまったのだろう。
やっぱり合成香料なんかに関わるものではない。
「とりあえず、ゴミ出しをお願いします。
戻ってきたら、お話したいことがあります」




